レビュー
一枚の、歴史に残る写真がある。1945年9月27日に撮影された、昭和天皇とGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーが会見したときの写真だ。マッカーサーは腰に手を当てたノーネクタイのラフな格好で、リラックスした様子。その右の昭和天皇は燕尾服姿の正装で直立不動。現人神とあがめられた天皇が人となり、しかもアメリカ軍の軍人の方が見るからに上に立っていることを印象づけ、当時の日本人に敗戦という事実をむざむざと見せつける一枚であった。
この会見で、マッカーサーと昭和天皇がどんなことを話したのかは、明らかにされていない。しかし、この会見はその後の日本の運命を決定づけるものの一つとなったことは確かである。では、なぜこの会見が実現したのか。そして、ここで一体どんなことが話されたのか。終戦直後の日本で、マッカーサーの命を受けた一人の将校を通して、その道筋を解き明かしていくのが、本作である。
連合国の最高司令官として日本に降り立ったマッカーサーは、知日派のボナー・フェラーズ准将に10日間で、この国の戦争責任を負うべきものは誰なのかを探し出せ、特に天皇にその責任があるのかどうかを調査せよ、と命じる。マッカーサー自身は、日本国民の反発とその後の混乱を恐れ、できれば天皇の逮捕、処刑は避けたいと考えていた。フェラーズは調査に乗り出し、政府中枢部にいた要人を次々に上げて面談しようとする。そして東条英機、近衛文麿と面談を果たすが、天皇は「神聖にして侵すべからず」とされ、自らの意志を表現することなく、またもしそうであっても責任を問うべき存在ではないために、天皇が開戦の意思決定にどのように関わったのか、はっきりとした答えを得ることができずにいた。フェラーズは、天皇の側近であった木戸幸一との面談を希望し、木戸から応じるという連絡を得るが、彼は約束の時間に現れず、大きな失望を味わう。
もう一つ、フェラーズには個人的に探したい人物がいた。開戦前、大学で学んでいた彼と親しかった日本人留学生、島田あやである。故郷を遠く離れた異国のアメリカで一人学ぶ彼女を「勇気がある」と感じていた。しかし彼女は日本に帰国せざるを得なくなり、開戦直前の日本に彼女を訪ねて来たことがあったのだ。
調査の傍ら、彼はあやの実家を訪れるが、そこで彼女が空襲で亡くなったことを知り落胆する。だが、彼を戦前と同じように親しく迎え入れたあやの叔父は、軍人としてサイパン、沖縄で戦ってきたという。そんな彼からフェラーズは「日本人の忠誠心の源は信奉」という言葉を聞き、日本における天皇の存在を理解するためのヒントを得た。
このあやの叔父、鹿島大将はあやとともに恐らく架空の人物と思われる。海軍大将なのにサイパン、沖縄という激戦地で戦ったとか、しかもそんな激戦地で戦いながらなぜ自決もせずに生き残っているのか、と思わず突っ込んでしまう設定なのは残念だが、しかし鹿島との対面をきっかけに物語は動き出す。調査が行き詰まる中、フェラーズは宮内次官の関屋貞三郎と面談するために強引に皇居へ踏み込み、そこで開戦前の「御前会議」の中の天皇の姿を知る。さらに、一度は面談を拒否した木戸幸一がフェラーズのもとを訪れ、そこで、「御前会議」でポスダム宣言受諾の「聖断」が下されてから「玉音放送」が流されるまでの経緯を知ることになる。
昭和天皇とマッカーサーとの会見の瞬間、というクライマックスに向けた長い長い導入という構成の作品で、歴史的経緯に興味がなければ退屈に感じる展開かもしれない。しかし、私は引き込まれた。誰もが知るあの歴史的瞬間に至る道が、組織の論理ではなく、上官に信任された一人の将校の、綿密な調査からもたらされたきわめて個人的な考察によって開かれた、ということが明かされていくからだ。また、それによって、日本人の心に「敗戦」の文字を刻み付けたあの写真に、別の姿が浮かび上がってくるからだ。
フェラーズは、マッカーサーと昭和天皇の会見の冒頭、口を開いた天皇のお言葉を聞いて安堵の表情を見せる。与えられた10日間という時間はあまりに短かったが、それでも彼は、その調査を通して、日本人の「信奉」に似た思いを持つに至ったのではないだろうか。自分自身が、終戦に至った経緯をもとに推察した通りの方であったなら、天皇はきっとこう言うであろう、と。
その一言を聞いて、フェラーズは会見の場の扉を閉じる。この一言のために作られた映画。だがそれによって今があるのだとしたら、それだけで、充分に作られた価値があるのではないだろうか。
本作はキャスティングもよく、マッカーサー役のトミー・リー・ジョーンズはさすがの存在感。ただ、写真の印象よりヨレっとした感じになっていたのは気のせい? 東条英機(火野正平)、近衛文麿(中村雅俊)、木戸幸一(伊武雅刀)、そして鹿島大将(西田敏行)といずれもぴったりの配役だった。関屋貞三郎(本作のプロデューサーである奈良橋陽子氏は孫にあたる)を演じた夏八木勲は、このあと日本で大ヒットした「永遠の0」にも出演しているが、本作では強引に宮中に乗り込んできたフェラーズと対決する侍従役、朗々と短歌を詠み上げる演技は圧倒的だった。改めて、日本映画がダメなのは俳優の演技ではなく、企画、構成、脚本、編集といった製作スタッフに関わる部分だと実感した。
評点 ★★★★★
http://www.muddy-walkers.com/MOVIE/emperor.html映画レビュー|終戦のエンペラー
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