MUDDY WALKERS 

アビエイター  The Aviator

The Aviato 2004年 アメリカ 169分

監督マーティン・スコセッシ
脚本ジョン・ローガン

出演
レオナルド・デカプリオ
ケイト・ブランシェット
ケイト・ベッキンセール
ジョン・C・ライリー
アレック・ボールドウィン
アラン・アルダ

スト−リ−

 1920年代、石油掘削機械の製造販売の会社を経営していた父を亡くし、19歳でその莫大な資産を相続したハワード・ヒューズは夢の一つだった映画製作を開始。飛行機の操縦に長けるヒューズは自らも操縦桿を握ってく空中戦の撮影を指揮するなどし、3年がかりでようやく完成させる。一方でもう一つの夢である航空機事業にも着手し、世界一速い飛行機の開発を始めた。そんな彼には、潔癖性だった母親の影響からか、何度も手を洗う、他人の触ったものに触れることが出来ないなど極度に不潔を嫌う一面があった。時代の寵児となったヒューズはそんななかで女優のキャサリン・ヘプバーンと知り合い恋愛関係になるが、やがてその関係は破綻する。航空事業に未来を見いだしていた彼は、トランス・ワールド航空のオーナーとなり、第二次世界大戦が始まると、軍隊を短時間でヨーロッパまで派遣するためには大型の輸送機が必要だ、と世界最大の輸送機ハーキュリーの開発に全力を注ぐようになる。しかし開発中の航空機のテスト飛行で墜落し重症を負ってから、次第に彼の強引な手腕に疑惑の目が向けられるようになり…。

レビュー

   地上の富の半分を所有した、とさえ言われるアメリカの実業家、ハワード・ヒューズの半生を描いた伝記的な作品で、ハワード・ヒューズをレオナルド・ディカプリオが演じる。 アメリカの最も華やかな時代、輝ける未来が次々に切り開かれていった時代。巨万の富を手に、そんな時代の「先」を駆け抜けてゆこうとする青年実業家。ヒューズは実業家、映画製作者・飛行家という多くの顔があり、また奇行や謎の死といった側面も持つ人物だが、そんな中で「アビエイター(飛行士)」という切り口から、彼が指揮し、設計し、飛翔して作り上げていった時代を描いた超大作で、まさにそれにふさわしい、華やかでゴージャス、それでいて緻密で繊細な作品となっている。

 ハワード・ヒューズは日本ではどちらかというと馴染みの薄い人物だが、たまたま以前にテレビのドキュメンタリーか何かで、航空産業の実業家としての人生の一端に触れたことがあった。その中で一番強く印象に残ったのは、何といっても彼の奇癖、全裸で映写室に引きこもり、延々と自分の撮った映画を見続けるという、精神的に病んだ姿だった。億万長者でありながら心を病んでいる、というコントラストが強烈だったのだ。下手をすれば「だから人は決してお金では心が満たされない」というありがちなオチになりそうな話だが、さりとて、この描写なしにはこの人物は描けないだろう。そう思わせる何かがあり、本作はそれを観るものに投げかける形で、うまく描き込んでいたと思う。

 波瀾万丈の人生を歩んだ、と紹介文では紋切り型に書かれるハワード・ヒューズだが、映画を観ると、それはちょっと違うと思えてくる。彼は巨万の富を手に、自分の好きな映画、航空機にのめり込んだ。それだけでなく、結果を残した。しかし、地道な苦労を重ねてその富を築いたわけではない。自分ではどうしようもない運命に翻弄されたわけでもない。波瀾万丈だが、どちらかといえば自ら先頭に立って周囲に波瀾を起こしていたのだ。だから、むしろ映画で観る彼の人生は、むしろ平板にさえ見えた。飛行機が安定して飛行していれば、どれだけ高速であっても静かに、停まっているかのようにただ進んでいく、というのと似ているかもしれない。

 女優キャサリン・ヘップバーンと親密な関係になったヒューズは、彼女の両親の暮らす家に招かれる。そこで、事業で稼いだお金を好きな道楽に使っている、と揶揄された彼は、「金があるからです」と悪びれもせずに応える。「金があるから、好きな飛行機を作っているのです」と。ある意味、そこに彼の人生が集約されているような気がした。世界最速の飛行機を飛ばすのも、世界最大の輸送機を作るために試行錯誤するのも、好きな飛行機のためなのだ。実業家でありながら、ある意味事業によって得る「利益」や失敗による「損失」に対してはほとんど無頓着といってもいい姿勢が感じられるのも、恐らくそのことによるのだろう。ただ純粋に、彼は愛するもののため、そして未来を切り開くために自らの富と天才的な能力を費やしていったといえる。それが、この人物の最大の魅力であり、その純粋性のゆえに、反動として強迫障害に苦しまなければならなかったのだろう。

 とはいえ、映画の中のヒューズは、漫然とストーリーを追っている中ではさほど魅力のある人物には見えない。強迫障害に苦しめられるのは中盤を過ぎてからだが、前半から、記者に囲まれてフラッシュを浴びせられたときの歪んだ表情、映画俳優たちがディナーの席に乱入してきたときのいらだった様子など、神経質すぎる描写に、いつ彼はキレてしまうのだろうかとハラハラする。そんな彼が全裸で映写室に引きこもるのには悲しくも納得してしまうが、その後に、魅力を発見するエピソードがあるとは思わなかった。恐らくこの映画の最大の見せ場は、一見一番地味である、公聴会での尋問なのだ。不正疑惑を追及する議員に反論し、逆に追い詰めていく弁舌のあざやかさ。その言葉の中にこそ、彼の「純粋性」という魅力が凝縮されていると感じた。それは、同じ様に巨万の富を手中にしながら、果たして今のアメリカの富裕な人々は、未来への選択のためにそれを費やそうとしているのか、一体何に費やそうとしているのか、そんなことを問いかけようとしているようにも思えたのだった。 見終わった後は、ただその人物像と人生と、それを描き出す映像の美しさにただただ圧倒されてぼーっとしていたが、あとから、いろいろな思いが湧いてきたのが面白かった。観る人によって心に残る場面は違っているだろう。敢えてスコセッシ監督とディカプリオは、強く残るテーマやメッセージを前面には出さなかったと思う。しかし、ただ「お金持ちが、好きなことにお金を使ってみんなを魅了しました」では終らない何かがある。それが何か、考えてみるのも面白いのではないか。

 余談だが、ヒューズが作らせた世界最速機は外装の空気抵抗を減らすためリベットを平らにする技術が使われたが、このアイデアが盗まれて、かの日本軍の零戦が出来た、という話をこの映画で初めて知った。それにしても、映画で観たヒューズの生きた時代の雰囲気は、とても当時の日本と同じ時代とは思えない。そんなところにも、密かに驚愕したのだった。

評点 ★★★★★

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