地球(テラ)へ…

第5話「死の跳躍」

脚本/面出明美・山崎理 演出/星野真 絵コンテ/つるやまおさむ 作画監督/滝川和男・渡辺伸弘

あらすじ
 新開発のサイオントレイサーを用いるべく、体制側はサイオニック研究所のセキ博士を呼び出す。ジョミーはミュウとしての訓練を受けていたが集中力の欠如を指摘され苛立ちを覚えていた。思念を巡らす先でジョミーはセキ博士の息子シロエと出会う。

Aパート:セキ博士とシロエ、思念の導きでシロエと出会うジョミー、ミュウの船発見
Bパート:シロエのサイオン攻撃、ミュウの船発見、ジョミーの防御からの旅立ち

コメント

 原作では、ソルジャーブルーを連れてアタラクシア上空からジョミーが帰還したあと、ブルーの遺言とともにジョミーにソルジャーの地位が継承されて第一部が終わる。本作の第5話は原作にはないオリジナルストーリーで、ジョミーの帰還のあと、ミュウの船シャングリラがアタラクシアを旅立つまでが描かれる。

 原作では教育ステーションに舞台を移した第二部から登場するセキ・レイ・シロエの子ども時代(10歳)が挿入されているが、原作で説明されていない部分の描写が不十分で、消化不良な印象が否めなかった。
 まずは、シロエ。サイオニック研究所に勤めるセキ博士の息子で、読書が大好き、とくに「ピーターパン」に夢中になっている。ピーターパンは空を飛んで、子供たちをネバーランドに連れていってくれるという。ネバーランドに行きたい、というシロエに、セキ博士は「がんばればもっといいところへいける、テラだよ」と言う。メンバーズになれるかもしれない、と期待をかけているのだ。両親にとって自慢の息子、といっていいだろう。

 一方ブルーの後継者となったジョミーはサイオン攻撃の訓練を受けるなどしているが、集中力が持続せず、ゼル機関長に「力だけではソルジャーにはなれない」と言われたことに気を悪くし、自室にひきこもってしまう。ジョミーが無茶をしたせいで、ソルジャー・ブルーが倒れてしまった、と皆が思っていることが思念波で伝わり、ますます彼を落ち込ませていた。
 そんな彼が、思念波の導くままに意識を飛ばし、やがてシロエと「夢」の中で出会う。

 ジョミーの姿を見たシロエは「ピーターパン!」と大喜びするが、ママが大好きなシロエに、成人検査で記憶が失われることを伝えると、感情をかき乱されたシロエは思わぬ力を発揮する。シロエは、潜在的なミュウだったのだ。

 ところで、シロエが住むのはエネルゲイアという都市で、ジョミーのいたアタラクシアとは別の場所のようである。原作では、シロエの出身地として名前しか出てこなかったので、正直、アタラクシアと同じ星にあるとは思わなかった。エネルゲイアの市長は女性で、シロエの父であるセキ博士の開発しているサイオントレイサーを多数上空から投下して、ミュウの船をサイオン反応によって探索しようとしていた。結果的に、この装置によってミュウの船は発見され、攻撃を受けたことから、ついにアタラクシア(のある惑星)からの脱出を図り、地球へと旅立つ、というのが本作の流れである。

 原作の内容からよく膨らましたとは思うが、圧倒的に、「地球へ…」というタイトルからくる「詩情」が足りない。ここに必要なのは、彼らがこの惑星を脱出せざるを得なかった事情ではなく、まだ見ぬ、それどころか、ただフィシスの記憶の中だけでしか知ることのなかった地球という星へ、自分たちの存在を賭けて旅立つことの、胸を焦がすようなロマンではなかろうか。「宇宙戦艦ヤマト」が地中から、遠くイスカンダルへ向けて発進する、そんな場面に匹敵する何かが、必要だったのではないだろうか。それは単に、惑星からのワープという、力技だけではないはずである。

 もう一つ、物足りないのはシロエの描きこみである。彼は第二部で非常に重要な役割を果たすキャラクターなので、その彼の行動の動機となる幼少期の経験をここで描くというのは、とても良いアイデアだと思う。だが、彼の日常も、母親との関係も描写が表層的にすぎ、のちの彼の行動に至る土台とするにはいささか物足りない気がした。

 彼がピーターパンが連れていってくれるという「ネバーランド」に憧れている、という設定も悪くはないが、表面的な引用に止まり、本作のテーマに切り込むほどの深い意味を持たせるにいたっていない。まず、ジョミーの姿を見てピーターパン、と喜ぶのだが、そうする前に、シロエと母との会話の中から、シロエが本の中に見出すピーターパンの姿を、ちゃんと「絵」として見せてほしかった。それができるのが、アニメの強みではないのだろうか。しかも、ピーターパンといえば本よりも圧倒的に「ディズニーアニメ」のあのキャラなのだ。だからこそ、ジョミーをピーターパンと重ね合わせるには、シロエの思い描く絵が必要だと思うし、ネバーランドには「親」とはぐれ、歳を取らない子どもたちがいるということを、シロエの心に刻まれた物語の中に描きこんでほしかった。そうすれば、成人検査でママの記憶が失われる、とジョミーから聞いた彼のことば「忘れない。ぼく、忘れないもん」が、あとになってもっと響くものになっただろう。

 夢の中でシロエと出会ったジョミーが、実際にシロエと遭う場面は蛇足だと思う。母親に見つかったジョミーはサイオン攻撃で母を止め、それに怒ったシロエがミュウの能力を発動させてしまう。

僕はネバーランドへは行かない、
僕は行かないと言ってるじゃないか、
どうしてひどいことするんだよ、
ピーターパンは子どもの味方だろ?




 シロエをミュウの船へ連れて行くことを断念せざるを得なかったジョミーは、シロエと母から、ジョミーの記憶を消して立ち去るわけだが、それではやっていることがユニヴァーサルと同じで、モヤモヤしてしまう。それよりも、ブルーがジョミーにしたように、ただ夢の中に現れて、シロエの心の奥底にその像を焼き付ける、というだけでよかったのではないか。そうすれば、彼はピーターパンなるものへの憧れと、一方で「忘れない」という強い意志を握りしめ、第二部ではそれが彼自身を駆り立てる原動力になっていく、と感じた。

 なお、ミュウの船シャングリラは、サイオントレイサーにより発見され総攻撃を受けたことで、惑星の重力圏からのワープという荒技で宇宙へ旅立つが、第4話でワープドライブが損傷したのは、特に問題なかったのだろうか?


キャラクター紹介

セキ・レイ・シロエ
 育英都市エネルゲイアで暮らす10歳の少年。読書が大好きで、特にピーターパンが愛読書。ネバーラントに行きたい、という憧れを持っている。勉強もよくできるらしく、父は「ゆくゆくはメンバーズになって、地球へ行けるのではないか」と期待している。

セキ博士
 シロエの父親で、エネルゲイアのサイオニック研究所に勤務している。ミュウの船を探索するための装置「サイオントレイサー」の開発者で、エネルゲイア市長の指示により、サイオントレサーを順次投入。結果としてミュウの船が総攻撃を受けることとなった。


評点
★★ シロエの「ピーターパン」への憧れ、ミュウたちのまだ見ぬ地球への憧れ、人を動かす思いの描きこみが足りない。



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