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 宇宙戦艦ヤマト(1974)各話レビュー →宇宙戦艦ヤマト2レビュー

 第25話「イスカンダル!!滅びゆくか愛の星よ!!」


あらすじ (人類滅亡まで、あと131日)

 ガミラスでの本土決戦に辛くも勝利したヤマトは一路イスカンダルをめざす。スターシャの出迎えを受けた一行は、高度な科学技術を持つその都市を案内されるが、そこにはスターシャ以外の人影はなかった。そのことを知った古代は、スターシャに地球への移住をすすめる。しかしスターシャの、滅び行く星と運命をともにするという決意は固かった。もう一つ、地球には「私の好きになれないタイプの人がいる」ということもあった。そのとき、地球の先行きに不安を覚えた薮ら12人がイスカンダルへの移住を求めて蜂起する。

コメント

 ガミラスとは双子星であるイスカンダルだが、その星の上に広がる光景はガミラスとはまったく違っていた。青々とした海、広々とした大地、ダイヤモンド鉱石でできた島。表現は古いが、まるで「極楽浄土」のようである。しかし、ガミラスと同様にこの星にも滅亡が迫っていた。

 ガミラスの場合は高度な科学技術を支えるために環境破壊が進んだ、という状況に見える。高度な科学技術を持ちながら、崩壊する自然環境に対しては問題意識を持つことが出来なかったかのようだ。では、イスカンダルの場合はどうだろうか。古代らにはこの星が理想郷に見えたようだが、それにしてはあまりに荒涼とした光景ではなかったか。彼らが滞在していた間の様子からすると、滅びは大災害によってひき起されたようだが、それだけが原因ではないだろう。発達した科学技術により豊かで何の憂いもない、平和で満ち足りた生活が送れるようになっていたイスカンダル人は、いつしかしのびよる危機に対して鈍感に、あるいは故意に目を背け、何の自己防衛もしないままになっていたのではあるまいか。つまりは平穏からくる慢心によって、彼らは滅びたということもできる。

 古代と雪はスターシャに案内され、この高度に進んだイスカンダルの都市空間に目を見張る。ただ、一人の人にも出会わなかったと指摘するユキに、スターシャは自分が生き残ったただ一人のイスカンダル人であることを打ち明ける。  そんな彼女が「会わせたい人がいる」というところからの展開には、別の意味で目を見張るものがある。土星の衛星タイタンで、氷結した状態で発見された「ゆきかぜ」に生存者がいなかったことから戦死したものと思われていた古代の兄、守がスターシャに助けられ、生き延びていたのだ。

 守がヤマトの乗員らに出迎えられる一方、ネガティブ志向な隊員、薮が森ユキを人質に、イスカンダル残留を求めて蜂起するという騒動が起こる。薮についてスターシャは「好きでないタイプの人間がいる」と表現したが、薮の画策したことはガミラスが地球に対してしようとしたことと同じであり、まさに憎むべき行いであった。そんな中「好きでない」という否定的な感情をスターシャが表現したことに、ああ、この人はまるで「女神」のようであったけれども、やっぱり嫌いな人もいるんだな、と思わされた。それが、守がヤマトとともに地球へ帰っていく時が近づくにしたがって、さらに顕著になる。

 正直なところ、守が生きていたというエピソードは「サービスしすぎ」に思えるが、しかし別れを前に一人肩を震わせるスターシャの姿を見ると、守の存在が、彼女を「女神」から私たちと同等の人間へと引き下ろす役目を果たしたのだなとわかった。こうしてヤマトは、スターシャという「女神」によって地球が救われる物語ではなく、彼らヤマトの隊員たちの勇気が地球を救う物語へと着地してゆくのだ。

 しかし、このあとの「ピックアップ」で後述するが、イスカンダルには謎が多い。ガミラス帝国の描写の厚さに比べると、わずか1話しか尺がないとはいえ、その光景やスターシャの言葉から読み取れるイスカンダルの「像」は、ガミラスに比べても相当に希薄である。1話しか登場しなかったビーメラ星ですら、もっとはっきりとした「像」が描かれていた。
 ここに、私は制作者らの限界を感じた。戦前、戦中に生まれ戦後の貧しい時期に育ってきた彼らにとって、独裁国家のガミラスや、地下都市で窮乏生活を強いられる地球の光景は容易に思い描くことができた。しかし豊かで平和で幸福感に満たされたユートピアとしてのイスカンダルを、より具体的に描くことが出来なかったのではないだろうか。なぜなら彼ら自身、そのような社会に生きてこなかったからである。< br>  今思えば、何もイスカンダルが滅びに直面した星であるとはいえ、スターシャただ一人しか居住者がいない、という極端な設定である必要はなかった。しかし平和で豊かだが、滅びに直面しているという相反する状況を端的に表現するには、一人きりになってしまったという描写が「手っ取り早かった」ということだったのかもしれない。なぜなら残すところ、本作はあと1話しかないからである。


