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聯合艦隊司令長官 山本五十六 −太平洋戦争70年目の真実−

山本五十六 2011年 日本 140分

監督成島出
脚本長谷川康夫/飯田健三郎
原作半藤一利
「聯合艦隊司令長官 山本五十六」

出演
役所広司/玉木宏/柄本明/柳葉敏郎
阿部寛/吉田栄作/椎名桔平/中原丈雄
中村育二/坂東三津五郎/原田美枝子
伊武雅刀/香川照之

スト−リ−

 ナチスドイツ、イタリアとの三国同盟を締結すべきかどうかで、陸軍と海軍は対立していた。マスコミは三国同盟締結を強く訴えていたが、山本五十六(役所広司)は三国同盟の一員となることに反対していた。日本がドイツと手を組めば、アメリカとの戦争は避けられず、十倍の国力をもつアメリカとの戦いは国を滅ぼす、と五十六は訴えた。主幹の宗像(香川照之)とともに取材に訪れた新聞記者の真藤(玉木宏)はその主張に感銘を受ける。しかし、五十六の意見は受け入れられず、五十六は真珠湾攻撃を計画することとなった。
 山本五十六が連合艦隊司令長官となってアメリカと開戦し、ブーゲンビル島上空で搭乗機が米軍に撃墜されて死ぬまでを描く。

レビュー

 「太平洋戦争70年目の真実」とサブタイトルにあるのだから、何か今までにないような真実をまじえながら、山本五十六の生涯が描かれるのではないかと多少は期待した。確かに、今までになかったような人物像を知ることができた(本当なのかどうかは別にして)。しかし、それは期待したものとは違っていた。

 映画は、戊辰戦争で会津側と見なされた長岡藩の城下町が新政府軍に焼き払われる様を呆然と見る、少年五十六の場面からはじまる。この幼少期の体験が、彼の「戦争観」を形作ったに違いない、と思わせる描写である。しかし、残念ながら映像は映像としての様式で飾られただけで、その後の五十六の人物像に活かされているとは言い難かった。ここから何かを読み取れ、と言いたげではあったが、あまりにも描写不足、説明不足が否めない。

 そうしたことが、全編にわたって繰り広げられる。三国同盟に強固に反対する五十六だが、それに対する結果がうやむやのまま、いつの間にか三国同盟は結ばれる。アメリカとの開戦に反対する五十六だが、いつの間にか、真珠湾攻撃を計画することになっている。航空機による魚雷攻撃は、艦艇が停泊している湾の深度が浅すぎてムリ、と反対されるが、それはどうなったのか? 五十六は潜水艇の乗員の回収が出来ないならダメ、というが、それはどうなったのか? いろいろ出された課題はうやむやのまま真珠湾攻撃になだれ込む。結果、空母がいなくて失敗だ、となるのだが、じゃあどうするんだ、ということもなく。第二波攻撃を仕掛けるかどうか、黙したまま南雲に判断を任せる五十六。五十六は、最初は反対するが、結局時流に逆らえず、黙ってなすがままに任せる人、というふうに受け取るしかなかった。

 そうであっても戦闘シーンで見どころがあればまだ良かったのだが、本編で最も力が入っていたのは、実はそこではなかった。戦争を題材にした映画では異色のことだが、戦闘シーンよりはるかに時間が割かれていたのは、食事シーンである。五十六は甘いものが好きだったらしく、そうしたエピソードを大切にしたのだろうか。将官そろっての食事で食べる「イワシ」、故郷から送られてきた「水まんじゅう」、しるこに干し芋、家族そろっての食事は一匹のヒラメを五十六が家族に取り分けてやる。戦闘シーンは一つも心に残らないが、この五十六グルメ紀行はある意味実に期待を裏切る展開であった。
 もう一つは、将棋シーンである。五十六は将棋が好きだったらしく、執務室でも艦上でも、何かあると将棋盤を取り出して、士官を相手に将棋をはじめる。海軍にとって、また日本全体にとっても大きな転機となるミッドウェイ海戦では、南雲司令が難しい判断を迫られ艦隊指揮は大混乱となるのだが、その間ずっと五十六は将棋を打っているのである。そういうエピソードが実際にあったのかどうかわからないが、もしこれが事実とすれば、将官の士気には大きな影響を与えただろう。少なくとも、映画を見るこっちの士気はだだ下がりである。おまけに大敗を喫して空母4隻を失った南雲中将が報告に来ると、「熱いうちがうまいぞ」と茶漬けを勧める有様だ。泣きながら茶漬けをすする南雲中将の姿に、失笑するしかなかった。

 問題は、この映画が終始このような「いい人エピソード」で飾られていて、肝心の連合艦隊司令長官としての山本五十六の実績と評価を、きちんと描いて提示することから逃げていることだ。実在の人物が多数登場するが、必要と思われるテロップがないので誰が誰だかほとんど分からない。戦況についても、どんな作戦を立て、実際にはどのような戦闘となり、何が問題で、なぜ敗戦したのか、見ていてもさっぱり分からない。多分、監督自身もあまりそういうことに興味のない人なのだろう。

 ミッドウェイでの失策を挽回しようと、山本五十六はガダルカナル島に飛行場を建設することを計画する。この辺りから、映画はどんどん薄っぺらになってい く。ガダルカナルでの戦いは、もちろんだが全く描かれることはない。結果的に多くの将兵を失い撤退を余儀なくされる五十六だが、ここで、門倉司令官なる将 官が撤退を援護して戦死するというエピソードが入れられる。そもそも1万人の兵士の撤収が「無事終わった」ことを、ただ一言のセリフだけで済ませてしまう ことに問題があるが、さらに、この門倉司令官のエピソード、聞いた話ではこれは太平洋戦争中の第三次ソロモン海戦をモチーフに創作された架空のエピソード だという話だ。映画のほとんどは実話に基づくが、ここでなぜ登場人物の名前まで変え(門倉=阿部中将)、真実を曲げてまでして架空の戦いをでっち上げる必 要があったのか。完全な虚構であるこのエピソードにより、原作者で戦史研究家の半藤一利氏が監修した「真実」に基づく戦史映画というこの作品のコンセプト は完全に破綻してしまった。

 本作の語り手となっているのは、新聞記者の真藤。彼の上司である主幹の宗像は狂言回しのような役割である。香川照之は「半沢直樹」の大和田常務を彷彿させる演技が鼻につく。新聞は大本営の宣伝期間と化し、国民に真実ではなく幻想を伝え続けていたわけだが、それを、このようなある種コミアルなキャラクターで具現化することは、かえって見る目を誤らせると感じた。宗像のような人間が当時は普通だったのであるから、もっと普通の人物として描くべきではなかったか。そうした人が、戦後になって真実を知るというプロセスを土台にすることで、「狂気の時代」を客観的に見る視点を生み出すことが出来たのではないか。新聞記者というキャラクターを語り手としてうまく使えなかったことも、本作が低評価となった一因である。

評点 

関連作品:日本のいちばん長い日(2015)

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