MUDDY WALKERS 

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 機動戦士ガンダム(1979)各話レビュー

 第8話「戦場は荒野」

 脚本/松崎健一 演出/貞光紳也 絵コンテ/     作画監督/山崎和男

あらすじ

 敵の支配地域を、ミノフスキー粒子の効果を利用して谷間ぎりぎりに低空飛行するホワイトベース。シャアはその意図に気づき、ガルマに待ち伏せを注進する。一方のホワイトベースでは、避難民の「降ろせ」という要求が高まり、ブライトはジオンに一時休戦を申し入れる。ガルマはこの時間に足の遅い地上部隊を集結させられると読んで、これを快諾。避難民を乗せたガンペリーがWBから飛び立った。

コメント

 ホワイトベースが飛行している場所は「グレートキャニオン」と地名が変更されているが、現在のアメリカ・アリゾナ州のグランドキャニオンのことだろう。大気圏突入ができる(もちろん、その逆も可能)ほどの機能を備えた戦艦なら、前話でコアファイターが試した弾道飛行をホワイトベース本体で実行すべきだが、エンジンの損傷で出力が低下しており、それは出来ない。グランドキャニオンの岩肌スレスレを低速で飛行するホワイトベースは、上からの攻撃をもろに受ければ今にも撃沈されそうである。そこでなぜそんなことをしているのか、ということを敵であるシャアの目から解説するのが導入部。ミノフスキー粒子の効果を利用して誘導兵器を使わせないよう妨害している、という説明はもっともらしく聞こえるが、実のところはよくわからない。SF「らしさ」を醸し出す上手なウソといえるだろう。



 その作戦の裏をかこうと、シャアはガルマに待ち伏せを提案する。しかし6話でガルマに再会したときから、どうも怪しげな挙動を見せるシャア。彼がガルマに対して隠した本心をあらわにし始めるのが、今回の話である。
 一方ホワイトベースでは、避難民の「降ろせ」の要求がさらに高まる。リード中尉は避難民のわがままに怒りを隠せないが、ブライトはそれを逆手にとったアイデアを提案する。ジオンに一時休戦を申し入れて、避難民を降ろそうというのである。ただ、それがアイデアの核心ではない。休戦を申し入れたホワイトベースと、それを受け入れたガルマの側のそれぞれの駆け引き。これが指揮官の視点から見る戦場である。

 
 そうした戦場から、視点は下へとおりてゆく。避難民を乗せるガンペリーという輸送船にあらかじめ爆発による穴をあけて細工をするカイ。避難民とともに乗り込んだアムロやフラウ、リュウ、カイらは作戦を遂行する兵士の目から戦場を見る。
 さらに下がある。ホワイトベースから降りようとする避難民たちである。今回はとくにペルシアという女性がクローズアップされる。老人が中心だった避難民だが、彼女は幼い子どもを連れており、死んだ夫の故郷であるセントアンジェに降りて、ここで子どもを育てたいという。彼らもまた、戦場を見ることになるのだが、物語のはじめでは、まだそこを戦場と認識していない。彼らは地球に戦場ではなく、故郷を見ているのである。

 避難民を乗せたガンペリーは、細工を施した船体から発煙筒で煙を出し、不時着を装って湖の畔に着陸する。そこで避難民たちは降りて、ゴムボートで対岸にある空き家へ向かっていく。ガンペリーの操縦席に身を隠したリュウとアムロは、ジオン軍のパトロール艇が行き過ぎるのを見届けると、格納庫からガンダムを降ろして待ち伏せし、敵の編隊を後ろから攻撃しようという作戦であった。しかし、ここでペルシア親子が避難民の集団から離れてセントアンジェを目指し始め、彼らの作戦に想定外の要素が加わることになる。作戦前にペルシア親子と言葉を交わしたアムロは、ジオンのパトロール艇が親子の行動を見て引き返してきたことで、警戒行動を取り始めるのだ。しかしパトロール艇が取った行動はアムロの予想とは違っていた。