ピックアップ 「イスカンダルの謎」

 とうとうヤマトは地球から14万8000光年離れたイスカンダルへたどり着く。ここまで、イスカンダルの情報はあまりに少なかった。だいたいの場所と、スターシャという女王が統治していることと、地球よりも圧倒的に進んだ科学技術を持っていること、ぐらいしか分からなかった。間近にきてようやく、地球の侵略者であるガミラス帝国と双子星の関係であることが分かったくらいだ。  しかし、その星に降り立つに至っても、まだ謎が多い。


(1)スターシャは女王というが、一体何を統治しているのか?

 到着してみて分かったのは、女王を名乗るスターシャただ一人しか、イスカンダルには人がいないということである。つまり、一人暮らしなのである。そこで「女王」といわれても、国家もなければ人民もいないイスカンダルは、もはや国家として機能を失った状態だといわざるを得ない。なぜ、一人きりでそこに居続けなければならなかったのだろうか。一体女王として、何を統治しているのだろうか?

(2)なぜ、スターシャは一人きりで、生きていけるのか?

 イスカンダルには、無数の墓があった。スターシャ以外の人間はみな死んでしまった、ということなのだろう。ガミラス同様に年老いた星で災害が絶えなかった、ということなので、これらの人はみな、大規模災害によって死に絶えてしまったのかもしれない。ではなぜ、スターシャは一人きりで生きていけるのだろうか。一人では、生産活動はできない。女王と名乗っているからには、当然、自ら生産活動に従事するということはないのだろう。しかし見る限り、生活に必要なエネルギーや物資は供給され、自ら農耕したり狩猟に出かけたりしなくても、日ごとの糧に困ることはないようだ。とすると、人間以外の何かが、それを代替しているのだろうか。それともスターシャ自身が、すでに人間ではないのだろうか?

(3)ガミラスは、なぜイスカンダルを移住先にしなかったのか?

 イスカンダルは、滅び行く運命を受け入れた星だ。一方のガミラスは、生き延びるべく移住先を探していた。この隣り合わせの星の住民は、もともとどういう関係だったのだろうか。デスラーとスターシャの間に「ホットライン」があったのは事実だ。長く使われていなかったようだが、デスラーはスターシャに対して「抗議、抗議、いつも抗議だ」と言っていたことから推察して、どうも両国の関係はあまり良好ではなかったようである。しかし、同じ運命とはいえ、イスカンダルの方がガミラスよりも、まだ環境破壊の度合いは少なく、何とか生き延びられそうに見える。手っ取り早くイスカンダルを侵略して移住しようとはしなかったのだろうか。あるいは共同で移住先を探すとか、人工的な居住空間を建設することも出来たはずだ。何が二つの星の関係を阻んでいるのだろうか?

(4)なぜ、スターシャは放射能除去装置「コスモクリーナーD」を持っていたのか?

 地球があと1年で滅亡する、というときメッセージを届けたスターシャは、イスカンダルには放射能除去装置「コスモクリーナーD」がある、と伝えた。では、なぜイスカンダルにそのような装置が必要だったのだろうか。必要に迫られなければ、そういうものは造られるはずもない。と考えると、ここから空想が広がってゆく。ガミラスの放射能攻撃を、実はイスカンダルも受けたことがあったのかもしれない。あるいはガミラスが攻撃を仕掛けた星すべてに、コスモクリーナーを取りにくるようにと使者を送ったものの、実際にそのメッセージを信じてイスカンダルまでやって来たのが地球人だけだった、ということもあるかもしれない。

 ・・・など、イスカンダルについて考えると謎は深まるばかりである。スターシャが逐一ヤマトの行方を数万光年彼方から把握していたのに、妹サーシャの死は知らずにいたなど、ツッコミどころも少なくない。この辺りは、やはりイスカンダルの描写の薄さが災いしているように思われる。守に見せた感情が彼女を「女神」からぬくもりを持った人間に変えたという見所もあるにはあるが、そのためだけに守を生かしておかなくとも、イスカンダルという世界を描くことでスターシャの人間らしさは描けたはずである。そしてイスカンダルを描くことは、私たちの生きるこの世界の先にある理想、ヤマトが地球に戻ったあとに作っていくべき社会を見せるという意味もあっただろう。その点、26話という話はあまりに少なすぎた。リメイクするなら、ここは大いに再構築されるべき個所となるはずだ(・・・残念ながら、リメイクされた作品はよりひどいことになってしまっていたが)


