レビュー
空前のSFブーム、アニメブームを巻き起こした『宇宙戦艦ヤマト』の続編として制作された劇場版。劇場版一作目はTV版の再編集モノだったが、こちらは映画として製作されているだけに、作画も美しく見応えがある。公開当時は映画館で号泣した人が続出したという。さもありなん、という感動大作である。
しかし、それから40年近くを経たいま、評価するのが大変難しい作品である。本作「だけ」を一つの映画として見れば、★5つをつけてもおかしくない作品だ。だがこれが続編である以上、第一作からの流れを無視して評価することはできない。となるとたちまち「?」となってしまう。本レビューでは、その部分にもやはり触れなければならないと思う。
前作の「宇宙戦艦ヤマト」はTVシリーズで大人気となった。ガミラス星人の侵攻により、放射能汚染が進んであと1年で滅亡するという重大な危機に陥った地球に、はるか彼方イスカンダル星からのメッセージが届けられ、ここまで来れば放射能除去装置「コスモクリーナーD」を差し上げます、という言葉に奮い立った地球防衛軍は、第二次世界大戦末期に本土防衛のため出航して沈んだ戦艦ヤマトを復活させ、宇宙戦艦に改造して若き乗組員たちを乗せて宇宙へと旅立つ。そして苦難の航海とガミラスの死闘を乗り越えて地球に帰還。青い地球を取り戻す、というストーリーである。
この前作のクライマックスで、主人公の古代進はこう叫ぶ。「我々はしなければならなかったのは、戦うことじゃない。愛し合うことだった。勝利か・・・糞でも食らえ!」。彼らはガミラス星にたどり着くと、年老いたその惑星を容赦なく攻撃して全滅させてしまう。しかし、ガミラスが地球侵略を企てたのは、滅び行く惑星に変わる新しい大地を得るためだったと知り、愕然としたのだ。それならば、共存の道があったのではないか?と。よく「宇宙戦艦ヤマト」は好戦的な作品と思われがちだが、最初の作品、最初の感動はこうした「反戦」の思いを土台にしていたのである。
ところが、である。続編が作られてすべてが「?」となってしまった。
続編の舞台は、ヤマトがイスカンダル星から帰還して1年後なのだが、まず、地球のその復興ぶりに驚かされる。タネを撒けばニョキニョキ生えて成長するかのように、高層ビルがそびえたっている。そして早くも地球の人々は、1年前に味わっていた辛苦を忘れ去っているようなのだ。
それだけならまだいい。そんな地球に、はたまた別の宇宙人が、全宇宙の征服を企てて侵攻してくるのだという。真面目に考えれば「そんなバカな」という話だが、それが遠い宇宙の彼方からもたらされたメッセージとあれば、今度は他の惑星を救うのか、と期待もそそられるから、まだいい。
その危機を伝えるメッセージを受け取った古代は、地球政府に、自分たちをヤマトで出撃させ、調査させるように求めるが認められず、元ヤマト乗組員は反乱軍という形で、地球から旅立っていく。それで、メッセージの送り主のテレサを助けるのだが、結果的には助けたのは彼女だけで、最後には、助けたテレサの犠牲の上に平和を取り戻すことになる。
テレサによって、白色彗星帝国が宇宙征服をめざして地球に迫りつつあることを知ったヤマトの諸君は、前作で古代が「戦うことじゃない、愛し合うことだったんだ」と叫んだその言葉はどこへやら、白色彗星帝国の企てを阻止すべく、再び彼らを全滅させる勢いで戦ってしまうのである。幸い、ガミラス帝国とちがって白色彗星帝国のみなさんには、存続をかけたやむなき事情があったようでもなく、根っからのワルであったため愛し合う余地などなかったが。
かように本作は、前作のテーマとそれによってもたらされた感動はどこへやら、物量・科学力で圧倒的に勝る強大な敵に、地球を守りたいという思いと、そのために自分の命を犠牲にしてもいい、という自己犠牲の精神で立ち向かう、という、まさに第二次世界大戦末期の日本の戦いを、そのまま舞台を未来に移して再現したかのようなストーリーになっているのである。「戦艦大和」の運命そのままに、主人公の古代進ひとりを乗せて、敵の巨大戦艦に特攻するラストは、まさに予定調和といっていい結末である。前作は、戦艦大和のもつ悲劇的な運命の歴史を乗り越え、新しい地平へ導くことに成功したが、本作では逆に、戦艦大和そのもののもつ物語に飲み込まれてしまった。全体として、ストーリーはよく出来ており、面白く、そして最後には感動するという意味では評価の高い作品ではあると思うが、こういう視点で見てみると、作品の在り方そものに大いなる疑問を感じさせるものとなっている。そのために評価が難しいのだ。
本作では、ラストに「二度と姿を表すことはありません」というテロップが流れる。その言葉通りになっていれば、また評価は違うものになっていたかもしれない。残念ながら、その舌の根も乾かぬうちにTVシリーズで「宇宙戦艦ヤマト2」が始まり、劇場版のリメイク作品が作られた。これは、「あまりにも多くの登場人物が死にすぎる」劇場版の作風を不服とした原案の松本零士の希望で作られたもので、ヤマトによる古代の特攻というラストも変えられている。そのため宇宙戦艦ヤマトは白色彗星帝国との戦いでも失われることはなく、恐るべき「シリーズ化」の道をたどっていくことになるのである。
毎年夏になると日本列島に台風が襲来するように、毎年毎年、この世界の地球は宇宙人の侵略を受けるようになった。その先鞭をつけたのが本作である。それでも、駄作化に至る道を退ける方法はあった。それを成し遂げられなかったのは、やはりSFというジャンルに対する、日本アニメ界の未熟さがあったといえようか。
評点 ★★★
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