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 宇宙戦艦ヤマト(1974)各話レビュー →宇宙戦艦ヤマト2レビュー

 第1話「SOS地球!!甦れ宇宙戦艦ヤマト」


あらすじ

 冥王星付近で謎の艦隊との戦いを繰り広げる、地球防衛軍艦隊。敵の技術力は圧倒的に高く、地球側の武器はほとんど歯が立たないまま、みるみるうちに 撃破されてしまう。自らの艦も損傷を受けた司令官の沖田十三は、残る古代守指揮のミサイル艦に撤退を命じて退却するが、古代守は男の意地をかけて最後の戦いに挑んでい くのだった。
  そのころ地球では、火星に墜落してゆく未確認飛行物体がキャッチされていた。火星の基地にいた訓練生の古代進と島大介は、指令を受けてその未確認飛行物体を追跡。墜落した機体から脱出した謎の美女が持っていた通信カプセルを地球防衛軍本部に送り届ける。
  そのカプセルには、はるか14万8千光年彼方のイスカンダル星からもたらされた重要なメッセージが記録されていた。それは、ガミラスの攻撃で放射能汚染され、もやは滅亡を待つのみの地球の希望をつなぐものだった。

コメント

 アニメ史上の金字塔の一つといっても良い作品。その第1話である。テレビ放映は1974年、今から30年ほど前にさかのぼる。しかし、改めて見ると、 その構想、プロット、作話技術、演出まで何一つ色あせることなく、視聴者の心をとらえて話さない何かがあることに気付かされる。
 主題歌、ストーリー展開などよく知られた作品であるが、その第1話は今見ても斬新である。まず、おなじみの主題歌だが、番組冒頭、いきなり伴奏なしのアカペラバージョン ではじまる。そして、冥王星での沖田率いる地球防衛軍とガミラスとの死闘が、何の状況説明もなく描かれる。そのはじまりは、実に「映画的」であって、ある意味視聴者には不親切きわまりない。しかし、その説明のなさゆえに、一体今ここで何が起こっているのだろうか、と真剣に画面に見入らざるを得ないのである。損傷した艦で撤退を決意する沖田。徹底抗戦を主張しガミラス艦隊に迫ってゆく古代守。そんな守の行く末を見守って回頭した沖田の前に、赤茶けて変り果てた地球が初めて姿を現す。
 ここではじめて、ナレーションにより私たちは地球がガミラスの遊星爆弾の攻撃により、放射能汚染されて滅亡の危機に瀕していることを知る。ここまで、わずか12分。すでに沖田の絶望と、それでも立ち上がろうとする想いに、私たちは絡めとられているのだ。

 これとあわせて、主人公の古代進とその親友島大介によってイスカンダル星からのメッセージがもたらされ、兄守を失った古代の哀しみ、そして佐渡酒造、森雪、アナライザーなど主要キャラクターの紹介がなされる。守の復讐を果たしたい進の無謀な出撃によって、私たちは、干上がった海底から無残な姿を突き出した戦艦大和のある場所へと導かれる。

 希望とチャレンジをもたらしたイスカンダル星からのメッセージ、ガミラスが目をつけていた朽ち果てた戦艦大和、兄守を死に追いやった沖田と彼を恨む主人公古代進…。滅亡の危機に瀕した地球を救うことが出来るのか、という大テーマの前に、気になる先行きがちりばめられている。これでは、次週も放送の時間に、チャンネルを合わせざるを得ないではないか。

 この時代、ヒットしたテレビアニメには、恐らく共通項が見いだせるはずだ。それは、何といっても魅力的で惹き付けられ、次の話を見ざるを得なくさせる「第1話」の存在である。なぜなら、この当時は今ほどに、マーケティングというものが行き渡らず、アニメ雑誌もなければインターネットもないので、あらかじめ想定される視聴者に前宣伝をふりまいて期待を持たせておくことなど叶わなかった。その意味で、「第一話」がすべての役割を果たさなければならなかったのである。何の事前情報もなしにこの「第一話」に出会い、そしてこの物語に引き込まれていった人々は、何と幸せなことだっただろうか。ステマなどの姑息な手段が行き渡った今では、そのような出会いは期待すべくもない。  今では、作品情報も知れ渡っているが、それであっても見て心を動かされる。まさに感動と期待の膨らむ第一話である。


