地球(テラ)へ…

第22話「暮れる命」

脚本/根元歳三 演出/石井久志 絵コンテ/石井久志 作画監督/阿部智之

あらすじ
 キース・アニアンはミュウに強制収容施設を木星に落とすと脅迫する。マードックはキースに、もし自身がミュウだったらどうする?と問いかける。キースの部下マツカは、その答えを複雑な思いで聞いていた。そんな中ジョミーは地球への進軍の意思を明らかにした。

Aパート:マツカの問い、ジョミー作戦会議、トオニィの反発、サムの死
Bパート:キース締め上げ、収容所救出作戦、トオニィVSマツカ、三途の川の攻防

コメント

 劣勢に立たされた国家騎士団は、コルディッツと呼ばれる木星軌道上の潜在ミュウ強制収容所を木星に落下させると脅して、ジョミー率いるミュウの艦隊と対峙する。先を急ぐジョミー(なぜ、そんなに急がねばならないのかは不明)は、収容所のミュウらを見殺しにしてでも進軍しようとしてゼル(呼称がいつの間にか、老師になっている)の反論を受けるが、そこで思いついた奇策で危機を脱する。

 一方、キースの艦隊では、部下の一人がキースに対し、同僚がコルディッツへ送られたことに対し、意義を申し立てるが、ースは、ミュウ因子を持つとわかった以上、根絶やしにせねばならないと突き放す。それに対し、グレイブは「万が一ご自身にミュウ因子があると判明した場合は?」と質問。キースは「例外は認められない」と答えた。
 そんなキースと部下とのやりとりに、マツカはいつもと違う空気を感じていた。

 いよいよ、キースが長年にわたって側近としてきた隠れミュウ、マツカにフォーカスが当てられる回。本作では、原作にはなかった「ミュウ収容所人質事件」が加えられ、一見緊迫感が増したように見えるが、ことのほか簡単に問題は解決されてしまい、それなら別にこのエピソードはなくてもよかったんじゃないか、と思える軽さである。

 それよりも気になるのは、摘発された潜在ミュウらを半ば見捨てる決断をジョミーがする、という展開を加えたことで、ジョミーとキース、敵対するそれぞれの長がいずれもある点で同じ思考にハマっていることだ。それは、「自らの目的を実現するためには、多少の犠牲はやむを得ない」という考えで、キースにとってその犠牲とはミュウ因子を持つ者、ジョミーにとってはテラへの進軍の足止めになる収容所であった。

 キースがミュウ抹殺を主導するのはわかるにしても、ミュウの生存権を求めてテラを目指しているはずのジョミーが、同胞を犠牲にする冷酷さを見せるエピソードをあえて入れる必要があったのだろうか。それが結局、「ゼル参上」からの「遅かったか」という出落ちのような老師と、ナスカ・チルドレンの力を借りた救出劇で簡単に終わらせるなら、むしろ、唐突にセリフだけで済まされる、キースの部下で発見されたミュウ因子保持者の処分について、もっと掘り下げるべきではなかったか。この命令はグランド・マザーから出ているに違いなく、そのことについて本作では、キースは一度もマザーと対話をしていないのだ。「すべての人の生命の誕生を司り、その遺伝子を操作することさえできるグランド・マザーが、なぜ遺伝子の段階でミュウを排除しないのか」という疑問が、当然出てくると思うのだが。

 そしてマツカは、当然に出てくる疑問をキースに投げかける。「根絶やしにすべきミュウ、なぜ僕を生かしておくのです? 利用しているだけなのですか?」キースはそうだ、と答え、「バケモノどもを倒すためにバケモノを利用しているだけだ」とその理由を説明した。そして、この戦いが終われば彼も処分することになるだろう、と冷酷に告げる。

何があなたにそうさせるのですか?

 そのマツカの問いに答えはなかった。このマツカの問いかけは、ある意味ミュウである彼と、マザーイライザの申し子と呼ばれたキースの「違い」を明確にしていて、面白い。マザーと完全な命令・服従関係にあるSD体制下の者なら、その動機は「マザーの命令」であると明白だからだ。だが、マツカはその支配から身を隠して生き延びてきた。逆にいえば、マツカがキースの側近として利用されているとわかっていながらずっと彼の下に居続けているのは、「何がそうさせているのか?」といえば、彼自身の意思、それ以外にない、ということになろう。

 その意味を、私たちはキースが司令官室へ戻り、マツカにコーヒーを淹れさせた、その時に知ることになる。コーヒーのカップを手渡す瞬間、触れた手からマツカは、サムが死んだことを感じ取ったのだ。いつもと違う、とマツカが感じたのは、キースの内側にある、友を亡くした悲しみに触れたからだった。
 思わずマツカは、どうして人間らしい温かい心を隠すのか、とキースに迫るが、私の心に触れるな、とマツカを叱責し、出て行け、と命じるのだった。

 一方トオニィは、ジョミーのために戦う、と一人姿を消し、テレポートしてキースの乗る旗艦に潜入。キース殺害を企て、それに気づいたマツカとの間でサイオンバトルを展開することになる。



 その頃、収容所落下の件での脅しを無視してテラに進軍し始めたミュウ艦隊に対して、予告した通り収容所を落下させるかどうかで、ブリッジではグレイブとセルジュが言い争いをしていた。ジョミーとキースを代理し、自らの意思で戦いを繰り広げるトオニィとマツカという二人のミュウと、命令がなければ何もなし得ない人間との対比、となのだろうか。マザーの命令、という筋を通してこの場面を描けば、その対比はよりいっそう明確になったと思うのだが、それが惜しいと思うのである。

 キースを庇って死ぬマツカ、そして最後の力を振り絞ってキースを黄泉(三途の川?!)から引き戻すマツカの姿は感動的ではあるが、霊界?からキースを呼ぶサムやシロエの描写があまりに俗っぽく、少々白けてしまった。水に沈んでゆくキースからは、むしろ彼が生まれた「培養槽」を連想させ、完璧な人間としてのキースが誕生するまでに、藻屑と消えていった無数のキース(とフィシス)が静かに彼を見ている、という方が、人造人間たる彼の臨死体験らしかったのではなかろうか。

 マツカの犠牲的な行為で感動的に終わる22話だが、原作とは異なりキースとサムの関係を掘り下げていた本作では、キースにも人間的な感情がある、ということがある程度描写されていたので、冷酷な彼の人間的な一面をはじめて知る、という意味合いは弱まっていた。原作ほどのキースは、マツカに対する扱いももっと酷かったし、そんなキースに対してマツカは時折殺意さえ滲ませていたが、そういう関係をしっかり描いていれば、最期にマツカが流す涙の意味も、もっと胸に迫っていたことだろう。アニメ化にあたっては、イベントや原作にないエピソードを加えるよりも、むしろ動きのある絵で心理描写をつきつめてほしかった。

 作画に関していうと、キースらがブリッジにいるとき、全員が棒立ちの状態で描かれるのに手抜き感が滲み出ている。この船には椅子というものがないのだろうか。配置についている感じがまったくなく、動きのなさに拍車をかけている。

評点
★★
  追加されたエピソードが上滑り。キースより、むしろジョミーの冷酷さが目立つ結果はよろしくない。



>>第23話へ


since 2000