■機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争
MOBILE SUIT GUNDAM 0080 War in the Pocket
1989年OVAにて発売 原作■富野由悠季 監督■高山文彦 脚本■山賀博之 キャラクターデザイン■美樹本晴彦 モビルスーツ原案■大河原邦男 メカニカルデザイン協力■ 明貴美加/石津泰志 美術■池田繁美/脇威志 音楽■かしぶち哲郎 |
スト−リ−
宇宙世紀0079年12月9日、ジオン公国軍の特殊部隊「サイクロプス隊」は地球連邦軍北極基地を襲撃する。目的は連邦軍の新型モビルスーツ、ガンダム・アレックス。しかし攻撃は失敗、ガンダムを載せたコンテナはシャトルに積まれて宇宙へと飛び立つ------。
<サイド6>リボー・コロニーに住む少年アルフレッド・イズルハは11歳。学校の同級生ドロシーとの間のちょっとした諍いから先生の大目玉を食らう羽目になり、彼女を見返してやろうと、運送会社に勤める別居中の父親のつてを利用して宇宙港に潜入、「連邦軍のモビルスーツ」をカメラにおさめようとする。しかし映っていたのはただのコンテナだった。ドロシーに一泡ふかしてやることができないどころか、さらに追い打ちをかけられがっかりするアルと悪友たち。しかしちょうどそのとき、本物のモビルスーツが街に現れた。ジオンのザクがコロニーに侵入、それを追って連邦軍のモビルスーツがやって来たのだ! 校舎をかすめて飛び去るジオンのモビルスーツ・ザクに魅入られたアルは、呼び止める悪友たちをそのままに、カメラを持って走り出す。被弾したザクは森林公園に着地していた。夢中で本物のモビルスーツを撮影するアル。そんな少年に、ジオンのパイロットは銃口を向けていた。
撃墜されたザクの新米パイロット、バーナード・ワイズマンは、<サイド6>の少年アルから、宇宙港の光景を撮影した画像を手に入れる。そこには、連邦軍の北極基地から飛び立ったシャトルに積み込まれたコンテナが映っていた。ジオン軍はガンダム・アレックスが<サイド6>内に潜在すると断定し、「サイクロプス隊」にガンダム奪取作戦遂行を命じた。バーニィは、特殊部隊の一員として再び<サイド6>に潜入するが----。
物語の背景
「機動戦士ガンダム」第一作のサイドストーリーともいえる本編は、作品のタイトルに「0080」の年号がつけられていますが、0079年の年末を中心に展開しています。したがって「機動戦士ガンダム」と共通の時代背景をもっていますが、内容的には独立しているといってよく、あらかじめ前作を見るなどしなくとも、一個の作品として楽しむことができるようになっています。先に「機動戦士ガンダム」を見ていれば、さらに深い楽しみ方ができると思います。
この作品は、一連のガンダム・シリーズの中では特異な位置にあるといってもよいでしょう。主人公アルフレッド・イズルハは弱冠11歳ですが、この戦争の中でジオン公国にも地球連邦にも属さない中立コロニー<サイド6>の住人です。従って彼はモビルスーツには乗らないし、戦争自体にも参加しません(公式には)。
さらに、この作品では「ニュータイプ」と呼ばれる人々は一人も現れません。
にもかかわらず、この作品は第一作の「機動戦士ガンダム」が内包している、ある種のテーマを最も強く継承し、見る者に訴えかけているように思われます。好むと好まざるとに関わらず、戦争という時代の局面を戦わざるを得ない人々の苦悩とでもいえばよいでしょうか。それは「サイクロプス隊」のシュタイナー、ミーシャといった古参の兵士や、連邦軍に所属するガンダムのテストパイロット・クリスなどのキャラクターの言葉のなかに、色濃くにじんています。無邪気な少年アルと、無自覚な兵士バーニィは、ガンダム奪取作戦に関わることでそうした苦悩を知り、葛藤を共有することになります。そうして二人の間に生まれた絆は、ニュータイプという能力とは全く無関係ではあるけれど、他のガンダム世界で「ニュータイプ」という概念によって描かれた、人と人との心のつながりと等しい価値を持つのではないかと思われます。
レビュー
アムロもシャアも登場しないガンダムが、ガンダムとして楽しめるだろうか---? この作品を実際に見るまで、私はずっとそう思っていました。それに、何だか地味そうだし、結末も暗そうだし(^_^;)。しかし、やはり見てみなければわからないものです。自分でも滑稽に思えるほど、いつの間にかこの世界に引き込まれていました。これは主人公に設定された少年アルの力が非常に大きいと思います。
<サイド6>が図らずもジオンと連邦との戦争に巻き込まれてしまったこのとき、アルは11歳の少年でした。戦争の恐怖や苦悩も知らず、ジオンのモビルスーツを、ただただ畏敬と憧れをもって眺め、無謀にもサイクロプス隊の隊長シュタイナーに「ぼくも仲間に入れてくれ」などと言って大人たちを困らせています。そう、彼はまさに、「機動戦士ガンダム」をテレビで見て、夢中でプラモデルを組み立てていた「私たち」そのものなのです。アルも、そしてバーニィも、個性あふれる(っていうか強烈な)ガンダム・シリーズの主要キャラクターと比べても格段に「フツー」な人間です。なかでもバーニィは超がつくほどありふれた青年で、根性も才能も特別な信念もなく、むしろやや軽薄な態度が鼻につくようなタイプといってもいいかもしれません。こんな普通な男が「それでも、困難に立ち向かう」力を得るほどになる。人が「変わる」瞬間を、この作品はあざやかに見せてくれました。
アルはガンダムの主人公としてはやや特異な存在ではありますが、それでもアムロ・レイやカミーユ・ビダンと同じくある種の問題を抱えた少年であることは確かです。ガンダムの掟といってもよいでしょうが、彼もまた父親不在の家庭に育っています。他の主人公と同様に、父親は生きてはいるが、父親としての役割に真剣に取り組んでいないのです。だからこそ、アルもまた父なる存在を求めて、アムロやカミーユと同様に、自ら戦争に関わっていきました。このアルとの繋がりが、バーニィを変えたといっていいでしょう。彼は父なき少年アルと真剣に向き合い、ぶつかり合いました。そうすることでアルは成長し、バーニィ自身も大きな力を得たのです。最後に、バーニィはアルというたった一人の少年のために死を賭して戦います。そのとき彼は、アルにとってまさに「父」なる存在になっていたのかもしれません。それはポケットの中に入るくらいの、小さな小さな戦争ではあったけれど、ある意味で、他のシリーズのどの主人公もなし得なかった大きな役割を彼は引き受け、そして見事にやりとげたのです。
この作品は、ガンダムであろうがなかろうが、強く見る人の心に響くドラマを持っていると思います。映画としても、本当に素晴らしいものです。OVAという実験的な場だからこそできたものともいえますが、OVAゆえに限定されたファンのみの知る作品となっているのは残念です。
LD、ビデオで発表されたこの作品ですが、現在はDVDにもなっています。日本語と英語の二カ国語で収録されており、英語版で見ても非常に楽しめます。ミーシャの英語はちゃんとロシア訛りが入っている(のでとても聴き取りづらい(^_^;)し、私はヒアリングに堪能なわけではないのでよく分かりませんが、連邦軍兵士に「訛りがあるね、オーストラリアの出身か」と言われるバーニィの発音も、それらしく演技されているだろうと思われます。実際、この登場人物たちは「本当なら」英語で話しているはずですから、英語版ならより一層リアルな雰囲気が楽しめるといっていいでしょう。 (2000.7.03)
評点 ★★★★