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 機動戦士ガンダム(1979)各話レビュー

 第14話「時間よ、止まれ」

脚本/富野喜幸 演出/貞光紳也 絵コンテ/斧谷稔 作画監督/山崎和男

あらすじ

 ジオンのパトロール部隊のクワラン曹長は、部下から木馬には1機しかモビルスーツがないらしいと聞きつけ、このモビルスーツを倒して戦果を上げ、宇宙のコロニーへ帰還しようと作戦を立てる。その頃WBはマチルダ少尉 から補給を受け、エンジンを修理しているところだった。ザクの急襲を受けてガンダムが出撃するが、その隙をついてクワランたちはガンダムの機体表面に爆弾を仕掛ける。

コメント

 監督の富野喜幸氏自身が脚本・絵コンテを担当した希少な回。ここまでアムロの心に傷を残すような重たい話が続いた中で、ハラハラドキドキのピンチはあるものの、どこかほのぼのとした明るさのある話で、メインストーリーには絡まないが人気のある回である。

 人気の理由は、何といってもこの回の主役がアムロたちホワイトベースの面々でなく、ガンダムなどメカでもなく、名もない、ごく普通のジオンの兵士たちだから、の一言につきる。ある意味、大人の視聴者にとってみれば、もっとも身近な共感しやすい人々ではなかっただろうか。それはとりもなおさず、普遍性のあるドラマがある、ということである。それは、長く愛される作品に必須のものである。

 まずは、ドラマの舞台となった場所を推定してみる。これこそ私は「日本」のどこかではないかと思う。ホワイトベースは太平洋を横断して、ハワイを経由して日本まで来たのだ。16話では、すでに中国内陸部にまで進んでいるので、中国大陸のどこか、とも考えられるが、15話はとある無人島が舞台なので進路とあわない。14話は九州あたり、15話は南西諸島のどこかで、そこから中国沿岸部を飛び越えて、内陸部へ入っていったと考えることにしよう。
 北米大陸とはちがい、ジオン軍はアジア地区はまだ完全に制圧できてはいないようである。補給もままならない一部隊が今回クローズアップされる。慣れない地球の環境に辟易し、早く「清潔な」コロニーに帰りたいクワランは、連邦軍のモビルスーツを倒して戦果を上げることを提案する。


 補給と整備を終えてミデア輸送機が最大戦闘スピードで離れていくのを見て、ジオン兵たちは、木馬が近くにいると推察。1機しかないザクを囮につかってガンダムをおびき出し、空中バイクとでもいうような(資料によればワッパというらしい)乗り物に乗ってガンダムの周囲に群がって飛び回り、表面に爆弾を仕掛ける、という作戦を決行する。仕掛けた爆弾を狙撃して爆発させるというのが当初の予定だったがそれは失敗。撤退した兵士らは、30分後に時限装置で爆発するのを見守るのだった。



 ホワイトベースでは、アムロがガンダムに仕掛けられた、いつ爆発するかもわからない爆弾を一人で取り外す作業に取りかかる。涙目で見守るフラウが「なんでみんなで助けないんですか?」とブライトに詰め寄るなどして、否が応でも緊迫感が高まる。そんなアムロを、敵もまた神妙な面持ちで見ている。彼らは一刻も早く爆弾が爆発して、ガンダムが木っ端微塵になることを望んでいたはずだが、命がけで爆弾を外そうと奮闘するアムロの姿に、「いくらなんでも時限装置には気がついてんだろう。それでやってるとなりゃあ、よほど勇敢な奴だろうさ」と、いつしか応援するような気持ちになっている。ジオンと地球連邦、という陣営は違えど、彼らはともに武器を取って戦うことの辛さ、恐怖を知るもので、それゆえに、アムロが母からは得られなかった「共感」を、ここでは得ることができる、という不思議な展開となっていくのだ。

 「わかりあえない二人」、相互不理解のストーリーが続いた中で、ここに一つの違った解が出てきたことに、14話の面白さが際立つ理由があるのではないだろうか。そのことについて「この一言!」で深めてみよう。

この一言! 「よう、爆弾をはずした馬鹿ってどんな奴かな?」

 アムロが無事爆弾を外し終えたのを見届けたジオン小隊のクワランは、いつか爆発すると分かっていながら、命がけで爆弾を外したアムロの行為にいたく感心したようである。そして、冗談めかして、こう言う。「これで帰国も駄目になったか。命がけってのはどうも俺達だけじゃなさそうだな。よう、爆弾をはずした馬鹿ってどんな奴かな?」。

 命がけで戦っているのは、相手も同じだ。そこには、敵・味方を超えてつながる思いがあった。そして、自分たちと同じように、命をかけている相手は一体どんな奴だろうと、知りたくなったというわけだ。

 2クール目に入り、「わかりあえない2人」、相互不理解によって引き起こされる人々のドラマと、その究極の形である戦争を描いた本作にはどのようなラストがふさわしいか。そうしたことを富野監督は考え始めていたかもしれない。その行く先には、「わかりあう」とはどういうことか、という自問自答があっただろう。このストーリーでは、主人公のアムロは、自分たちに任せられた兵器であるガンダムの爆破を阻止しようと、自らの責任で命を顧みず爆弾処理を行った。その行動に対するある種の敬意と共感が、敵であるジオンの兵士たちの心に「どんな奴か知りたい」という興味を引き起こした。敵対している関係にありながら、同じ価値観を持っているのではないか、と「わかった」からだ。そこに、超常的な力や現象は何もなかった。ただ、その行動の意味を察したときに、相手の思いが「わかった」のだ。つまり自分が向き合っている相手の行動の意味について、思いを馳せることが「わかりあう」ための一歩だということだ。

 本作では、その「わかりあう」形は後々突然飛び出して来る「ニュータイプ」なるものに取って代わられてしまったが、14話は、そうした超能力的な要素に頼らなくとも「わかりあう」関係を描くことができたのではないか、と思わせるものになっている。ごくありふれた一人の兵士の心の変化にそんな光明を見いだすからこそ、この話はいつまでも心に残るものになったのではないか。

<今回の戦場> 
国境付近の平原地帯(当方の推測では、日本列島の九州、あるいは富士山麓)
<戦闘記録>
■地球連邦軍:ジオンの襲撃でガンダムに時限爆弾が仕掛けられる。爆弾処理に奔走する。
■ジオン公国軍:ミデア輸送機を攻撃、出てきたガンダムに爆弾を仕掛けて爆破を試みる。

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