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 宇宙戦艦ヤマト(1974)各話レビュー →宇宙戦艦ヤマト2レビュー

 第24話「死闘!!神よガミラスのために泣け!!」


あらすじ (人類滅亡まで、あと161日)

 濃硫酸の海に誘い込まれ、爆雷の攻撃を受けたヤマトは、ガミラスの地底の空洞を逃げ惑う。ヤマトとの本土決戦に持ち込んだデスラーは、その戦いをまさに楽しんでいた。窮地に陥った古代は艦長室を訪れ、沖田の指示を仰ぐ。沖田はうなだれる古代に「海へ潜れ」と告げるのだった・・・。

コメント

  諦めないで。今が一番大切なときよ。

 ユキの言葉に励まされた古代は、艦長室を訪れた。教えてください、僕はどうすればいいのか分からないんです、という古代に沖田は答える。「海に潜るんだよ」。沖田の助言は恐るべきものだった。そこから本作は、劇的な展開を見せてゆく。イスカンダルへ救いを求めに行く旅が、いつの間にか「ゼロサムゲーム」の戦いとなり、そしてこの回でヤマトは、ガミラスがそれまで地球でしてきたゲームを仕掛けていってしまうのだった。その発端が、この沖田の助言であった。

 沖田はなぜガミラスの海が強酸性になったのかを推察し、活発な火山活動をひき起している地下鉱脈があるだろうと推測した。そして、その地下鉱脈を見つけ出して波動砲で撃て、というのだ。そうすれば、ガミラスに大火山活動が誘発されるはずだ・・・。
 このままでは進退窮まってしまう状況に陥っている古代は、その沖田のアドバイスに一も二もなく「わかりました」と従い、島にヤマトの潜水艦行動を命じる。もし本当に大火山活動が起こってしまったらどうなるのか、を考えることもなく・・・。

 一方、海を潜ったヤマトを見て「万策尽きて自殺を図るのか」と高みの見物を決め込んでいたデスラーだったが、ヤマトの放った波動砲によって全土で火山活動が起こるのを見て、狂ったように笑い出す。それは急転直下の絶望の笑いであった。

 24話はいきなりクライマックス、という始まり方だが、本当のクライマックスは波動砲発射よりもその後にある。その結果が招いた事態に、最初に気づいたのはデスラーの懐刀、ヒスであった。これ以上の攻撃は、ガミラスを破滅へ導くことになる。そのことを悟ったヒスは、デスラーに和平を進言する。地球との共存の道を・・・そう訴えた彼はデスラーの放った銃弾に倒れる。
 古代もまた、その結果が招いた事態に呆然とし、その中で本当に取るべき道は何だったのかを悟った。デスラーが命じた天井落としのミサイル攻撃に応戦し、ヤマトで敵の心臓部に突入していった古代。ガミラスの落とすミサイルと、それを撃ち落として進軍するヤマトの総力戦に、年老いたガミラスの大地は耐えることができなかった。そして結果的に、彼らはガミラス本土を壊滅させてしまったのだ。

 ……ガミラスの人々は地球に移住したがっていた。この星はいずれにしろお終いだったんだ。地球の人も、ガミラスの人も、幸せに生きたいという気持ちに変わりはない。なのに、我々は戦ってしまった。……我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。…愛し合うことだった。勝利か。……糞でも喰らえ!

 この古代の慟哭は、アニメ史に残るものではないだろうか。この戦いは23話で見たように、どちらか一方しか生き残れない「ゼロサムゲーム」の様相を呈していた。しかし戦いではなく和平の道を互いが模索し始めたとしたら、そのゲームを別の形で終わらせることもできたはずなのだ。

 我々がしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。

 この一言のためにこの作品がある、といってもいいほどのメッセージ性のある古代の言葉を、なぜここに、このように語らせたのか。次の「ピックアップ」の項目で、その点について考察してみたい。


ピックアップ 「新しい世代のために」

 そこに、都市はなかった。ただ、廃墟があるだけであった。破壊の限りを尽くされた地上には音もなく、動くものもなかった。古代は知った。宇宙の一つの星が、今死んだのだ。 

 ガミラスとの死闘を終えたヤマトの甲板に立った古代は、その光景を見て呆然と立ち尽くす。そこには、死闘を戦い抜いた者としての歓喜はみじんもなかった。その光景を語るナレーションの言葉には、かつてないほどの重みがある。この重みはどこからくるのか。この言葉が表現する光景は、終戦を迎えた当時の日本の光景そのものではないだろうか。
 プロデューサーの西崎義展氏、監督の松本零士氏、脚本家の藤川桂介氏をはじめ、本作のスタッフは1930年代生まれ、終戦の頃にはみな小学生だったことになる。物心ついたときには、すでに日本は日中戦争の最中だった。そしておそらく、戦争が終わるまで日本が陥っていた窮状を体験しながら真実を知らず、米英に勝てると信じ、やがて自分もその戦いに加わることをさえ夢みていたに違いない。

 俺達は、小さいときから人と争って、勝つことを教えられて育ってきた。……学校に入るときも、社会に出てからも人と競争し、勝つことを要求される。しかし、勝つ者がいれば負ける者もいるんだ。負けた者はどうなる?負けた者は幸せになる権利はないというのか。今日まで俺はそれを考えたことはなかった。俺は悲しい、それが悔しい! 

