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 宇宙戦艦ヤマト(1974)各話レビュー →宇宙戦艦ヤマト2レビュー

 第2話「号砲一発!!宇宙戦艦ヤマト始動!」


あらすじ (人類滅亡まで、あと364日)

 地球では、各都市からの通信が途絶しつつあった。帰還した沖田は、訓練生の古代と島を呼び出した。二人は案内されるまま、宇宙戦艦とおぼしき艦の艦橋に立つ。外からは、ガミラス艇が執拗に攻撃を仕掛けてきており、宇宙からは空母が接近してきていた。沖田は古代と島に、この艦こそ戦艦大和を甦らせた宇宙戦艦ヤマトであること、そしてその使命について説明する。そして補助エンジンをスタートさせると、総員配置につけ、と命じるのであった。

コメント

 第1話のラストで、強烈なインパクトを与えた戦艦大和の姿。第2話ではいよいよ、その甦った姿が明らかにされる。
 冒頭のナレーションで丁寧にあらすじを振り返る、というフォーマットが、第2話からは定番となる。何も知らされていない古代と島に導かれ、宇宙戦艦に改造された戦艦ヤマトへと導かれてゆく。第1話とはうって変わって展開がスローなのは、この艦をじっくり見せよう、という配慮があってのことだろう。沖田が次々に命令を下し、パネルに電源が入れられてエンジンが始動する。土中からせり上がり、ぞの全容を見せるまでを、たっぷりと時間をかけて見せてくれる。
 しかし、特筆すべきはやはり、ここでこの戦艦の過去の来歴について、西暦1945年に遡って描いてみせていることだろう。第二次世界大戦末期、片道の燃料だけを積んで出撃し、悲劇的な最期を遂げるまでをしっかりと映像化して描いているのだ。

 戦って沈むことを運命づけられた艦、とも取れる表現だが、このあと沖田は意外なことを口にする。この艦はガミラスと戦うためではなく、選ばれた人類を地球から脱出させるために造られたというのだ。つまり本来は片道の旅に出てゆくのであり、彼らは生き残るために訓練された者ということになる。しかしイスカンダルからのメッセージを受けて、その旅は、地球を出て再び戻って来る旅へと変更された、というわけだ。

 「宇宙戦艦」というネーミングとその外観、装備から、この物語はガミラス星人との戦いを描いたものだと思われがちなのであるが、本来この船が甦らされた目的をとっても、またイスカンダルからのメッセージによって変更された目的から見ても、これは何をもってしてもまず、14万8千光年という未知の彼方にあるイスカンダル星への、宇宙探査の旅を描いた物語であると言えよう。戦争ではなく、ヤマトは宇宙への航海へ出るのだ。

 とはいえ、まだヤマトはようやく地中から全貌をあらわにしたばかりで、発進シーンは次回に持ち越しとなった。ようやく敵空母を撃破しただけなのだが、ガミラスのデスラー総統がしっかり反攻作戦に備えよ、と命じている辺り、敵の情報収集と分析能力は相当のもののようである。実はここではじめてガミラス星人の姿が映し出され、それが地球人とまったく変わらぬ容貌であること(肌の色も当初は青色ではなかった)も、放映当時は驚きを持って受け止められたかもしれない。過去の歴史とリンクさせる描写といい、どこまでも斬新さを追い求める「尖った」姿勢を今も感じ取ることができるように思う。


ピックアップ 「敗戦の記憶」

 ヤマトという作品を語る上で、宇宙戦艦ヤマトが戦艦大和を甦らせた船であるということは、非常に重要なポイントとなっている。第2話では約5分を割いて、かつての戦艦大和がたどった運命が描かれているが、それは単に、この船の過去の歴史を紹介しているのみならず、見る者に、一つの記憶、敗戦という歴史的屈辱の記憶を呼び起こさせるという意味合いも含まれている。
 1970年代当時は、まだ敗戦から30年弱しか時を経ていなかった。製作陣の中には、少年時代に敗戦を迎え、当時の記憶をしっかりと握っていた人も多かったのではないだろうか。
 そんなことを感じさせるのが、地中に埋もれてまだ動けないヤマトに対して、ガミラスが攻撃してきた場面である。古代進は動揺し、「このままでは、船がむちゃくちゃになってしまいますよ」と沖田に何度も進言する。しかし沖田は「うろたえるな」と一喝するも、なかなか動こうとしない。
 このときの古代の姿、そして彼の言葉は、かつて米軍の本土空襲になすすべもなく怯えながら、それでも日本の快進撃を信じざるを得ずにいた少年たちの心の叫びではなかっただろうか。「このままでは、むちゃくちゃになってしまう」。そんな、なすすべもない状況のなかで、戦艦大和は出撃し、そしてなすすべもないままに沈んでゆく。こうした歴史の中で味わった屈辱の記憶をゆっくりと呼び起こし、今、作中で彼らが感じているその屈辱と重ね合わせてゆく。
 それは、甦った「ヤマト」が希望の船となるために、避けては通れない道なのだ。


関連レビュー
「宇宙戦艦ヤマト2第2話 彗星出現・ヤマトを改造せよ!」



古代、何かあったな? ええ、そうだろ?───── 佐渡酒造


あらすじ

 地球に帰還した古代はヤマトのかつてのクルーと共に英雄の丘に集う。古代と森雪は婚約し、結婚を控えている。一方アンドロメダ艦長土方は帰路で通行権を巡る古代の態度につき彼を詰問する。送電システムを狙うナスカの攻撃があり、ヤマトがテレサのメッセージに呼応して発進することを予期したデスラーは彗星帝国を去り、テレザートに向かう。