ピックアップ 「放射能汚染」

 この作品の肝の一つとなっているのが、放射能で汚染されて滅び行く地球である。作品放映当時の1970年代中頃、日本は高度経済成長のただ中にあったが、前年にはオイルショックが始まり、また国内でも水俣病や四日市ぜんそく、光化学スモッグなど企業活動が原因の公害に悩まされるなど、生活や環境を脅かす状況が身近になっていた。
 また、国際的にみると東西冷戦のただ中にあり、米ソの核開発競争が激化する状況下にあって、核戦争の恐怖というものについても、明日起こるかもしれない、といっても良いほど、身に迫るものとなっていた。
 地球滅亡まであと365日、というヤマトの設定は、このような時代にあった若者たちに、リアルに迫る滅亡の危機を実感させるものであっただろう。それは、自由な想像力を働かせることのできる、SF作品の強みといえるかもしれない。
 一方で、現在は東日本大震災による福島の原発事故が発生し、放射性物質による環境汚染が現実のものとなっている。逆にこのような状況では、むしろ現実の事態の告発という側面が濃厚になる。現実に起こっていることを、婉曲な、空想的な表現で象徴化して問題提起するということもまた、SF作品の得意とするところである。今という時代の視点で見るとき、この放射能汚染された地球と、そこに生きる人々の光景は、違った形で私たちの心に迫ってくるものがある。


関連レビュー
「宇宙戦艦ヤマト2第1話 2201年ヤマト帰還せよ!」



地球と我々とでは文明の程度が違うのです。───── ラーゼラー


あらすじ

 ガミラスとの戦いから2年後、アンドロメダ銀河から白色彗星が飛来し、彗星帝国の大帝ズォーダーは復活したデスラーを従え地球征服を目論む。一方ヤマトは古代の指揮の下、辺境パトロールの任に就いていた。「ヤマトを試してみるがいい」というデスラーの言葉に彗星帝国の攻撃機がヤマトに襲いかかる。


彗星帝国の大帝ズォーダーはデスラーを同盟者として迎える。

Aパート:白色彗星出現、デスラー復活
Bパート:襲われるヤマト、新造戦艦アンドロメダ

コメント

 宇宙戦艦ヤマト、そのメイン脚本家である藤川桂介の書く脚本のムダの無さは筆者も良く知っているが、画面から目を離せない、このテンポの良さは藤川はヤマトで学んだのではないか。わずか22分の映像に巨大な敵白色彗星の恐ろしさにデスラー総統、ヤマトとの戦闘に新造戦艦アンドロメダ、テレサの通信、そして一癖あるアンドロメダ艦長土方の紹介までしているのだから、人気作の続編としてこれは申し分ない出来である。
 ただ、筆者として少し疑問を感じたのは映画では小さな護衛艦だった古代の艦としていきなりヤマトが登場していることで、これが少し重苦しい。この冒頭にパトロール中の古代が襲われというのはこの作品の定番フォーマットの一つだが、「ヤマトでも勝てないかもしれない」彗星帝国の恐ろしさを示したかったのか、単に古代がコスモゼロで出撃する場面を作りたかっただけなのか、艦種変更の理由は今となっては分からない。とりあえず、ここにヤマトを置くことで彗星帝国、デスラー、戦艦アンドロメダが分かりやすく繋がることはある。が、あまりに出来すぎているともいえ、この場面だけは劇場版の方が良かったとも感じる。
 再登場するデスラーはパート1の総統とは別人と言って良い。母国を失った彼は流浪のサムライであり、孤高で誇り高い人物である。もはや女を侍らせたり、ダスターシュートで総統府の瓦礫から逃げ出した姑息な総統の面影はない。それを幕下に加える大帝ズォーダーもただの略奪者ではない侠気のある人物として描かれている。デスラーは元々こうだったのか、それとも総統になって堕落したのかは分からないが、劇場版にはない、彗星帝国に客人として迎えられるこの描写が彼に貴種流離譚の流浪の王子のような一種独特の立ち位置を与え、ヤマトに不可欠なキャラクターとして不動の地位を築く契機になったことは否定できないだろう。
 デスラーの示唆と異なり、有り合わせの乗員しかいないヤマトは彗星帝国の攻撃に手も足も出ずに艦隊を損傷させる。「戦いは人間がするもの」、サーベラーらがヤマトを試した結果は図らずもデスラーの言葉の正しさを証明するものになったが、意外なほどのヤマトの脆さに彗星帝国の幹部たちはデスラーに対する軽蔑を露わにする。そしてヤマトは人間力ではない、機械力の権化のような戦艦アンドロメダと対峙した後、損傷した艦隊を率いて地球に帰還するのだった。様々な情報を織り込み、宇宙で何かが起こりつつあることを感じさせつつ、視聴者を物語の世界に引き込む、続編としてはほとんど完璧な出来のヤマト2第一話である。
(レビュー:小林昭人)

評点
★★★★ 外周パトロールの場面は劇場版の方が★5つ。

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