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An another tale of Z

 SF小説”An another tale of Z” 解説

旅に出よう、夢と現実が出会う地平をめざして     文・イラスト/飛田カオル

『機動戦士ガンダム』が放映されて、二〇〇九年で三十周年を迎えました。
 三十年前、中学生の頃に初めてこの作品と出会って虜になった私は、今まで、この作品がなぜここまでの人気を集めているのかについて論じた様々な論評を目にしてきましたが、一つとして「そうそう」と思わず膝を打つようなものに出会うことはありませんでした。リアルな近未来の世界観、等身大の主人公、そしてプラモデル。それらは確かに重要な要素に違いないのですが、プラモ少年だけでなく、ロボットアニメの世界のアウトサイダーだった少女たちさえ魅了した理由としては、どれもピンと来ないものだったからです。
 小説家でエッセイストの横森理香は、少女マンガの魅力を「全てが・ありそで・ありえないことばかり」と評しましたが、実はこの一言の中に、私がガンダムに感じた面白さが表現されている!と気づいたのは、ごく最近のこと。三十年前に作られたこの作品の面白さのツボは、この「少女マンガ的」な世界観、「リアル」な「うそ」にこそあったのです。
 それは例えば、冴えないメカオタクの少年が、そのオタク性を活かしていきなりガンダムを操縦し敵を倒してみせたり、その敵が仮面で金髪碧眼の美貌を隠した亡国の王子様だったり、その王子様に生き別れの妹がいて敵味方で戦っていたり、良家のお嬢様がやすやすと軍艦の舵を取ってみせたりする、現実にはありそうにないのに物語の中では当然のごとくにある、というもの。そんな「少女マンガ」的なファンタジーがそこにあったから、少年だけでなく少女たちも、一見粗野なこの世界に入り込んでいったのです。
 現実的であることと、夢見がちであること。この相反する二つの性質が両立しているのが、少女マンガの世界です。その現実にはありえない空想の世界の中で、大地に根を下ろしたような人間の喜怒哀楽、生と死、男女関係や家族をめぐる愛憎劇が展開されていきます。ガンダムがブームになっていた当時「リアリティがある」と評されたものの実体は、そんな様々な登場人物の言葉や感情で彩られた「ありがちなドラマ」だったのではないでしょうか。
 あのアニメの中で、大人から託された船に乗って戦争しつつ旅をしていた少年少女たち。その船のゆく先で起こる様々な出来事は、確かにある種のリアリティを持って私たちの心に迫ってきたのでした。それはその船が〈夢と現実の狭間にある地平〉を目指し続けていたからです。

 しかし、この「リアリティがある」と表現された『機動戦士ガンダム』に対する評価は、作り手側に正しく受け止められることはありませんでした。その続編である『機動戦士Zガンダム』を観て一番に感じたのは、そんな私たちが愛した〈夢と現実の狭間にある地平〉がすっかり消えてしまった、ということでした。そこにあるのは「リアリティがある」と評した私たちの思いに対する無情な判決。もっとリアルに描くなら、ガンダムなんてこんな殺伐とした話にしかならないんだ、という的外れな応答だったのです。

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