 指揮官レベルの戦いの中では、このジオンのパトロール艇に乗った2人の兵士とアムロとの間の交戦はなかったかのように扱われる。アムロは潜んでいるところを発見され、やむなくパトロール艇を撃ち落とす。シャアはパトロール艇からの通信が途絶えたことを訝るが、ガルマは気に留めることなく戦闘開始を命じる。もしここでガルマが「なぜ通信が途絶えたのか」を考えて行動していたら、結果は違っていただろう。シャアは考え、ガルマは気に留めなかった。その結果が戦場で答えとなって表れる。湖の側に潜んでいたガンダムが後方から、ホワイトベースと初出撃となるカイのガンキャノン(前話であれだけアムロに上から目線でアドバイスしながら、戦場の恐怖で涙目になる姿もまた、兵士の視線から見た戦場をものがたる)の攻撃を受けたガルマ隊はまたしても全滅。姉上に合わせる顔がないと、ガルマは青ざめる。結果に対して責任を負わされるのもまた、指揮官からみた戦場の一側面である。

 こうしていくつもの視点が交錯した中、最後に私たちが見るのは避難民のひとり、ペルシアが見た戦場である。それはどんなものだったか。「夫の故郷」だった地球は、彼女に何を見せたのか。それを「この一言!」で取り上げよう。

この一言! 「ここが一年前までセントアンジェのあった所です。
        奥さんは湖の仲間の所にお帰りになった方がいいでしょう」

 アムロによって撃ち落とされたパトロール艇だが、パイロットの2人の兵士は脱出し生き延びていた。そしてセントアンジェを目指すペルシア親子と再会する。会話から、ペルシア自身も夫を戦争で亡くしていることが伺えるが、それでも敵兵に手当てを施す様子には心温まるものがある。しかしそれだけに、この場にいてさえペルシア自身にとって、戦場はまだ遠くにあると感じさせられる。自分の知らない遠く離れたところで、夫は亡くなった。戦争であることと、戦場にいることの実感がないのだろう。何よりそこは、夫の故郷である大地であるはずなのだ。
 そんなペルシアに投げかけたられたのが、このジオン兵の一言である。

「ここが一年前までセントアンジェのあった所です。奥さんは湖の仲間の所にお帰りになった方がいいでしょう」

 そこは建物の残骸すらない無人の荒野だった。立ち去ってゆく2人のジオン兵、打ちひしがれるペルシア親子。その上空をホワイトベースが光点となってゆきすぎる。「あの親子はセントアンジェに着けたんだろうか?」とつぶやくアムロのいたいけなさが、かえって戦場の非情なさまを浮き彫りにする。セントアンジェが灰燼になったことを、ホワイトベースの誰も知らないのだ。そして故郷を夢見るペルシアに、現実を告げなければならなかったジオン兵。アムロにとって、そこは戦場だった。ジオン兵にとっても、そうだった。そこに街があったことを、もう誰も知らない。ペルシアさえも知らなかった。そしてそれを知らされたとき、彼女はようやく自分が戦場のただ中にいることを知ったであろう。

 このラストに、私はもう一つの「荒野」を見る。毎回冒頭のナレーションで流れるコロニー落としの風景だが、コロニーがどこに落ちたのかは言及されていない。しかし、ホワイトベースが地球に降りてから見る風景は荒野と崩れ落ちた建物ばかりで、生活感のある街並みはまったくない。そんな中で「一年前までセントアンジェがあった所」の意味することは何なのか。これが、コロニーが落ち、多くの命が失われ荒廃しきった地球ではないのか。そしてジオン兵だけがそのことを知っていたのは、彼らジオンがコロニーを落としてこの街のあった場所を荒野にしてしまったからである。

 この物語は、そうであったとしてもそれを感じることのできないアムロやペルシアの、地球という大地との距離感を描いているようにも思われる。ジオン兵にとってもアムロらにとっても、地球は今は戦場でしかない。そこにあった人々の生活が失われてしまった、ということを私たちはペルシアの涙を通して初めて知るのだ。しかし、そのことを誰も知らない。指揮官の戦場、兵士の戦場、そして故郷を失ったものの戦場。すべてを見渡すものは誰もいない。私たちの見ているものは、知らないままに行き過ぎていたかもしれない、多くの戦場の一コマにすぎない。

<今回の戦場> 
北米大陸 グレートキャニオン周辺
<戦闘記録>
■地球連邦軍:ジオンに休戦を申し入れ避難民を降ろす。その間にガンダムを配備しガルマの地上部隊を撃破。
■ジオン公国軍:休戦を受け入れその間に地上部隊でホワイトベースを包囲。しかし後方から挟み撃ちに合い突破される。

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