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 機動戦士ガンダム(1979)各話レビュー

 第7話「コア・ファイター脱出せよ」

 脚本/荒木芳久 演出/藤原良二 絵コンテ/     作画監督/安彦良和

あらすじ

 何とかガルマの包囲網から脱したホワイトベースは、連邦軍の参謀本部に連絡を取ることを考える。その方法とは、コア・ファイターをホワイトベースから発進させ弾道軌道でジオン勢力圏を飛び越えることだった。失敗覚悟で挑戦するアムロだが、一方艦内では地上に降りられないことに業を煮やした避難民たちが、フラウ・ボゥと子どもたちを人質に取りブライトらに「ここでわしらを降ろせ」と詰め寄る。

コメント

 ジオン軍の支配地域に降下してしまったために、連邦軍と連絡が取れなくなってしまったホワイトベース。この事態を打開するために、アムロはコアファイターで弾道軌道に乗り、ジオン勢力圏を飛び越えるという方法を提案する。ホワイトベースの発進口をジャンプ台のように傾けて、強力化したカタパルトで射出しようというのだ。映画「ライト・スタッフ」ばりの宇宙開発初期時代を彷彿させるアイデアにはワクワクするが、そうは問屋が卸さないのが「ガンダム」である。これが「ヤマト」なら、弾道軌道に乗るってどういうことなのか、きちんと科学的な解説がキャラクターの口から語られたであろう。しかし「ガンダム」の場合はそうはいかない。同時進行で面倒くさい話がいちいち絡んでくるからである。



 面倒くさい話、その一は避難民。冒頭でセイラやフラウらが避難民の老人たちを見回って声をかけているが、いやーな雰囲気である。アムロとブライトが、何とかこの孤立した状況から脱しようと必死になっているそのときに、不穏な動きを見せ始める。フラウ・ボゥとカツ、レツ、キッカを人質にとって立てこもるのだ。地球に降りてきたのに、大地に足を下ろせないとはケシカラン、というのである。戦争のまっただ中で、しかも敵陣に入り込んでしまっているというのに。あまりに自分勝手な老人たちに唖然となるのは、私だけではないだろう。幸い、そんな老人たちの傍若無人な振る舞いを、出撃前のアムロが見ることはない。しかしフラウが人質に取られたという話を横で聞きながら、負傷したパイロットとおぼしき人物からレクチャーを受けているアムロに思わずハヤトが声をかける。「心配じゃなのか」と。アムロにしてみれば、命がけの作戦を決行しようというときに、他人の心配をしているような余裕はないだろう。実に面倒くさい状況である。

  面倒くさい話、その二はカイ・シデン。皮肉屋で斜に構えた彼だけに、決死の作戦に出ようとするアムロにも、つい上から目線で皮肉な言葉を投げかける。実は戦いがキライな臆病者で、自分にも何か期待されていることがわかっていながら逃げているという人物であることは何となくわかるが、その嫌みな部分が鼻につき、ついにアムロもキレてしまう。チームワークが必要というときに、不協和音で場を乱すこの振る舞い。まさにホワイトベースは内憂外患状態だ。宇宙をシャアから逃げ回っていたとき、彼らは生き延びたいという一心でチームになろうとしていた。ところが地球に降りて、芽生え始めたチームとしての意識が瓦解する。それはなぜだろうか。宇宙には、船から降りるという選択はなく、逃げ場はなかった。しかし地球は避難民が「わしらを降ろせ」と騒ぎ出したように、船を降りても生存可能な場所である。何なら、船を下りてしまえばいい。そんな選択肢が生まれたことで、ひとり一人の自我がどんどん強くなっている様子が伺える。

 
 面倒くさい話、その三は「大人の事情」という名のスポンサー対策である。6話でガンタンクに変形したコアファイターが換装される場面が出てきたが、今回は弾道軌道で飛んでけ作戦がシャアに見抜かれ空中戦になってしまい、ホワイトベースに戻ってきたコアファイターをガンダムに換装させるという場面が登場する。超合金玩具のメーカーがスポンサーであったロボットアニメは、超合金ロボットのプロモーション番組でなければならない、子どもが喜ぶ合体シーンを入れなければならないという宿命を負っていた。それをある意味無視する形でここまで突っ走ってきたものの、「玩具が売れないじゃないか!」というスポンサー様の声をいつまでも無視するわけにはいかず・・・ということなのだろう。

