レビュー
クリント・イーストウッド監督は『父親たちの星条旗』で“戦争に英雄はいない”という強いメッセージを打ち出した。そして、国家がいとも簡単に兵士を英雄に祭り上げては見捨ててゆくという戦争の現実を、3人の兵士の体験を通して、豊かに物語ってくれた。イーストウッド監督がさらに日本側の視点の映画を撮ったのは、これまで決して戦争映画では詳細に描写されることのなかった「敵」の姿を、何よりもまずアメリカ人に見せるためだろうと思う。そこには、“果たしてアメリカだけが正義なのか”という、今まさにリアルタイムでアメリカ国民につきつけられている問いに対して答えを持つための示唆があるのだ。 だから、この映画に「5日で終わる戦いを、36日間持ちこたえた」勇壮な日本軍の活躍を期待してはならない。それはすでに『父親たちの星条旗』で描かれてしまっている。『父親たちの星条旗』がアメリカの英雄たちの勇ましい活躍と勝利の物語でなかったように、『硫黄島からの手紙』もまた、日本軍の悲壮なまでの勇敢さを描く物語ではない。
『父親たちの星条旗』で、父親たちの経験した硫黄島の戦いの物語を掘り起こす役目を担うのはドクの息子だったが、この映画で同じ役割を果たすのは、一兵卒の西郷である。彼が塹壕を掘るためのシャベル(陸軍式に言うと、エンピ/漢字で円匙と書き、本来の読みは「えんし」)を持って登場するのは、非常に象徴的である。案内役が兵士であるのは、地下28キロにわたって掘りめぐらされたトンネルには、そこを知る者の案内がなければ入っていけないということなのだろう。同時に彼は(米屋でも饅頭屋でもなくアメリカ人にとってなじみのある)パン屋であり、少々違和感を感じるほど厭戦気分を漂わせながら、私たちの眼前に現れる。西郷自身、私たちと同様にこれからこの島でどんなことが起こるのかを知らない。『父親たちの星条旗』が記憶の断片をつなぎあわせるような複雑な構成になっていたのに対して、こちらはストレートに、私たちは西郷の眼で戦場を体験していくことになる。
クリント・イーストウッド監督は、日本軍が、とりわけ栗林中将がなぜ、水も食料もなく、補給も受けることができないこの島を玉砕覚悟で死守することにこだわったのか、そして彼らがどんな戦略を持って戦ったに深い理解を示しながらも、あえてそこを描かない。『父親たちの星条旗』で、アメリカ兵たちを見えないところから攻撃して苦しませ、虫けらのように火炎放射器で燃やされていた日本兵が、一体どんな人たちで、どんな思いを持って戦っていたのかを描いているのだ。
アメリカ兵からすると、狂信的な全体主義者で、まるで一枚岩のように団結しているかのように見えた日本軍の兵士たちだが、彼らから見えない地下トンネルの中では、栗林中将の作戦をめぐって、特に自決を禁じたことに対して将校や兵士たちの激しい対立が繰り広げられている。国のため、天皇のためという「公」の思いと、ただ生きて再び家族に会いたいという「私」の思いとのせめぎ合いの中で、ある者は誇りを持って責務を果たしすために自決の道を選び、ある者は生か死かの狭間ではげしく心を揺さぶられながら自決して果て、ある者は相手の戦車を巻き添えに勇ましい自爆を図ろうとして、果てることなく茫然自失となる。そこには、アメリカ兵がそうであったように、愚かだが愛すべき人間たちの姿があった。 西郷はそんな中にあって、あくまでも「私」としての自分を失わない。彼は体罰を食らっているところを栗林中将に助けられ、この異色の司令官を慕うようになる。擂鉢山がアメリカ軍の手に落ちて撤退を余儀なくされると、彼は中将の自決を禁じる命令を守って地下の坑道を北へ、北へと退却していゆく。そして再び中将と出会って言葉を交わすことになる。このとき二人は、司令官と一兵卒という上下の関係から、娘を持つ父親という同じ思いを持つ立場へと変わってゆく。このときまで西郷が生き延びたのは、一つには中将の命令に従ったからだが、もう一つは(奇しくも前作でインディアンの兵士アイラが涙ながらに語ったように)弾をよけてばかりいる臆病者だったからである。そして三度西郷は栗林中将と出会う。中将の自決と、それを目の当たりにして次に西郷が取った行動には、あとから魂に響いてくる何かがあった。「なぜ彼らは生きて帰ることのできない、勝利も望めないと分かっているこの戦いをそうまでして戦ったのか」。私たちは彼らが死地で書きつづった手紙を、これから開けてみなければならない。 栗林中将の渡辺謙、西郷の二宮和也、バロン西の伊原剛志、そして伊藤中尉の中村獅童に元憲兵の加瀬亮など、いずれも情感のこもった素晴らしい演技を見せる。公と私、本音と建前がせめぎ合う葛藤の中にあって、みな台詞の背景に込められた複雑な心の動きをあますことなく表現していた。あくまで突き放すような淡々とした語り口と、鎮魂歌のような静かな音楽は、この手の物語にありがちな「泣かせる」演出の対極にあるものである。ただ、彼らの生き様、そして死に様は静かに心に染み渡り、長い時間がたってから、自分が魂で泣いていることに気付くのだ。
評点 ★★★★★★
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