関連レビュー
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どんな時でも身だしなみ、おばあちゃんの遺言だ。───── 新米俵太

全宇宙は我が故郷、不滅の大帝国ガトランティスに敗北はない。
愚か者よ、戦いはこれからなのだ。 ───── ナレーター(木村幌)


あらすじ

 要塞都市に戦いを挑むヤマト、しかし圧倒的な力を持つ都市要塞は浮上して応戦し、ヤマトは窮地に追い込まれる。デスラーの教えた都市要塞の弱点を目掛け、古代と斎藤は捨て身の作戦を決行する。が、崩壊した要塞都市には意外な正体が隠されていた、、


都市要塞と戦闘するヤマト

Aパート:ヤマトの攻撃、都市要塞浮上
Bパート:都市要塞潜入、超巨大戦艦出現

コメント

 「さらば」では完全武装だったヤマトだが、2ではデスラーとの戦いで満身創痍、半壊した状態での戦闘である。波動砲も使えず、残った僅かな武器で海中から要塞都市を攻撃するヤマトだが、すぐに反撃され、上空から迫ったコスモタイガーも要塞の防御膜と対空砲に阻まれる。戦勢不利と見て要塞が上空に離脱したことから戦いは宇宙空間に移り、都市要塞の強大な武装にヤマトは苦戦を強いられる。
 「さらば」との違いは、この場面は彗星都市の砲火の前に次々と倒れていくヤマト乗員が2ではあまり死なないことで、「さらば」では彗星要塞との砲撃戦で森雪、佐渡、アナライザー、徳川、土方が死亡(5名)するが、2では名あり乗員は新米しか死なない。その後の要塞都市突入も加藤、山本、斎藤、真田が死亡(4名)するが、2では加藤と山本は仕方ないとして、突入して死んだのは(モブ乗員を除けば)斎藤だけである。
 つまり、都市要塞との戦闘で死亡したのは「さらば」が9名、2が4名で、いわば戦死で場を盛り上げていた「さらば」と異なり、2では人死に話はあまり使えないため、戦術を複雑にし、戦いのスケールをより大きく(海上から宇宙)することで対処している。戦いの話としては2の方が見応えがある。要塞のリング砲台の死角から攻撃したり、都市要塞への潜入も、着陸してすぐに動力炉に到着した「さらば」と異なり、2は正面からの突入を諦め清掃処理施設から潜入などより凝っている。また、サーベラーらの油断を描くことで、少数の兵団が大兵力である彗星要塞の中枢部に潜り込める描写がより説得的に描かれている。


清掃処理施設から潜入

 細かく比較すれば、ヤマト2最後の2話は「さらば」の劣化ダイジェストで、絵の質はより低いし、映画とテレビという大きさもクオリティも異なる絵を合わせた矛盾もある。人もあまり死なないし、「さらば」ではあった東宝戦争映画譲りの吹き飛ばされる彗星帝国兵士や次々と爆発するコスモタイガーによる滑走路での銃撃戦など戦闘の刹那を描きこむ細かい演出は2にはない。個々の場面も絵が精緻で、戦いの最中、古代やヤマトに怖いほどビームが着弾した「さらば」と違い、2は要塞砲でもあまり怖くない。「さらば」の要塞砲(ヤマトの主砲と同じかそれより大きい)にはちゃんと彗星帝国軍兵士が着座し、ミサイルや主砲に吹き飛ばされなどしていたが、2は砲手も灰色に塗り潰された自動砲台である。
 それでも、メディアや素材の制約のある中で、「さらば」と同質の感動を現出できていることは脚本と構成の巧みさであり、また、死を演出することで情緒的かつやや強引に感動を現出させていた「さらば」より、主要スタッフがほとんど死なない2はより論理的、より説明的である。
 ラストはお約束の超巨大戦艦登場、脱出の過程でサーベラーが見捨てられるというのは「さらば」にはなかった描写である。2の彗星要塞は「さらば」のそれに比べると居住空間の場面がより多かったので、戦いの間には多くの一般市民も犠牲になっていたはずだが、それを描きこむ尺はもう残ってはいない。
(レビュー:小林昭人)

評点
★★★★★ 元が良いので劣化テレビ版でもこのくらいの点数はやれる。テレビ用に映画並みの絵を起こしていればこの点数でも足りない。

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