地球(テラ)へ…

第9話「届かぬ思い」

脚本/根元歳三 演出/柳瀬雄之 絵コンテ/柳瀬雄之 作画監督/高乗陽子

あらすじ
 サイオンチェック中逃亡したシロエを、キースは部屋で匿う。気がついたシロエは、憎むべき成人検査をキースは受けていない、という事実を突きつける。その頃、ステーションでは訓練中に「ミュウの船」に遭遇したサムらの記憶消去作業が行われていた。

Aパート:シロエ救助、シロエとの対話、シロエ逮捕、記憶消去に気づくキース
Bパート:ジョミーの思念波攻撃、マザーとの対話、シロエ脱走

コメント

 キースは傷ついたシロエを自室に連れ帰っていた。目を覚ました彼は、枕元にある「ピーターパン」の本を抱きかかえて安心するが、助けたのがキースだとわかり目をみはる。キースはそんなシロエに問いかけた。「なぜマザーに逆らうのか・・・マザーに逆らうということは、テラに逆らうということだ」
 シロエはキースの部屋を殺風景だと評し、着せられたキースのシャツを「あなたの匂いがする。いやだ」などと言いつつ答えをはぐらかす。しかしキースが、なおも「命が惜しくないのか」と、暗にこのままではマザーに処分されることをほのめかすと、こう言うのだった。
「機械のいいなりになって生きることに、何の意味があるんですか。僕は許せないんだ、正義ヅラをして僕の大切なものを奪った成人検査がね。あなたにはわからないか。あの憎むべき成人検査を知らない、幸福なキース」
 原作では、シロエは大勢の見ている前で倒れ、公衆の面前でキースはシロエを担いで個室へ向かう。その行為自体が、ステーションでは違反なのである。しかしアニメでは人知れず個室へ運びこみ、とくにその行為自体が咎められるものであるかどうかは見ている側にはわからなくなっている。この辺り、原作の緻密さがもう少しあればよかったと思うのだが。というのは、違反行為をあえてキースが行うことで、彼自身のマザーに対する「反抗」とでもいうべき感情が、はっきりと伝わった気がするからだ。

 キースに対して、シロエは生まれ故郷や養父母と過ごした日々の記憶が成人検査によって失われた悲しみを語る。しかしそこへ踏み込んできた保安官らによりシロエは逮捕され、再び連行されてしまう。そのとき、シロエはキースに言い残したのだった。

忘れるな、キース、
フロア001、自分の目で真実を確かめるんだ



 シロエの、ある種命がけのキースへの伝言に動かされ、キースが「自分は何者か、そしてマザーは何者なのか」という、思春期の少年が心に抱く根源的な問いの答えを自ら確かめようとする。それが、この第9話のクライマックスになるのだろう、と、この場面に期待も膨らんだんだが、原作とは違う答えの出し方を、テレビアニメ版ではしたようだ。

 その頃、ステーションの周辺では異変が起きていた。ステーションの通報を受けてペセトラ基地から発進した哨戒機が、例のクジラに遭遇した、というのだ。その前日、ジョミー・マーキス・シンのメッセージを聞いた訓練生らは記憶消去の処置を受けているところだった。
 やがて講堂で、シロエのことで思い悩む様子のキースを見かけたサムがキースに声をかける。そんなサムに対して「おまえこそ大丈夫なのか?」とキースは応答するが、サムは訓練飛行で受けたショックのことを忘れていた。それだけではない。訓練飛行は今日だというのだ。驚いたキースは他の学生らに昨日の出来事について尋ねるが、だれも覚えていなかった。それだけでなく、シロエという学生がいたことすら、記憶から消去されていたのだ。キースは「自分の目で真実を確かめろ」というシロエの言葉を思い起こしていた。

 そのとき、ステーションの学生たちに異常が生じる。口々に、ジョミー・マーキス・シンのメッセージを語り始めたのだ。ジョミーの精神干渉により、学生だけでなくステーションの職員らも、子供に還って遊び始める始末だった。唯一正気を失わずにいたキースは、非常手段としてシステムを緊急停止させた。
 そのとき、拘束されていたシロエは「ピーター」と叫ぶ。彼は再度のサイオンチェックを受けさせられるところだったが、突如その能力を発動させる。

 傷ついたシロエの残した言葉、記憶消去を知ったキースの衝撃、再度のジョミーの思念波攻撃、そして発動するシロエ、と、静から動へと劇的に動き出すスリリングな展開で、思った以上にワクワクしながら見ていた自分がいた、はずなのだが、マザー・イライザとの対話の場面から、急速にそのテンションが下がりはじめ、キースがシロエ機を撃墜する場面では、うーん、なんだこれ?と作り手の迷走を感じてしまった。それはなぜなのか、というところを少し掘り下げてみようと思う。

