MUDDY WALKERS 

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 機動戦士ガンダム(1979)各話レビュー

 第1話「ガンダム大地に立つ!!」

 脚本/星山博之 演出/貞光紳也 絵コンテ/斧谷稔 作画監督/安彦良和

あらすじ

 スペースコロニー<サイド3>がジオン公国を名乗り、地球連邦に独立を求めて開戦してから数ヶ月後。辺境のコロニー<サイド7>に3機のザクが侵入した。連邦軍が開発中の新型モビルスーツについて偵察するのが任務だった。しかし功を焦ったパイロットの一人がコロニー内で攻撃を始め、連邦軍は住民に避難命令を出す。アムロ・レイはご近所さんの幼なじみ、フラウ・ボゥに促されて避難するが・・・

コメント

 「宇宙戦艦ヤマト」の成功によって、1970年代後半から、従来より少し対象年齢を上げたティーンエイジャー向けのアニメが次々と製作され始める。超合金ロボットという玩具の一ジャンルを背負って立っていたロボットアニメの中からも、その殻を破って脱皮を図ろうとする作品が出てきた。それが「機動戦士ガンダム」である。
 その第1話。40年近いときを経て、今見返してみて改めて感じたのは、いかに制作者がこの1話の中に、状況とともに「感情」を表現しようとしたか、ということであった。

 宇宙世紀0079年。スペースコロニー<サイド3>がジオン公国を名乗り、地球連邦に独立戦争を挑んできた。人類の半数を死に至らしめたのち、戦争は膠着状態に陥っていた。そんなある日の、前線から遠く離れた、とある辺境コロニー<サイド7>から物語ははじまる。敵とおぼしき3機のモビルスーツのうち2機がコロニーに侵入するが、そこで偵察行の兵士が見たのは、ごくありふれた住宅街の日常の風景だった。
 主人公の少年アムロは、いつものように朝食も取らず、下着姿のままコンピュータの組み立てに熱中している。そこに飛び込んで来るお隣りさんのフラウ・ボゥ。何やらブツブツ小言を言っているのも、日常風景のようである。軍の放送を聞いて彼らは避難を始めたが、まだ、そこに敵が侵入していることを知らなかった。

 敵のパイロットは連邦軍が開発中のモビルスーツを見て、これらを破壊すれば戦功を上げられると思った。そして予定外の行動を始める。コロニー内に爆音が響き、その振動が、アムロたちが避難した場所にも伝わった。
 父を捜してきます。こんな退避カプセルじゃ保たない。
 アムロは、扉を開けた。しかし外は、もうすでに戦場だった。扉を開けると、敵のモビルスーツ、ザクが平穏なコロニーの日常を破壊しようと銃口を向けていた。
 こ、これが、ジオンのザクか・・・
 その直後、通りがかった軍人の乗った車が撃たれ、爆発する。アムロが安住していた日常の世界は、もうそこにはなかった。このとき偶然、連邦軍の極秘資料を拾ったことから、彼の運命は大きく動いていく。



 拾った資料を見て、アムロはしばし非日常を忘れて夢中になった。しかし戦場となったその場所で、彼は再び非日常に引き戻される。モビルスーツを運び出そうとしている父を見つけたのだ。
 避難民よりガンダムが先だ。ホワイトベースに上げて戦闘準備させるんだ。
 その言葉が、アムロが今まで感じたことのない感情を引き出したことは間違いない。さらにフラウ・ボゥの母と祖父が命を落としたことが、行動の引き金を引いた。流れる涙をふくこともせず、アムロは駆け出してゆく。彼がトレーラーの上に横たわるガンダムを覆っていた幌を取り去ったとき、もう一つの扉が開いた。


