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An another tale of Z

 Zガンダム第1クールのレビューを終えて 小林昭人さんインタビュー

「何でこれを説明しないんだろう」という違和感。
なぜか制作者はこの問いに答えようとしない。

3.続編としての違和感

■カオル Zガンダムをファーストガンダム(最初の作品)の続編としてみると、全てにおいて違和感がある、というお話でした。確かに、私もZガンダムを視聴したときに、何か「これが続編なの?」という感覚を覚えて見続けるのが正直辛かったのですが、小林さんの言われる「違和感」とはどういうものですか?

■小林 まずZでは戦争がファッションになっていることですね。ファーストの戦争は第二次大戦に近くでむしろヤボだった。主人公もそんなにカッコ良い服着ていませんし、ジオン軍だって実は結構ダサい格好でしょう。シャアの仮面もあのジオン軍の風体の中ではむしろダサい。「正体隠してるんだろう」という実用カラーが濃厚すぎて、Zのジェリドやカクリコンみたいなファッション性を感じません。「人殺し」がファッションになっている、そこでまず「これは違う」という違和感を覚えますね。設定がどうだとか主人公がエキセントリックということ以前に、この外見上の違いがまず大きい。見れば分かりますからね。Zの登場人物は全体的にファッショナブルです。そして、このファッショナブルすぎるのがむしろいけない。

■カオル ジェリドなんて、例に出したフライトジャケット風の制服のほかに、上着の丈の長いフォーマルな制服と2種類ありますからね。首にスカーフをしたりして、自分流に着くずしているところが、いかにもキザっぽい印象でした。全体的にファッショナブルに感じる理由の一つとして、キャラごとにデザインが異なっていることもあるように思いますが。

■小林 制服というものには見た目の統一という目的もありますが、社会的にある種の安心感を与えるアイコンなんですよ。現実の世界でも例えば制服のない軍隊というのはタリバーンとかゲリラとか非正規兵でしょう。Zの場合は登場人物がほぼ全員カスタム服を着ていることで、戦争のスケール感がひどく小さいものになってしまったことですね。「ああ、これはゲリラみたいな戦いなんだ」、第1話の最初の第一印象でそれが刷り込まれてしまう。そうなってくるとまず最初にしなければいけないのは世界観の説明ですね。最初の作品の世界からどうしてこうなったのかという話なのですが、結局、Zガンダムもその続編のZZガンダムも最後までやっていません。全編を通して視聴者が感じることは「何でこれを説明しないんだろう」という違和感で、なぜか制作者はこの問いに答えようとしない。答えることを回避している。

■カオル 実際、11話まで観ても、いまだに戦いの両陣営、エウーゴやティターンズが何なのか、よくわからないんです。

■小林 作品のレビューをやってみて気づいたことですが、長い作品の中には背景の説明ができる、やるべき場所があります。しかし、見てみるとそういう場面には100%邪魔が入ります。敵が襲ってくるとか、暗殺者が爆弾を投げるとか、Zガンダムは50話で18時間ほどの作品ですが、私、42話まで観ましたが、そういう説明をやっている場所はこれだけ見ても5分ないのではないでしょうか。
 ファーストの場合はナレーターの永井一郎が冒頭でしつこく背景説明をしていましたね。そもそもATZのジオンの首都が「ズム・シチ」なのは永井の大阪訛りのせいですから。しかし、作品ではホワイトベースは一度もジオンの首都に行っていない、近づいてすらいない。本筋に関係のない解説までやっていたわけで、こんな感じですから全43話で80分くらいは状況、それも作品の背景の説明をやっていたんじゃないでしょうか。「ジオンは独立戦争で」のお定まりの定型文まで入れれば100分はあるでしょうね。5分対100分、20倍の差があるわけで、これがイコール作品の違いになっている。ファーストは不気味なまでに現実志向ですが、Zの世界はどこか現実から浮いて空回りしている印象があります

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