 
 そんなわけで、最後はアムロとシャアの空中戦対決という展開に持ち込まれるが、ガルマのいる基地に戻ったシャアが、「敵のモビルスーツは戦闘機を中心に自由にタイプを変えられる多用途モビルスーツらしい」と聞いてガーン!とショックを受け、「なに?で、では、今まで私の見ていたのは、敵のモビルスーツの一部分の性能という訳なのか?」とつぶやく場面はギャグにしか見えない。戦闘を終えてブリッジに戻ったアムロは「わしらを降ろせ」と座り込みを続けている避難民に思わず「あなた方は自分のことしか考えられないんですか?・・・誰が、自分だけの為に戦うもんか。皆さんがいると思えばこそ戦ってるんじゃないか。」と口走る。それは「もっとロボットを出せ!」「合体させろ!!」と迫るスポンサーに向けた心の叫びであったのかもしれない。

この一言! 「地球での自由落下というやつは、言葉で言うほど自由ではないのでな」

 いろいろと面倒くさい話が絡んできた7話だが、本来のテーマは「重力下での戦い」ということになるだろう。弾道軌道というのは、大砲から発射された弾が弧を描いて飛んで行くような軌道で、宇宙空間であれば発射した方向にまっすぐ進むものが、重力の影響を受けて遠投したボールが放物線を描いていずれは地表に落ちるように、落下するというものだ。アメリカの初期の宇宙開発計画「マーキュリー計画」では、地球の周回飛行に至る前の初期段階で、弾道飛行が実施された。

 アムロが提案し、自ら実行した弾道飛行では、射出時のG(重力加速度)の大きさに耐えかねて失神してしまう様子が描かれている。言うまでもなく彼が、訓練を受けていない素人だからだが、戦闘機で高速飛行する、というSFアニメではしごく当然の行為にも、実はこういう現実的リスクがあるのだと思わせてくれた。「リアル」なアニメと呼ばれる理由はこんなところにもあるだろう。
 ただ実際にはそれほど「リアル」なわけではない。連邦軍と連絡を取るといっても、本部がどこかもわからないし、一兵卒でしかないアムロが何をどう伝えようというのか。その辺りを突きつけていくと、実は結構アイデア先行の行き当たりばったり展開だなと思わざるを得ないところもある。
 後半では、空中を飛行する戦艦ホワイトベース(これがまた、非リアルのキワモノだったりするのだが)から出撃してガンダムで空中戦をやることになるのがは、そこに出てくるのが赤い彗星のシャア。追撃してきたコムサイから赤いザクが「落ちて」きて、ガンダムはこれに対抗するためにホワイトベースから出撃。飛行するという機能はないので、実質的にはホワイトベースから地上にむかって「落下」しているのである。

「地上に落ちるまでは1分20秒。それまでに仕留められるか?」

 とアムロがコクピットでつぶやく。落下するコクピットの中は恐らく無重力に近い状態だろう。さっきは高Gで気を失ったと思ったら今度は無重力、陸戦は宇宙よりずっと大変そうである。一方のシャアはさすがに

「地球での自由落下というやつは、言葉で言うほど自由ではないのでな」

 といいつつ余裕綽々。重力を味方につけてガンダムを退けた。そんなシャアのこのセリフは、リアル感のあるSFアニメにしようとするあまり自由なようで自由にならない、制作者たちの苦悩の吐露のようにも受け取れる。自由にならないメカ群と、自由気ままに動き出すキャラクター。ゴールのまったく見えない展開と相まって、すっかりこの世界の引力に引き寄せられているのだった。

<今回の戦場> 
北米大陸 南部砂漠地帯
<戦闘記録>
■地球連邦軍:弾道飛行で連邦軍本部を目指すが失敗。ガンダムはザクと初の空中戦。
■ジオン公国軍:ドップの迎撃でコアファイターの飛行を阻止。ザクでガンダムを退ける。

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