この一言! 「父さんは、人間よりモビルスーツの方が大切なんですか?!」

 主人公を主役ロボットに乗せて戦わせる。それがロボットアニメに課せられた第1話の「お約束」である。確かに、そのお約束通りガンダムはアムロを乗せて大地に立った。本作が新しかったのは、アムロが軍の極秘資料を抱えて駆け出していくに至るプロセスの中に、その時代の局面がひき起した一つの情景を描き出したことにある。なぜ10代の子どもがロボットに乗って戦わなければならないのか。それが現実的になるのはどんな状況なのか、制作者たちはロボットアニメにありがちな「お約束」を脇に置いて、真剣に考えたに違いない。その結果、画面に表現されたのが「感情」であった。それは、平穏無事に安住していた世界を破壊されたという怒りである。

 フラウ・ボウとともにシェルターに避難したアムロがまずとった行動は「父を捜す」ということであった。父は軍に所属するガンダム開発者である。コロニーに駐留していた連邦軍は、避難民の保護より別のことにかかりきりになっているようであるが、息子が助けを求めれば、父が何とかしてくれるだろう。
 しかし、その期待はあっけなく裏切られる。アムロが父を見つけたとき、彼は避難民より先にガンダムを搬出させようとしているところであった。そのときアムロの口から出たのが、この言葉だった。

「父さんは、人間よりモビルスーツの方が大切なんですか?!」

 アムロの怒りは、ある意味では子どもじみたものである。敵の狙いが連邦軍の新型モビルスーツである以上、民間人より優先的にコロニーから搬出して、敵をコロニーの外に引き出さなければならない。それは、軍人としては正しい考え方であっただろう。しかし、敵モビルスーツを目の当たりにした少年に、その正論は通用しない。問題は、そのモビルスーツが横たえられたまま、誰も軍の人間が市民を守ろうと戦っていないことなのだ。
 そしてその怒りは、アムロを次の行動に駆り立てたのだ。それは自分自身がガンダムに乗って、目の前の敵を撃退するということだった。



 こうして、ガンダムは大地に立った。新型ならではの圧倒的な性能差を見せつけ、ド素人のアムロが赤子の手をひねるように、敵モビルスーツを2機撃墜したのである。アムロにとっては、その場しのぎの戦闘であった。しかし、そこにはもう、他にガンダムを操縦できる軍のパイロットは残っていなかった。こうしてアムロは、思いがけず戦場に出ていくことになる。そして私たちは、このアムロという少年の視点から、現在進行形の戦争の一部を垣間みることになる。

 「機動戦士ガンダム」についてはすでによく知られた作品だけに、かえって解説がしにくいことがあるが、既知の情報をいったん置いてこの1話だけを見てみると、戦いの場には出たが、その目的も、任務も、使命も、何も分からないままである。ある日突然敵が襲ってきた、という典型的な災害パニックだ。ひとまず敵は撃退したが、シャアとかいう怪しげな敵がまだコロニーの外にいるようで、一体この先どうなるのか? と駆り立てられるように次の話へ進んでいく。いつしか、私たちは主人公と、ただ「危機感」のみを共有しつつ、次の戦場へと導かれてゆくのだ。

 この第1話には数多の「名台詞」が散りばめられているが、その中でこの台詞を選んだのにはもう一つ訳がある。「人間よりモビルスーツの方が大切なのか?」という言葉には、制作者の思いが込められているのではないか、と思ったのだ。「いや、そんなことはないはずだ、人間の方が大切に決まっているじゃないか」と。だからガンダムは「人間ドラマ」と語り継がれるようになるのである。ロボットアニメなのに、最初にそう思わせる言葉を織り込んで、これからどんなドラマが展開されていくのか。この一言に、全編を通して貫き通していこうとする意図を見る思いがした。

<今回の戦場> 
スペースコロニー<サイド7>
<戦闘記録>
■地球連邦軍:V作戦発動。しかし開発基地<サイド7>が襲撃される。
■ジオン公国軍:シャアの部隊がV作戦を察知。偵察部隊が戦端を開くもザク2機を失う。

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