 一つ目は、マザーとキースとの関係性である。原作では、シロエを匿った個室にマザーからコールが入ったとき、キースはマザーにシロエのことを隠し、ある意味はじめて「母親に嘘をつく」のである。そして、ジョミーの思念波攻撃の影響を、自分だけが受けなかったことで自分自身への疑問を深め、シロエの言い残した「フロア001」のことを思い出す。そのときマザーは「自分の目で確かめなさい」と促し、彼はマザー・イライザから、自分自身が存在する意味を知らされる。原作では、マザーはキースとの対話を通じて、彼を人間の指導者としてふさわしい存在であるように、教育していた。
 ところが本作では、「あれは、一体なんですか。ミュウとは、一体何者なのです? なぜ、サムたちの記憶を消さなければならなかったのですか。みんなが見た幻は? なぜ、僕だけ影響を受けなかったのです?過去の記憶を持たないことと、何か関係があるのですか?なぜ、マザーイライザは何も・・・」と、彼女に湧き出る疑問をぶつけ対話を求めたキースに対して、彼を抱きしめ、「過去がほしいなら過去に、ふるさとがほしいならふるさとに、私がなってあげる」と、ただ感情的に彼を懐柔することで、キースの自立を妨げ、自らにさらに依存させて操作的支配を強める行為に出たのだった。
 結果として、原作のキースは自らの存在意義を確信し、自分の意思でシロエ機を撃墜したのに対して、本作のキースは、マザーの命令に逆らえないまま、マザーの意思を忠実に実行した形になっている。この違いは、以降のキースの人格形成や行動に対する解釈にも影響を及ぼしてくるものと思われる。

 二つ目は逃亡を図ったシロエの描写である。原作では、逃亡後のシロエは一切描かれず、追う側のキースの心理描写だけに削ぎ落とされていた。一方本作では、まずシロエがミュウとしての能力を発動させ、自ら操縦するのではなくサイオンパワーで宇宙船を操縦しているというところに違いがある。サイオンチェックの最中に逃亡してきたので、シャツの前をはだけ、ピーターパンの本を抱きしめ、表情は虚ろで、まるで精神錯乱を来したかのようである。この描写が、個人的にはいただけなかった。ステーションという学園で、ハラスメントを受けた末心身ボロボロになって転校せざるを得なくなった学生のようではないか。
 そうではなく、シロエはこのステーションというマザー・イライザの支配する世界にあって、ただ一人、彼女に反抗し、自らの意思で出て行く人間なのだ。そういう、自立した精神の持ち主として、彼を描いていただろうか。
 そんな彼を追うキースとシロエ、交互の独白が追跡劇のメインである。シロエは、ピーターパンを朗読しながら、「大人になんかなりたくない・・・ピーターパン、テラへ行きたいよ」というのだが、第5話でそもそも、ピーターパンの物語世界を描かなかったことで、彼の朗読が見るものにまったく伝わらず、単なるBGMになってしまっているのが悔やまれる。
 私としては、あのときジョミーと出会った記憶を、ジョミーの思念波攻撃で取り戻し、成人検査から逃れさせようとしていたというジョミーの思いをようやく理解した上で、「あなたが目指すテラへ、僕も行きたい」となるなら、あのあまりできのよくない第5話のオリジナルエピソードが意味あるものに生かされて、深く心に残るものになったと思うのだが、雑な感じにまとめられ、非常に残念である。ちなみに、彼の本心を言葉にするなら、「大人になりたくない」ではなく「マザーの子どもでいたくない」ではなかろうか。シロエの伝言に従い、フロア001で自分がまさにマザーの子どもであることを受け入れたキースと、マザーの子どもであることを拒否するシロエ、その構図があってこそ、キースがシロエを撃墜し、そして流す涙に意味が生まれるのだ。

 原作を改変するのもよいが、原作がそのように描かれた意味をしっかり受け止めた上のことなのか、疑問が残るエピソードとなった。


用語解説

記憶の消去
 ミュウの存在、システムに反抗する者の存在など、SD体制を揺るがしかねない者と遭遇したとき、マザー・イライザ(をはじめとする統治コンピュータ)が人間に対して行う処置。記憶を消去することで、存在をなかったことにする、ある種の歴史修正主のようなもの。ただし、キースに対しては行われなかった。


評点
★★★ ピーターパン=ジョミー、の扱いとマザーとの対話以降が雑すぎて、台無しになった。



>>第10話へ


since 2000