地球(テラ)へ…

第21話「星屑の記憶」

脚本/森田繁 演出/小林浩輔 絵コンテ/高梨光 作画監督/宮前真一

あらすじ
 惑星ノアはミュウにたいして降伏を申し入れてきた。ジョミーらミュウの軍勢を阻止すべく、キース・アニアンは木星宙域に艦隊を布陣する。来るべき戦闘に備えて、トオニィは戦闘機の整備に専念していた。そんなトオニィにアルテラは、強大な力のゆえに仲間から疎まれる悲しみをぶつける。

Aパート:ノア無条件降伏、トオニィとアルテラ、収容所のレティシア、長距離ワープ
Bパート:ASD部隊投入、タージオン、アルテラ戦死、トオニィ爆発、キースの交渉

コメント

 首都星ノアを切り捨ててでも、SD体制を守り抜くと宣言したキースだったが、人類統合軍に捨て駒にされた形のパルテノンは、惑星ノアをミュウの前に無条件降伏させたようである。そのニュースを伝えるのは、特に妨害もなく設立された「自由アルテミシア放送」のスウェな・ダールトンである。この極めて統制的な社会体制にあって、電波を使って情報発信が自由にできるとは、ずいぶんゆるやかなSD体制である。

 彼女が報じたところによれば、ノアはミュウに無条件降伏、新たな惑星統治機関が動き始めており、市内は落ち着いている。ミュウ側はマザーシステムの破壊、成人検査の全面撤廃を要求しており、暫定機関はこの条件を受け入れ、現在そのための作業が進んでいるという。
 しかし、前話ではノアのことを「首都星」と呼んでいた。首都が陥落してしまえが人類統合軍は「負け」ではないのだろうか、それに、首都はてっきり地球だと思っていたが、そうじゃないとすれば地球には誰がいるのだろうか?
 これまでミュウに屈した惑星は、グランドマザーから切り離すため管理コンピュータが破壊されてきたという。となれば、残すは地球のみ、ということなのだろうか。
 もっとも、原作ではミュウ側の要求はただただ「グランドマザーとの面会」、それに尽きたのだが・・・

 そんな中、人類統合軍はソル太陽系へ向かっていることが判明し、彼らを追って、長距離ワープに入った。
「力づくで風穴あけてやる」というニナの言葉が勇ましいが、ふと思うのだ。アルテミシアでテラズナンバー5を破壊して、地球の座標データを手に入れたのなら、そのままワープして地球に行っちゃえばよかったんじゃ?・・・と。
 ミュウとジョミーの第一の目的は「ふるさと、地球へ帰る」であって、そのために障壁となってしまうのなら戦うし、地球に行った結果、自分たちの存在が認められないのならSD体制を破壊する、ということだったのではないかと思うのだが、それよりも、とにかく人類と戦ってやっつけるんだ、という流れになっているのが気になるところである。やはり、アニメ化するには戦闘シーンを盛り上げねばならない、ということなのだろうか?

 ミュウの側ではアンチサイオンデバイス装着の人類統合軍メンバーズエリートとの戦いに苦戦するトオニィらナスカ・チルドレン、中でもアルテラの苦悩が描かれる。強力なサイオン能力で戦果を上げるが、それによって仲間からも「バケモノ」と見なされるのではないかという恐れ。そうした彼らの心情を描いたのはなかなか良かったと思う。

 一方、娘のレティシアがミュウの疑いありとして収容所送りになったことを知ったスウェナは、なんとキースに直電し、助けて欲しいと訴える。まず、誰が収容所送りになったか、などという情報が漏れ漏れなのが気になるとこだが、反権力を掲げて報道を始めた者が、身内の危機になるとコネを使って権力にすがろうとする、というところがカッコ悪い。そういった、権力を私物化する、という腐敗の根源を断つためのSD体制ではなかっただろうか。ある意味、それまでSD体制に飼いならされてマザーの「子ども」だった彼らが、真の自立を知らずに大人のふり、自由のふりをしている、とも取れ、この収容所をのちにキースがどう扱うかも含めて、興味深いところであった。

 もう一つ気になるところが、ここにきて出てきた「罪意識」である。自分たちを戦いに利用するジョミーは大嫌い、というアルテラに対してトオニィはこう言う。

ジョミーは、ナスカの責任を思いのすべてで贖おうとしているんだ
救えなかった罪を一人で背負ってテラを目指している




 ジョミーが「救えなかった罪」でそんなに苦悩しているようには思えなかったが(すうだとしたら、そういう描写が必要では?)取ってつけたように、今さら言葉でそう説明されても「そうか、そうだよね」という共感を引き出すことはできないのではないだろうか。
 しかし逆に、この言葉によって、人類統合軍を敵とみなして激しく戦うジョミーの姿勢がわかる気もするのだった。ただし、それは「贖い」ではなく「復讐」というべきではないのだろうか。

 これとも相まって、ん?と思うのが、レディシアの養父母がかつてジョミーの養父母だったと知ったキースが「これも天の采配か」とつぶやくところである。
 え? 今、「天」って言いました? と思わずツッコみたくなってしまった。天などという、宗教的な概念を彼が持っていることも意外だが、「いや、そこは天じゃなくて、マザーでしょ」と嫌味の一つも言ってやりたくなるのである。マザーこそ、神のごとくすべてを支配し、すべてを管理するもの…それがSD体制だというのに?

 たった四隻の船にズタボロにされてしまった人類統合軍艦隊だったが、気がつけば、ゼル機関長、フラウ航海長、エラ女史がそれぞれ別の戦艦の指揮をとっていて、いやーその3隻の戦艦はどこから湧いてきたの?と驚いた。絵と上っ面の言葉だけで説明されても、なかなか心がついていかないのが正直なところである。


 最後の方で、艦隊を壊滅させたミュウに対してグレイブが「やはり、アレを使うしか…」と言っているのが不気味である。収容所施設を木星に落とすと言って脅すキースもダダをこねる子どものようにしか見えず、「グランドマザーは今日もたいへん!」ではなかろうか?
 もっとも、「グランドマザーから切り離すため管理コンピュータが破壊されてきた」惑星の住民たちは、マザーなしの状態でどうなっているのだろうか? 自分で考えて行動する、ということができるのだろうか? もともと、マザーありの人々を描いてこなかった本作で、そこが描かれるはずもない。

評点
★★
  原作の世界観の咀嚼不足と描写の不足で、ボタンの掛け違いが徐々に大きくなってきた。



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