MUDDY WALKERS 

アレクサンドリア  Agora

アレクサンドリア 2009年 スペイン 127分

監督アレハンドロ・アメナーバル
脚本
アレハンドロ・アメナーバル
マテオ・ヒル

出演
レイチェル・ワイズ
マックス・ミンゲラ
オスカー・アイザック
マイケル・ロンズデール
アシュラフ・バルフム

スト−リ−

 4世紀のエジプト。巨大な灯台や世界最古の図書館を有した古代都市アレクサンドリアにも、キリスト教改宗の波が押し寄せてきていた。美貌の女性哲学者・天文学者のヒュパティア(レイチェル・ワイズ)は図書館長テオン(マイケル・ロンズデール)の娘で、多くの弟子を教え慕われていた。弟子の一人、オレステス(オスカー・アイザック)は劇場で笛を吹き、彼女に愛を告白するが、ヒュパティアは月経の血のついた布を彼に手渡し、その愛を拒絶した。彼女に仕える奴隷ダオス(マックス・ミンベラ)も思いを寄せる一人だったが、身分違いのため思いを胸に秘めたままでいた。そんなある日、キリスト教徒アンモニウス(アシュラフ・バルフム)がセラピス神を崇拝する科学者たちを挑発し、一発触発状態になる。セラピス神を崇拝する人々はキリスト教徒を攻撃し、それに対してキリスト教徒が集団で報復してきたため、科学者たちは図書館に逃げ込んで籠城する。そんななか、奴隷ダオンは愛するヒュパティアに叱責されことで図書館から脱走し、キリスト教徒となってアンモニウスの下で多神教の信者、そしてユダヤ教徒の迫害活動へと走ってゆく。多くの多神教信者がキリスト教に改宗する中、改宗を拒み続けたヒュパティアは地球と惑星の動きを解明しようと研究に励み、ついに地球の軌道が円ではなく楕円であることを突き止めるが、キリスト教徒のトップ・キュリロス主教の弾圧の魔の手が迫りつつあった…。

レビュー

   幻の大灯台や最古の図書館があった古代都市アレクサンドリアの興亡、そしてそこに生きた美貌の女性天文学者ヒュパティアの活躍と悲劇的な最期を描く歴史大作…と聞けば、歴史好きなら誰しも胸躍るだろう。予備知識なく観たのだが、あのアレクサンドリアが舞台とわかり、またビュパティアという人物がどういう人物なのかわかるにつれ、映画全体への期待感も高まっていった。加えて、アレクサンドリアの風景が見事に再現され、その舞台の持つ歴史のドラマ性を画面から感じると、さらにこれから展開されるドラマティックな物語へ、引き込まれていきたい!と願うものだ。だが、そんな素晴らしい歴史上の人物、舞台、歴史的事実がありながら、全体に盛り上がりに欠けた、平板で淡々とした作品に終始してしまっていて、やや退屈とさえ感じる出来だった。  

 なぜだろうと考えてみると、まず主人公のヒュパティアという希有な人物を取り上げながら、彼女が物語の中心になっていないことがあると思う。映画を見ていればよく分かるが、監督の興味・関心がどこにあるかというと、図書館を破壊し異教徒を虐殺したキリスト教徒の横暴と、ヒュパティアの悲惨な死であって、その他のことはすべてその関心へ観客を惹き付けるための要素にすぎなくなっているのだ。それは、物語の起承転結の「起」がキリスト教徒アンモニウスの異教徒への挑発であること、彼らがまるでショッカーかタリバンのように黒装束に身を固め、それこそ「わしらが悪役でっぜ!」と観客に分かりやすく、あまりにも分かりやすくアピールするよう描かれていることからわかる。それに比べると、ヒュパティアが哲学者、また科学者として弟子を取り頭角を現すまでの歩みとか、アレクサンドリアの図書館がどれほどの蔵書を持ち、当時どれほど科学・文化の中心地として栄光を輝かせていたか、といったことには、ほとんど関心がないように見える。物語は、ヒュパティアの活躍やアレクサンドリアの栄光からではなく、多神教VSキリスト教の宗教戦争に始まり、異教徒であるヒュパティアの殺害で幕を閉じるのである。ヒュパティアの生き様とアレクサンドリアの興亡を期待した観客にとっては、「起承転結」の「転結」だけを見せられただけに終ってしまっているのだ。その間にちょこちょこと、ヒパティアが科学の実験をして地動説の証拠や、天体の動きを明快に説明するための理論(ケプラーの法則の1000年前に、彼女が、地球は楕円軌道で公転していることを発見した、というのだ)を追究している様子が描かれる。

 彼女を愛していた弟子たちは、長いものに巻かれろ式にみんなキリスト教徒になっていて、ヒュパティアにも、あなたも同じ様に長いものに巻かれたらどうだ、と薦める場面がある。そこで、もともとは彼女が彼らに教えたユークリッドの公理を用いて、「同じものに等しいものは、互いに等しい」(だから、僕らと同じものになりなさいよ)と諭すのだが、それは、スピルバーグ監督が映画「リンカーン」の中で、黒人と白人とが人間として平等だ、という信念を言い表すために引用したのと同じ公理だった。本作での、そのあまりに打算的な使われ方にがっかりしたが、その公理の引用の仕方のズレがヒュパティアと弟子たちの心理のズレを表しているようでもあり、製作者と見ている私の気持ちのズレを表しているようでもあり、なんだか悲しかった。

 一番腹立たしかったのは、ヒュパティアが楕円軌道を発見した、というくだりである。宗教弾圧によって、科学の発展が遅れたと本作は主張しているのだが、その論拠となっている楕円軌道の発見が、どうもフィクションらしいのだ。つまり自己主張のために、ヒュパティアの業績を「盛って」いるわけである。自分の信念を貫き通し、真理を守ろうとしたヒュパティアという人物を描くのに、これほどふさわしくない方法があるだろうか。

評点 ★★★

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