レビュー
製作がスティーブン・スピルバーグなのに、なんと大胆なことをするのだろう。彼の代表作である『プライベート・ライアン』を、クリント・イーストウッド監督はたった一つのシーンで全否定してしまった。硫黄島へ向けて、海原を進む艦隊。甲板に出た海兵隊員の一人が、うっかり身を乗り出しすぎて海へ落ちてしまう。「今助けが行くぞー」と無邪気に叫ぶ兵士たち。だが船は止まらない。救命ボートも下ろされない。船はどんどん遠ざかり、海に浮かんだ兵士は小さくなってゆく。「(米軍は)兵士を見捨てない、というのはウソだったんだ」とつぶやく年若い海兵隊員。何気なく挿入されるシーンだが、兵士たちがこの後迎える運命を暗示するとともに、この映画の行く先をも示す、非常に重要な場面である。 母親に残された最後の息子を戦場から救出するために8人の兵士が命をかける『プライベート・ライアン』は作り話だが、この映画は実話をもとに作られたノンフィクションである。スピルバーグはリアルで臨場感あふれる戦闘シーンを、虚構の物語を支える土台に利用した。この映画の上陸シーンは、恐らく『プライベート・ライアン』と似ていると思う(私はその映画を観ていないのでわからないが)。手足が吹っ飛び内臓ががはみでるような残虐な描写という手法も、継承されている。そこまで戦闘をリアルに描くなら、兵士の話も真実を描け。この映画は、スピルバーグへの、クリント・イーストウッドからの返答ではないかと思った。
ストーリーの中核となるのは、硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てた6人の兵士のうちの3人である。旗を立てた後も戦闘は20日以上続き、他の3人は戦死してしまった。生き残ったジョン・ブラッドリー、レイニー・ギャグノン、そしてアイラ・ヘイズの3人はいまだ激戦の続く硫黄島から本国アメリカへ連れ戻され、あの写真の英雄として、財務省の役人が仕切る戦時国債売り込みキャンペーンに駆り出されることになる。スタジアムに集まった大観衆の前で、戦争を続けて勝利するために国債を買ってください、とアピールする彼らだが、花火の音や喧噪や、ケーキにかけられた真っ赤なストロベリー・ソースを目にするたびに、凄惨を極めた戦場の光景がフラッシュバックしてくる。「仲間が戦っているのに、おれは食堂車でメシを食っているんだ。銀のナイフとフォークで」と涙するアイラ。「僕たちが硫黄島で見たこと、やったことで誇れることは一つもない」。彼らは英雄と称えられながら、それがやがて心に深い傷跡を残していくことになる。
きらびやかな国債ツアーと、フラッシュバックしてくる硫黄島の激戦の光景、そして父親たちから話を聞くジョン“ドク”ブラッドリーの息子と、いくつもの時間軸が重層的に進行していくという複雑な構成によって、3人の心に刻まれた「決して誰にも語らなかった」戦争体験を、複雑な人の深層心理さながらに、綾織りのように紡ぎだしてゆく。その職人技のような語りは、淡々としていながら大きく観る者の心を揺さぶって、単に映像のインパクトだけでなく、その物語の深さと重さに捉えられてゆくのだった。
エンド・クレジットとともに画面には、実際の硫黄島の戦いや、英雄たちの資金集めツアーの記録写真が映し出される。あまりにも映画に登場した場面と似ていることに驚くと同時に、ああ、これは本当にあったことなんだという実感が強まって、涙が止まらなくなった。単なる歴史の一コマを切り取ったものと思っていた写真を見る目が、映画の後では変わっているのだ。
原題は“FLAGS OF OUR FATHERS”。旗が複数形になっているのには意味があるし、HIS FATHERではなくOUR FATHERSとなっているところにも、イーストウッドの示唆があるのだろう。それはOUR=アメリカ人への問いかけである。そして硫黄島二部作の第二部『硫黄島からの手紙』は、私たち日本人へ宛てた手紙なのだ。
評点 ★★★★★★
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