レビュー
映画といってもドラマはなく、ゴジラ出現の予兆による災害の発生から鎮圧までを、時系列を追いながら、もし現実にこういうことがあったら政府・官邸はどう動くのかを実録風に描いた作品。ものすごい数の人物が登場するが、実質ゴジラ鎮圧の指揮を執る矢口(長谷川博己)以外はモブキャラといってもいい扱いだし、彼とて、彼自身のキャラクターが描かれるわけでもないので、ある意味本当に「こんなことが起こったんだな?」という感覚で、茶の間で災害のニュースかドキュメンタリーを見ているかのような解離感があった。
ゴジラの巻き起こす破壊の様相は、海からの上陸時は大津波の発生を思わせ、上陸後、放射能を撒き散らしながら市街地をなぎ倒していくさまは原発事故を思わせ、全体として、ゴジラを東日本大震災のカリカチュアと思わせる作りとなっており、であるからこその、官邸中心の政治劇としての構成となっているのであろう。東日本大震災のときは民主党の菅政権で、本作の公開時は自民党の安倍政権だった。首相の大河内(大杉漣)は上陸したゴジラが官邸に向かっていると聞き、矢口らのすすめでヘリコプターで脱出するものの、ヘリがゴジラの攻撃で撃墜されて首相以下主要大臣は死亡、内閣は壊滅状態になってしまう。そこで、矢口がかき集めた「霞ヶ関のオタク・変人」部隊の存在が浮上し、臨時総理となった里見(平泉成)の鷹揚さと相まって、物語は奇跡の撃退劇へと転調していく。
現実に起こったことを引き合いに出すのは野暮かもしれないが、あのとき、原発事故を見るためにヘリを飛ばした菅首相の行動が批判されていたことを思い出してしまう。作中で首相を殺してしまったことで、「あの政権でなかったら、俺たちもっとうまくやれたのにね」という皮肉のように見えてしまい、ゴジラという存在と、それが出現したことの意味、という一段上のテーマを積み上げるところまで話が深まっていかなかった。とても表層的な作品にまとめられてしまったことは残念である。
ゴジラでありながら、ほぼ政治劇である本作には、ゴジラ自身の物語もなければ、国民目線の物語も描かれることはない。いわば、政治万能主義とでもいおうか、国民と、ゴジラとの間を「政治」の壁が隔てているのであって、おそらく、あの作品の中でゴジラの出現のゆえに災難に見舞われた人々は、何が起こってどうなったのか、さっぱりわからないまま、ただ厄災が過ぎ去っていったということで終わっただろう。映画を見ての感想もそれと同じで、何か心に残るものがあったかといえば、特にないというのが正直なところである。強いていうなら、理想化された政府役人という現実逃避であろうか。
しかし、今の現実に立ち返ってみると、新型コロナウイルスという、本作のゴジラのように変異しつつじわじわと押し迫ってくる生命の危機に対し、今の政治はまったくの無能をさらけ出している。未曾有の災害に混乱する政治、というのはカリカチュアでもなんでもなく、現実の方がこの100倍も1000倍もひどかった、ということを本作を見て認識させられるのは、なんとも辛い経験であった。逆にいうと、首都東京をなぎ倒し、光線を発して上空の「敵」を次々に落としてゆくゴジラの破壊に爽快感を覚えた。どうせフィクションなんだから、もっと派手にやってほしかったものである。
評点 ★★★
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