地球(テラ)へ…

第19話「それぞれの場所」

脚本/根元歳三 演出/星野真 絵コンテ/高梨光 作画監督/佐々木敏子

あらすじ
 未来を占う力を失ったフィシスに、トオニィはナスカで起こったことの責任を問う。アルテミシアでは平穏な日々が戻っていた。シャングリラに招かれたスウェナは、ジョミーに教育ステーションへの思念波攻撃について問い詰める。一方キースは、廃棄された教育ステーションへ向かっていた。

Aパート:トオニィの糾弾、ジョミーとスウェナ、ステーションに侵入するキース
Bパート:スウェナの娘と養父母、キースVSマザーイライザ、ジョミーVSテラズナンバー5

コメント

 原作では、学生時代、シロエ事件のあったときに知るはずだったキースの出生の秘密が、ようやくここで明かされるのだが、その内容はともかくとして、その秘密を知ったあとのキースの行動の理由がわかると、愕然としてしまう。単に秘密の開示を先送りにしただけではなく、キース自身も原作とはキャラが変わっているのである。
 それが、今回のエピソードの最大の驚きであった。

 フィシスはナキネズミのレインの前で、自分の過去を振り返っていた。ユニヴァーサルで生まれたミュウだが、ブルーによってその頃の記憶を消されたこと、失った力と引き換えに、その記憶がよみがえってきていることを。そして、今は、ブルーと巡り合ったあの日のことを知りたい、という思いを抱いていた。
 そこに、トオニィが姿を現す。そして彼女に言うのだった。

メンバーズの男と通じ合い、ヤツを逃し、
僕のママを、そしてナスカの多くの仲間を殺した罪を
どう償えると言うんだ。
僕はごまかされないよ、あんたはミュウじゃない。
ソルジャー・ブルーに力を与えられ、ミュウになりすましていただけの人間だ。


 ブルーの死と同時に力をなくしたのは、そのせいだとトオニィは彼女を糾弾し始めたのだ。

 ミュウの船シャングリラは、アタラクシア上空に浮かんだままで、静かな時が流れている。船内では、ジョミーがハーレイの報告を受けていた。エネルゲイアとミリテイリアで、暴動が発生したという。ジョミーらが旅立ったあとに生まれ、隔離されていたミュウらによるものだった。ジョミーは残った部隊の殲滅を命じる。
 そばで聞いていたスウェナは、そんなジョミーの変貌に驚きつつ、12年前の教育ステーションへの精神波攻撃について語り出した。
 そんな彼女にジョミーは、キース・アニアンについて尋ねる。彼女は教育ステーションで同級生だったこと、そしてサム・ヒューストンと親友であることをジョミーに告げた。

 ブリッジでは、新たな課題が持ち上がっていた。テラズナンバー5から、テラの座標データが引き出せないのだという。思案したジョミーは、僕に心当たりがある、と言い残し、故郷アタラクシアへ向かうのだった。

 一方、マツカとともに教育ステーションへ向かったキースは、廃棄されたステーション内部に侵入しコンピュータにアクセスしていた。そして彼は、あのマザー・イライザとの再会を果たす。彼女はキースの出世を喜び、行って真実を確かめるよう促した。キースは、かつてシロエが侵入したフロア001へ踏み込んでゆく。
 そこでキースは、培養槽に並ぶ、フィシスと振り二つの少女らの姿を見るのだった。その向かい側には、自分によく似た少年らが培養槽の中で揺らいでいた。

 ジョミーらがアタラクシアに戻るのは原作通りだが、キースが教育ステーションへ戻るのは本作で加えられた新たなエピソードである。ジョミーとキースが、それぞれの「生まれた」場所へ戻り、それぞれの人生を支配していたモノと対峙する、という、鏡写しのような同時進行のストーリーを作りたかったのだろう。
 その意図はよくわかるし、ある程度成功もしていると思うが、この1話のために、全体のストーリーのバランスが崩れ、この物語のゆきつく方向も変わってしまった。そんな気がしてならない。

 今回のレビューでは、ジョミーとキースの対比というポイントから、後半部分を掘り下げてみよう。



ジョミーとキース:それぞれの場所で

 ジョミーがアタラクシアに戻ったのは、原作では地球への第一歩のため、そしてなぜミュウが人類と戦わねばならないか、その理由を知るためであった。本作でも地球への第一歩であることに違いはないが、むしろ、彼らが把握できていない、地球の座標データを知るため、という点にフォーカスされている。
 原作にはなかったエピソードとして、スウェナの娘と離婚後の娘の養父母との再会がある。ジョミーは、成人検査の日に別れた養父母と対面はしなかったが、それは、彼自身のいう「僕の生まれた場所」の意味が、人として生を受け育った場所、という意味ではないことによるのだろう。