 ガミラスの廃墟を目の当たりにした古代が口にしたこの言葉には、そんな彼らが玉音放送を聞き、日本の敗戦を知ってはじめて改めて目の当たりにした、無惨な敗北の光景に対する率直な思いが込められているのではないだろうか。「愛し合うべきだった」という強いメッセージの前には、すべてを奪われ、失った古代・・・ひいては作者ら自身の「負けたオレたちはどうなる?」という悲嘆と、戦うべきではなかった、という悔恨の思いがあるのだ。


 この回で、結果的にガミラス大虐殺をひき起すヤマトの攻撃について、それを命じた沖田と、実行した古代との間に「距離」が置かれていた点が目を引いた。沖田は病床にあり、攻撃方法を示唆したものの、指揮は古代に任せていた。戦うように命じたものと、実際に戦ったものとの立場と感情はここで切り離されているのである。古代が「我々は戦ってしまった」と言ったその言葉は、無謀な戦いに若い兵士たちを送り出した戦争責任者たちに向けて、無知であり無垢であるがゆえに従ってしまった自らを悔いる思いがにじみ出ているように思う。

 また、ヤマトを地底に導き入れたデスラーは、この戦いを「本土決戦」と言い放った。これもまた、第二次世界大戦末期の日本の状況を想起させる言葉である。「もうおやめください」と進言した側近ヒスをデスラーは容赦なく撃ち殺す。このように、70余年前の日本を覆っていた狂気をここに描き出すことで、古代の慟哭はよりリアルに私たちの心に迫ってくるのである。同じ過ちを繰り返してはならない。あの戦争を体験した作者らが次の世代の心にその思いを刻むために、古代の目を通して彼らは私たちに、自分たちの見たものを映し出してくれたのである。


関連レビュー
「宇宙戦艦ヤマト2第24話 死闘、二人の勇士!」



やらせてやってください、これが、最後の賭けなのです。───── 藤堂平九郎

まなじりを決して、ヤマトは彗星都市帝国に戦いを挑む。その敗北は地球人類の破滅につながるのだ。ヤマトよ行け! 明日の地球のために! ───── ナレーター(木村幌)


あらすじ

 デスラー艦に乗り込んだ古代は旗艦を捨てて退艦しようとするデスラーと対峙する。負傷して倒れた古代にデスラーが残した言葉は意外なものだった。デスラーが去った後、ヤマトは彗星要塞に最後の戦いを挑む。


デスラーとの因縁は決着

Aパート:古代対デスラー、デスラー去る
Bパート:テレサ復活、ヤマト地球へ

コメント

 映画と同じくデスラー艦で古代とデスラーが対決するが、映画との違いは負傷しているのは瀕死のデスラーではなく古代の方で(デスラーはピンピンしている)、あろうことか宿敵の前で出血した古代は失神してしまう。倒れた古代を庇う雪を見てデスラーが「愛に目覚め」改心するというお話だが、やや取ってつけた感が拭えない。やっぱりこういうのはこの脚本家(藤川)は苦手なのだろう。それに前話では宇宙服を着ていたタランがこの場面では普通の服を着ているというのも作画ミスにもほどがある。
 いずれにしろ、デスラーのこの戦いは通過儀礼であり、古代が乗り込んできた時点で彼の戦いは事実上終わっていた。それにしてもエネルギー伝導管に殴り付けられたり、デスラー艦の瓦礫に潰されたりと、ヤマト2後半の古代は災難である。
 ガミラスは去ったものの、デスラーとの戦いで波動砲が使えなくなり、主砲も2番砲塔しか使えなくなったヤマトはデスラーの言葉に彗星要塞攻略のヒントを得る。もっとも、このヒントはかなり難解で、本当にこれがあの要塞の弱点といえるものかどうかというものだが、とにかくヤマトは残った戦力で彗星要塞に戦いを挑む。


やった! テレサが復活したぞ!

 絵コンテが安彦良和なのでこの回ではテレサが復活する。やはり死んではおらず、彼女はガミラスファイターに宇宙に吹き飛ばされ、半死人になった島にしがみついて介抱している。前半の雪に続き、ここでもおのろけトーク全開(好き好き島さん)なので、元々書いた藤川にはさぞ苦痛だっただろうと思うが、正直、こういう場面に限っては別の脚本家の方が良いと感じる。


結局全員命令無視(古代→土方→長官)、ヤマトシリーズの伝統か?

降伏使節に退去を促し、成層圏から海中に突入して彗星要塞の真下に迫るヤマトのカットは本作中最高の名場面である。まるでディズニーのようなアニメーションの滑らかさ、高空から迫るコスモタイガー隊のスピード感、「これが最後の賭け」と大統領の命令に背く長官のカットなどは、下手くそな藤川の濡れ場シーンのどうしようもない感、こなれてない感を帳消しにして余りあり、木村幌のナレーションも相まってクライマックスへの緊張感をいやが上にも高めていく。
(レビュー:小林昭人)

評点
★★★★★ ラブシーンと無理やり改心させられたデスラーだけなら★2つか3つだが、テレサ生存とラスト5分間の秀逸さで★5つ。特にラストは今だにこれを超えるアニメのエンディングはないのでは?

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