■第12話「スーパーカブ」
あらすじ
ラジオで鹿児島で桜が咲いたことを聞いた小熊たち三人は春を求めてスーパーカブで西に向かう。木曽路から近畿地方、中国を抜け、三人は九州の最南端、佐多岬に辿り着く。
Aパート:出発の朝、コミスブロート
Bパート:中国から九州通過、掴まえた春
コメント
おそらく現地取材に最も金が掛かっているであろうラストの九州ツーリング、日照角度まで考慮しての撮影と取材の入念さには頭が下がるが、これで喝采を送りたいのは監督とアニメのスタッフまでで、これは原作がポンコツだから気の毒なのである。
まず、全般として小熊たちの進行速度が6話の鎌倉行きと比べても速すぎる。現実には不可能なペースと時間なので、北杜市内でも十分怪しいものがあったが、この描写をまとめる人間が誰もいなかったのではと思わせる。後席に座る椎ちゃんをシートに縛り付け、下関付近では時速100キロ以上の猛スピードで彼らは九州に突入する。
もう一つは目的地を消化することに汲々としすぎ、聖地巡礼するカブマニアへの配慮が皆無なことである。カフェカブでツーリングする人間のいちばんの楽しみは一にグルメ、二に温泉、三に売春と酒であるが、目的地は半径60キロ以内には人家もない佐多岬で、他の場所も似たようなもので、これは食指をそそらないこと甚だしい。食事も飯盒飯とレトルト食品で、ごちそうといえば赤ズワイガニ(千円)だけ、宿泊はネットカフェに簡泊、温泉などにはカスリもしない。
ウェブでも聖地巡礼として北杜周辺はそれなりに上がっているが、放送後数ヶ月経っても12話関連のものはなく、これは現実的に困難なことに加え、計画それ自体に魅力がないためであろう。筆者も佐多岬くらいなら行っても良いが、もう少し美味いものを食いたいし、別府や九重の温泉は外したくない。
「目的地を定めないツーリング」は日本一周などで雑誌やウェブで紹介されることはあるが、それらの場合は天候不順やハプニングに備えて電車やバスなど別の手段を用意している。雨天ではバイクを置き、バスで目的地に向かうような。彼らにその用意のないことは明白で、原作の記述も本当に長距離ツーリングをしたことがあるのかという散漫なものなので、これは富士山と同じくいっそ原作を無視し、房総半島など別の場所に書き直した方が良かったのではないだろうか。
コミスブロート
直訳すると「軍隊パン」、ドイツ軍の食べ物なので黒パンがイメージされるが、実際には軍糧として食べられるパンの総称で黒パン以外のプレッツェルやブール、菓子パンなども含まれる。代表的なものはプンパニッケルといい、これは保存性を高めるために長時間焼成した水分20%の堅焼きパンで一斤1kgの大型のパンである。市販されているものは半斤で500gあり、ドイツの食い物なので大きさや重さがキッチリ決められている。このパンを焼く国家資格の職人をベッカマイステルという。いわゆるマイスター。
8話で椎の父親が焼いたラントブロートは直訳すると「田舎パン」だが、最近はドイツでも小麦粉を混ぜたもの(ミッシュブロート)が好まれており、100%ライ麦(ローゲン)で全粒粉(フォルコロン)のパンは少数派になっている。カフェ・ブールの黒パンも食べやすさからドイツでも一般的なライ麦3割、小麦粉(ヴァイツェン)7割のヴァイツェンミッシュブロートと思われる。
紅ズワイガニ
かに料理の本場は北陸だが、紅ズワイガニは山陰で水揚げされるカニで、本ズワイガニより小型で身が柔らかく、甘みもより強いとされる。大部分は加工用として缶詰などの原料にされるが、水揚港の近くでは漁獲直後の新鮮なカニを千円ほどで入手することができる。水気が多いため刺身には向かないが、新鮮なうちに茹でたカニは美味とされる。冷凍で身痩せしやすく風味も落ちやすいため、紅ズワイガニの茹でガニは産地限定のB級グルメである。
大津湖岸のカブの集会
別名を「カフェカブスタジアムin関西」といい、隔年で行われるホンダ後援の地方カブオーナーのミーティング。オーナーは自らを「カブ主」と自称し、機能的なカブの車体にこれでもかと趣味の悪いカスタムを施し、高価なパーツや装飾を施したカブを競わせて「最強の俺カブ」を決めるただの見栄自慢である。その行状は善良な市民というよりは愚連隊の集団といって差し支えなく、集団で道路を目一杯塞いで走行して道を渋滞させる。公園の芝生で焚き火をする。集団で遊歩道に駐輪して写真を撮る。自動車運転者の集団のはずが酒が入ると通行人に絡む。主催者が弁当持参を呼びかけているので周辺の飲食店に金を落とさない。イベント後の会場は古い車のオイルで汚れるなど札付きで、周辺住民にも煙たがられているものである。かつては京都の梅小路公園に出没していたが、現在は大津でも左翼活動家の集会や吹奏楽部の練習くらいにしか使い道のない、大津市のなぎさ公園市民プラザを定宿としている。