英雄の丘でヤマトが攻撃を受けたことを語る古代。

Aパート:英雄の丘、土方の詰問
Bパート:ヤマト改造、ナスカの攻撃

コメント

 「古代の言う通りだ、沖田艦長はこんな地球のために命を賭けられたんじゃない。」
 ヤマト2の2〜3話はおそらく同シリーズ中、最も解釈の難しい話である。悲惨なガミラス戦から1年足らずで復興した地球、放射能除去装置の効能があったとはいえ、高層ビルやチューブカーまで復活するとは思えず、ペントハウスの洒落たレストランで談笑する古代と雪の様子は本当にこれがつい1年前まで地表が放射能汚染され、全市民が地下都市で生活することを余儀なくされていた星の姿かと思えるものがある。復興後の地球はかの大帝ズォーダーまでもが「銀河で一番美しい星」と言うまでに回復しているのだ。が、本当の問題は見掛け以外の所にある。復興した地球の住民は都市や生態系を回復させただけにとどまらず、ガミラス戦のことも戦艦ヤマトのこともすっかり忘れ去っていたのだ。この描写は放映当時としても違和感のあるものだった。あれほどの戦いの記憶を1年やそこらで忘れ去るということが、果たしてあるのだろうか?
 が、現在の我々はこの意味するところを理解することができる。あまりにも悲惨な惨害の場合、人間の記憶というものはそれを直視することを畏れ、できるだけ触れまい思い出すまいとするものなのだ。その実例を我々は東日本大震災で見ることができる。数多の町村が水没し、原子力発電所まで爆発した悲惨な災害の記憶は被災1年後にはかなり薄められ、原発に至ってはあれほどの放射能汚染にも関わらず再度建造し輸出までしようとしているのだ。幾つかの原発は断層直下にあり、津波が防護壁を乗り越える可能性のある発電所もあるが、国民はその意味するところを直視しようとしていない。そして、家や仕事を失った何十万もの被災者がいる。彼らは今もマイカーで流浪し、明日の生活も不確かな状態にあるが、国民がそれを本気で扶けるよう国に働きかける動きは見られない。そしてこれらは現在にも将来にも決して好ましい影響を及ぼすものではない。おそらくは東日本大震災の数十倍であろう太平洋戦争における惨害を考えると、この健忘現象は当時多感な小学生だった彼らが実際に見た光景のはずである。
 大マゼラン雲まで赴き、地球のために深宇宙を旅した古代とヤマトクルーは遠い宇宙の出来事が地球に影響しうることを知っていた。先の敵ガミラスも以前は存在さえ検知できなかった隣の銀河の異星人だった。宇宙からの謎のメッセージの実在は彼らにそれを調査する必要を感じさせたが、それが受け容れられないことも現在の連邦市民のムードを見れば分かり切った話でもあった。
 太平洋戦争後の日本は確かに奇跡的な復興を遂げたが、それは悲惨な内戦を経験していた隣国朝鮮や防衛を担当するアメリカ兵の犠牲の上にあるものだった。会社人間、エコノミック・アニマルと揶揄された日本のビジネスマンが国際情勢に無頓着で、市民としての責務、家庭もないがしろにして仕事に打ち込む間、隣の朝鮮では韓国兵が同じアジア人のベトナム人を殺しにインドシナに出向いていたし、アメリカ兵も同様であった。アメリカ人は月に足跡を記したが、同じ頃、同年輩の多くのアメリカ青年がインドシナの泥濘で命を落としていた。大義ない戦争は当事国に苦い記憶として残ったし、多くの国では学生が反戦の声を上げた。が、憲法9条を持つ日本はこの趨勢には不導体であった。米ソ冷戦のただ中にあって、一人経済のみを追求する自国の姿にいびつさを感じ、机上の空論であるダレスの戦略に異議を唱えたのは、日本でもやはり若者たちだった。その運動が実らなかったことを現在の我々は知っているが、当時デモに参加した人々は、やはり声を上げずにはいられなかったに違いない。
 あと、前話のデスラーによる「戦いは人間がするもの」という言葉がある。土方の乗る戦艦アンドロメダは極限まで自動化されたロボット戦艦だった。「この船では、敵に勝てない」、先ほどまでの被災体験やベトナム戦と異なり、真田の苦言は当時日本の成功体験を内包している。多額の資金に任せてオートメーションで対抗したアメリカやヨーロッパの事業者と異なり、日本は自動化を進めつつも熟練の要素も十分に顧慮した「かんばん方式」で立ち向かい成功した。ヤマトの時代はその成功が日本人の目にも明らかになってきた頃の話である。
 世界観のない愚劣な政治家、それと相反する聡明で有能な現場の人々(ヤマト乗員)の対比はまごうことなき当時の日本の光景である。そして、軍人でありながら艦船強奪を企図して決起するヤマト乗組員というのは、愚劣や不正義を許容しない、当時の若者の心中にあった彼らのあるべき姿である。
(レビュー:小林昭人)

評点
★★★★ 「統括する者の責務ではあるまい」、古代を諭す土方の大人な態度に感銘。

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