レビュー
連合艦隊総司令官山本五十六につづく、役所広司の軍人映画第二弾。今回は最後の陸軍大臣となった、阿南惟幾を演じる。阿南といえば、8月15日の敗戦の日に切腹したことで有名である。ということは役所にとっては「最後の忠臣蔵(2010)」に次ぐ、切腹映画第二弾ということになる。
つまり、映画最大の見所は、阿南の切腹シーンということになるが、それ以外にも見るべき点はある。
まず、これまでの和製戦争映画としては、非常に映像が美しいことである。終戦まぎわの東京が舞台なだけに、多少空襲等に場面はあるものの、戦闘シーンはないに等しく、場面の中心は軍人や政府首脳の会合であったり個人邸での密談になっている。そうした場面が、セットではなく日本各地に現存する明治から昭和期の歴史的建造物を舞台に繰り広げられるのだ。そのため、セットにはない格の高さが映像にあらわれており、いつもなら、どう見ても現代人にしか見えない軍国日本の若手将校たちが、ちゃんと軍人顔に見えてくるから大したものだ。登場する歴史的建造物は、舞鶴にある赤れんが倉庫群や東郷平八郎邸、京都府庁旧本館や大覚寺など。わが地元滋賀県でも、彦根城や近江商人・藤井彦四郎邸で撮影が行われている。ただ、宮城(皇居)に京都御苑を用いたのはどうだったのか。天皇を東京に奪われた京都人の誇りをズタズタにするような場面はちょっと引っかかるところであろう(私は京都人ではないので何とも思わないが)。
というわけで、明治から昭和の日本の名建築を鑑賞できるという意味で、非常に見応えのある映像であった。
そんな気合いの入ったロケが行われたせいか、役者の演技も光っていた。特に昭和天皇を演じた本木雅弘は、昭和生まれの人の記憶にある天皇陛下の面影を感じさせる演技で素晴らしかった。また、自分が戦争を終わらせる、という決意で首相になった鈴木貫太郎を演じる山崎努も、熟練といえる演技でこの大役を全うした人物を熱演していた。玉音放送をさせまいと録音テープを奪おうとする青年将校、畑中を演じた松坂桃李は、大河ドラマ「軍師官兵衛」で黒田長政を演じたときに目が留ったが、クーデターという暴挙に走ってしまう、ある意味一途で純粋すぎる人物として役割を演じきっていた。
ところが、そうした役者の輝きも、この脚本、この編集ではまったく生きてこないのが残念の極みである。本作のメインは、言うまでもなくポツダム宣言を受諾したあと録音された天皇の玉音放送を、8月15日に放送させず、戦争続行を訴えようと蜂起した畑中ら青年将校たちの起こした事件である。しかし、そこに行き着くまでに延々1時間以上も、ポツダム宣言を受諾するかどうか、をめぐって繰り広げられる会議、会合、密談を見なければならず、しかも、ナレーションも人物名を示すテロップもまったく出ないので、みな歴史上の人物でありながら、誰が誰だかさっぱり分からない。またポツダム宣言受諾に待ったをかけた最大の論点である「国体の維持」についても分かりやすい説明がなかったし、そもそも、なぜ陸軍の面々が上から下まで、戦争続行、一億火の玉、総玉砕を切望したのかも伝わってこない。ただ淡々と、起こった出来事を時系列に並べているだけのように見え、そうなると、まったくストーリーに入っていけずに、DVDを見ながらアイロンをかけたり、ネットでロケ地を検索したりし始めてしまうのだった。
そんなわけで、役所広司の「山本五十六」が延々、五十六のいい人ぶりや家族愛ドラマを繰り広げ、死の場面は御涙頂戴式にさんざん盛り上げたのとは反対に、本作の役所広司演じる「阿南惟幾」は切腹シーンにかなりの時間を割きながら、淡々としすぎて何の感慨もなく、あら、まだ死んでないの的な冷めた目で見てしかうという、人を冷血漢にさせるような映画に仕上がっていた。
おそらく、監督としては日本映画の悪しき伝統、家族愛からのお涙頂戴ドラマを廃してリアルなドキュメンタリー風の作風を目指したのであろうか、しかし、ただ淡々と流すだけでは作品にはならないのである。この一連の歴史的事実を、監督自身がどう評価し、どんな批判的精神を持って描こうとしているのかが見えないと、単なる事実の羅列になってしまう。見る側に判断を委ねたとしたら、それは監督自身の「逃げ」に他ならないのではないだろうか。
評点 ★★
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