コースの選定
そもそもアニメのようなペースでこのコースを往くこと自体が現実的でないが、3月初旬に木曽路や山陰というコースを選ぶことには凍結や降雪の問題がある。諏訪地方と木曽路は北杜よりも寒く、道路も日陰は凍結しているし、山陰地方を含む日本海側は有数の豪雪地帯である。除雪されているにしても一部には残雪があり、また、通過中に降られたらオートバイはお手上げで、そのまま宿所に数日逗留ということもありうる。
アニメのように往きやすい道路を故意に避け、ワインディングロードや脇道を通る場合にはさらに条件が悪くなり、温暖な滋賀でも鈴鹿峠や八風街道には降雪リスクがある。これらの地域は長野や山陰ほど除雪や融雪剤に予算が取られておらず、冬季の関ヶ原を通過する時は長野以上に気を遣うというのが実感である。
監督は日照や方向まで考慮してコースの取材をし、現実感のある絵を作ることに心を砕いたが、肝心のタイムチャートがいいかげんなので、表現が精緻であればあるほど現実的にあり得ることとの落差が大きく、スタッフには本当に気の毒な思いがする。
「僕の背中に身を委ねる君」
12話のツーリングでは佐多岬まで寒空の下、一日何時間もハンターカブの後席に縛り付けられていた椎ちゃんについては、パッセンジャーの疲労消耗を考慮しない小熊と礼子の虐待ぶりに背筋が寒くなるが、そのオリジンが作者の嗜好が滲み出たこのフレーズ。あの嗜虐的取り扱いの本当の動機が劣情で、バイク男の背中にしだれかかった、目も虚ろに消耗したか弱い少女のあられもない姿見たさだったと分かるコメント。男の風上にも置けない所行だが、アニメで椎ちゃんがしがみついていたのは礼子で、男ではなかったことも書いた人間の卑怯(ひきょう)さを倍増させている。いずれにしろ、参加者の体調につき配慮することはライダーの義務である。ツィートは全文引用しようかと思ったが、背中からゲジゲジが這うようなエロ気色悪いポエムなので、惻隠の情で載せないことにした。
リトルカブ
旅を終えた椎は小熊らに触発され、原付免許を取得してリトルカブを購入するが、このリトルカブという車、実はかなりゴージャスである。CA型の車体に郵政カブの14インチホイールと共に移植されたのはカブ最強と名高いC50カスタムのコンポーネンツで、カスタムの特徴である4速ミッションは同時期にはこの車しか装備していなかったものである。セルモーターも搭載し、キックによらない始動も可能である。スペックは後のJA型カブと同等だが、軽量と乗りやすさでは勝っている。速度性能も時速60キロは容易に達成でき、CA型カブの生産終了時には唯一の4速車だった。
現在から見ればかなり魅力的なスペックのリトルカブだが、販売当時は必ずしも人気車というわけではなかった。当時はDJ−1やチャンプ、セピアなど2ストスクーターの全盛期で、ロードスポーツもRG50Γなど7馬力級のモデルがあったことから若者の目はそちらに向けられ、重くて鈍重なカブには誰も見向きもしなかったというのが本当である。
リトルカブはそんな時代に中高年や女性など実直なユーザーを開拓するために投入されたが、女性にはロードパルより割高に見え、中高年はトヨタ・クレスタに夢中の時代にあってはこれも成功したとは言いがたい。
当時の2スト車のほとんどが寿命で姿を消した現在、カブ譲りの堅牢な構造で当時物が生き残っているリトルカブには懐かしさを覚えると同時に、その真価を見抜けなかったことには一抹の後悔もあるというのが、当時を知る人の率直な思いではないだろうか。
その後のツーリング
原作のその後は佐多岬から宮崎シーガイアに行き、阿蘇山火口や唐津で遊んだ後、山陽道で西日本を横断して伊勢志摩で海水浴をし、礼子の提案で富士山周遊して帰ったことになっている。この内容で距離的にも時間的にも行路より短いことはありえないが、帰路は行路よりもさらにハイペースで走行したと見られる。
日程では実際に催行した場合の推定時間は記さなかったが、筆者の試算では行路だけでも6泊7日、帰路も含めると総走行距離4,050キロ、16泊17日という大旅行になる。こうなると体力はもちろんのこと、時間的、予算的に可能かという問題になる。聖地巡礼をする「カブ主」にはぜひトライしてもらいたいが、できないだろうし、筆者も御免こうむる。
評点
★★★★ 計画はずさんだが楽しいエピソード。
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