 ジョミーはかつて成人検査を受けた、テーマパークのアトラクションを訪れ、そこで「テラズナンバー5」と再会する。そここそが、ミュウとしてのジョミーが生まれた場所であった。

 一方、キースは廃棄された教育ステーションへ向かった。シロエの残したメッセージに導かれたのである。そこで、彼はマザー・イライザと再会する。彼女は培養槽の中の少年少女を、研究の途中で放棄されたあなたのきょうだいたちです、と紹介する。
 彼女は、キースの出生の秘密をこのように説明した。

 あなたたちは他の人間たちとは違います。まったくの無から生まれた完全なる生命体。30億の塩基対を合成し、DNAという楔をつむぐ。何体もの失敗作のあとに生まれた、私の最高傑作。あなたに至るまで、何体もの不完全な者たちが生まれました。
 失敗作は、サンプル以外は処分した、新入生の船の事故、ジョミー・マーキス・シンと接触があったサム・ヒューストン、スウェナ・ダールトン、ミュウ因子を持っていたセキ・レイ・シロエとの出会い、そのシロエをあなたに処分させたこと、すべてはあなたを育てるためのプログラムでした。

 そしてキースに向かって、こう言った。

ようやく生まれました、テラの子、私の理想の子、キース

 ジョミーがミュウとして「生まれた場所」がアタラクシアだったように、キースにとって、教育ステーションはまさに彼が「生まれた場所」だったのだ。原作では、シロエのステーション脱出前に明かされるこの秘密を、ようやくここになって出してきたのは、ジョミーとキースの「生まれた場所」の対比を併行して描きたかっただからなのだな、とようやく理解できた。

 二人はそれぞれの場所で、自分を生み出した「システム」と対峙する。ジョミーは成人検査を多なったテラズナンバーズに。そしてキースはマザー・イライザに。

 前半からのプロセスがあったことで、本作には原作になかった「(精神的)親殺し」の色合いが見えたのは面白かったが、最後のキースの行動に、愕然とすることになる。教育ステーションの破壊は、自らの意志ではなくグランドマザーの命令だったのだ。

 つまりジョミーとキースは、それぞれの場所で「親殺し」を敢行したが、ジョミーにとって、それは地球のシステムからの完全なる自立の意味を持っていた。その結果、彼らミュウは地球の座標を知ることになる。一方キースにとっては、SD体制の管理者であり支配者であるグランドマザーへの完全なる服従を示したことになる。ジョミーにとって、キースと対峙することは、システムそのものと対峙することと同義となったのだ。

 だが、この本作のエピソードで見落とされているのが、フィシスである。彼女はトオニィから「ただの人間」と糾弾されているが、その理由は、キースが教育ステーションで見た光景の中から推察されるにすぎない。彼女もまた、キース同様に人工的に培養された「マザー・イライザの子ども」であると思われるのだ。しかも彼女はマザーがいうところの「失敗作」だった。

 そんな彼女にミュウとしての能力を与え、仲間の中に迎え入れたソルジャー・ブルーの優しさにこそ、本作の描くべき希望ある未来があると思うのだが、そのところが抜け落ちてはいないだろうか。

 もう一つ、気になるのは、やはりキースの自覚が遅すぎることにある。原作では、学生時代に自らの出生について知ったキースは、同時に、シロエの死、そしてナスカのミュウ虐殺事件を通して、こんな疑問を抱きつづけていた。自分のような理想の人間を作り得るなら、なぜ、あらかじめ遺伝子的にミュウとなる因子を排除しないのか、ミュウの発生をゆるしているのか、と。
 それはキースにとって、ある意味、ミュウとの対決、そしてミュウを殲滅することを義務付けられたことに対する良心の呵責であり、親への反抗であるのだが、そうしたキースの人間的な内面が、本作ではほぼオミットされてしまっているのだ。

 このことは、やがて来るべきジョミーとの直接対決をも、また違ったものにしていくことになるだろう。



評点
★★★
  ジョミーとキースを対比的に描くという演出自体は面白いが、物語全体のバランスを著しく崩している



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