レビュー
2013年邦画の大ヒット作品だけあって、近年の流行を取り入れた斬新な戦争映画であった。斬新といえば、福井晴敏原作の小説を役所広司主演で映画化した「ローレライ」を思い出す。太平洋戦争末期には、超能力の活用が進んでいた、というお話で、ここに登場したのは透視能力を持つ美少女だったが、本作で登場するのは、ガンダムでおなじみ「ニュータイプ」である。もし本作に副題をつけるとしたら、私なら迷わず「ニュータイプ、宮部久蔵!」とするだろう。本作の結末を見る限り、宮部にはニュータイプ能力があったとしか考えられないからだ。そんな彼がその特殊な能力によって予見したのは…
(1)自分の搭乗予定だったゼロ戦は、エンジントラブルで飛行不能になる
(2)飛行不能になるのは、喜界島上空なので、不時着が可能である
(3)教え子・大石が搭乗予定だったゼロ戦は、エンジントラブルなく飛行できる
(4)よって、搭乗機を交換すれば、大石は喜界島に不時着して生き延びられる
(5)大石には、あらかじめ宮部の妻が縫い直したコートが渡されていた
(6)喜界島に不時着した大石は、コクピットで宮部の妻子の写真と置き手紙を見つける
(7)宮部を殺そうとしたライバル景浦は戦後宮部の妻子を助けたことでヤクザに
つまり宮部は、もし大石と自分の乗る搭乗機を交換したなら、必ずこうなると見切っていたのだ。なんという予知能力だろうか。宮部は、ニュータイプだったのだ。だから、彼の乗るゼロ戦には弾が当たらなかったのだ。
というのは、本作における一つの解釈である。これを「宮部=ニュータイプ説」と名づけよう。もちろん、宮部の孫の健太郎はそのようなことは知るよしもないので、かつての戦友を訪ね回って、宮部はどんな人間だったか、と聞くのである。しかし、彼がニュータイプだということは、軍の極秘事項であり、下っ端の特攻隊員が知るわけもない。それゆえ、宮部は「海軍一の臆病者」などという不名誉なレッテルを貼られていたことを知り、大いに気分を害するのであった。
「宮部=ニュータイプ説」は、そんな彼の執拗な聞き込み調査の中から出て来た、貴重な証言だったのだ。
もう一つ、もう少し現実的な説を披露しよう。このように、登場人物があらかじめ先を予見したかのように、すべての行動が結果的に登場人物の都合のよいように展開していくことを「ご都合主義」という。本作は、この「ご都合主義」という独特のイデオロギーを土台にして構築されている、という「ご都合主義説」である。この場合、超能力を有しているのは宮部本人ではない。その背後ですべてを操る「神」のごとき存在があるのだ。それを通常、私たちは「作者」と呼んでいる。最初に作者が「こういう結末にしたい」という考えがあり、それにあわせてストーリーを構築していった場合、しばしばこのように、まるで、劇中で起こるすべての偶然が、そうなるように運命づけられていたかのようなストーリーが展開される。そして、そのような作品はたいていの場合「駄作」と呼ばれる。
私はというと、2つ目の「ご都合主義説」にたって本作を鑑賞してしまったため、ラストで、上記(1)〜(7)の宮部特攻の真相が明らかになり、大石がコクピットで写真と置き手紙を見つけたときには、思わず爆笑してしまった。多くの人は号泣したという。リアリストにとっては、見るのが辛い映画であった。
さらに、本作には愉快なオチがある。なんと、宮部のとっさの判断で生き延びることができた大石こそ、健太郎の祖母松乃の再婚相手、義理の祖父だったのだ。まさに「灯台下暗し」。特攻で散った偉大な祖父、宮部久蔵を知る人物が、こんな身近にいたとは…。
というわけで、本作は、ものすごくお金のかかった「探偵ナイトスクープ」レベルの作品であった。茶の間でワイワイ見るものなので、間違っても、真面目に特攻する場面など映してはいけない。だから、あれほど特攻、特攻といいながら、実際に特攻する場面はまったくないのだ。特攻賛美か、はたまた反戦映画かと上映当時は論議を巻き起こしたが、果たしてそんな論議が成り立つような作品だっただろうか。こんなに爽やかで後に残らない戦争映画は、はじめでである。
岡田准一は、いかにもゼロ戦に乗っていそうな風貌で、存在感があった。が、何を考えているのかさっぱりわからないキャラクターである。彼が演じる大河ドラマ「軍師官兵衛」の黒田官兵衛も、何を考えているのかよくわからない。それはたまたま脚本がどちらも悪いせいか、あるいは演じる本人の問題なのか。見栄えはいいが「空っぽ」に思えてしまうのが、役者としての課題であろう。特筆すべきはヤクザ役の田中泯。彼の快演で作品がかろうじて支えられている。
評点 ★★
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