機動戦士ZガンダムDefine 第6話

ストーリー

 エウーゴに帯同してきた少年カミーユの両親がガンダムMk-IIの開発担当であることを知り、また彼自身にパイロットの資質を見出したクワトロは、彼にMk-IIへの搭乗を勧める。一方グリプスでは、バスクによってカミーユの両親が監禁されていた。エウーゴがMk-IIだけではなく開発した技術者も狙っているとして、彼らを保護する目的で監視下に置くというのだ。その頃地球では、ブライトの妻ミライが二人の子供とともに空港にいた。
 カミーユにパイロットになることを断られたクワトロは、レコアに彼を説得するよう頼む。そしてレコアは彼に、自分の能力の生かし方を考えるよう諭すのだった。

レビュー

 原作では、エウーゴに強奪されたガンダムMk-IIを取り戻すため、カミーユの両親を人質にとってエウーゴに脅しをかけたティターンズですが、さすがにこれはあまりに「おかしい」と気付いたらしく(ここの小林さんのZのレビューを読んだのかもしれない)、さりげなく改変されています。
 とばっちりを食らっているのがブライトで、カミーユに誘われてフラフラついていったにもかかわらず、ティターンズ側では「ブライトが仕組んだ茶番だったのだ」ということにされています。そして、カミーユがエウーゴに人質にとられた、ということにされてしまいました。
 この話のカミーユ両親は、仲が悪いのかどうか不明ですが、息子がテロ組織の人質にされたというのに、二人の反応は「それが何か?」という感じに終始しています。全体としてもそうですが、ストーリーが起こっていることの説明の域を超えないんですよね。キャラクターの心理とか、ドラマを感じさせるものがない。淡々と、Zガンダムとはどういう話しか、の説明を読まされている感じがします。

 最初の場面ではクワトロがカミーユと会話していますが、これも、クワトロがいかにカミーユの素質を見出しているかの「説明」なんですよね。ドラマではない。そして場面が変わって、今度はレコアがカミーユを説得していますが、これもカミーユをパイロットにする事情の「説明」です。パイロットが不足しているとか、ティターンズが非人道的なことを行っている、という状況は、レコアが言葉で説明するのではなく、カミーユが実体験を通して感じることでエモーションになりドラマになるのだと思います。そのために、例えばテレビ版ではカミーユ母の人質殺害事件があり、30バンチ事件のエピソードがあったわけです。これらのエピソードは、残酷なだけで理不尽だし、非現実的にすぎる「痛い」話ではありましたが、それらを回避するのはいいとして、かわりに説明セリフで済ませようというのは、手抜きにもほどがあると感じました。

 何より、他人に説得されてパイロットになる主人公なんて、魅力があるでしょうか。こういう技能を発揮する人は、単に能力があるとういだけでなく、突き動かすようなパッションを持っていると思うんです。ファーストガンダムのアムロはネクラだオタクだと言われているけれど、彼は、ガンダムに対して燃えるようなパッションを持っている主人公でした。そして敵のシャアもまたそうです。そうしたパッションにほだされて、みんなファンになったのです。それが、今のこの作品に少しでもあるといえるでしょうか。屁理屈と説明だけでは、人の心は決して熱くはならないのです。

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