MUDDY WALKERS 

真夏のオリオン 

真夏のオリオン 2009年 日本 119分

監督 篠原哲雄ー
脚本長谷川康夫/飯田健三郎
原作原作 池上司「雷撃深度一九・五」

出演
玉木宏/北川景子/堂珍嘉邦/平岡祐太
黄川田将也/吉田栄作

スト−リ−

 倉本いずみ(北川景子)のもとにアメリカから届いた手紙。そこには一枚の楽譜が添えられていた。それは、いずみの祖父で潜水艦艦長だった倉本孝行に「おまもり」として、彼の友人の妹から贈られたものだった。それが、なぜアメリカに渡ったのか。いずみは、潜水艦の元乗組員の一人から、祖母がオリオン座に思いを託して書いたその曲「真夏のオリオン」にまつわる、ある戦いの話を聞く…。

レビュー

2009年製作の日本映画。玉木宏が年若い潜水艦の艦長を演じる。太平洋戦争末期、米軍の巡洋艦インディペンデンスを撃沈した伊58潜水艦のエピソードを題材に、現代的な発想で脚色されたストーリーである。脚色を担当したのは、福井晴敏。

 トンデモ戦争ファンタジー「ローレライ」に引き続き、福井氏には「もう映画に関わるな」といいたくなるような出来。物語は現代の場面、潜水艦艦長の孫が、アメリカ人から届けられた楽譜の由来を知ろうと、かつての潜水艦の乗組員の一人である老人から話を聞くところから始まる。そこからしてベタだが、この楽譜の使われ方が、なんともリアリティに乏しく、いかにもな作り物くささを醸し出すところがいただけない。

 映画の大半は、潜水艦内部で繰り広げられる人間ドラマということになるが、玉木演じる新任艦長は言葉数が少なく、何を考えているかよくわからない。全体として、いつ(何年何月に)どこで(どのあたりの海域で)どういう目的のために、何をしようとしているのかがさっぱりわからないので、艦長はいろいろ米軍の駆逐艦を沈めてやろうといろいろ策を練っているようだが、何を考えているのかわからないまま、ずーっと沈黙が続く、とにかく息をひそめて黙っている時間がやたらに長い映画だった。

 潜水艦には人間魚雷「回天」の乗組員も搭乗し出撃を待ち構えているが、艦長は「命を大切に」系の人で彼らを出撃させないまま、人間魚雷の酸素を潜水艦内に放出して出撃できなくしてしまう。今の価値観からみれば、特攻否定のその主張はわからなくはないが、それを戦争映画でやられても、まったく現実感にとぼしく、艦長はじめ乗組員がみな平成の人にしか見えない。当時の軍人や兵士は「生きて虜囚の辱めを受けず」の思想が徹底されており、もし戦争に敗れて米軍に日本が占領されたら男は奴隷、女は陵辱と上から下まで本気で信じていた。太平洋戦争末期には「そんなことならいっそ、死んだ方がましだ」と一億総玉砕の意志を固めていたはずである。それなのになぜか、この潜水艦の艦内は、そうした切迫感とはまるで無縁で、戦争の大局におけるこの局面の位置づけが、まったく伝わってこなかった。

 冒頭の楽譜はこの艦長の持ち物で、それが米軍の駆逐艦艦長の手にわたる経緯も意味不明なら、渡った楽譜でなんとなく以心伝心してしまう米軍艦長も意味不明。最後の魚雷1本で勝負をかける闘いはこの終始グダグダな映画の唯一の盛り上がりどころだが、その幕切れがあまりにもご都合主義で開いた口が塞がらなかった。戦争映画には欠かせない「いつ」「どこで」の状況説明が省かれているのは、この幕切れの「感動」演出のためだろうが、そう思うと余計に、ばかばかしくて腹が立つ。要は状況を説明したらオチが読めるような、その程度のお話なのだ。

 映画の製作者は、戦時の海の男たちの、戦いの中で互いを尊敬しあう、海の男同士の尊厳のようなものを描きたかったのだろうが、見終わったあと「福井さんは、ほんと、あまちゃんだな」という感想しか出てこなかった。戦艦大和が撃沈されたあと、海に放り出された乗組員が、米軍の航空機から機銃掃射されたという悲しい事実を、この人は知らないのだろうか。かつて、戦争には戦いを超えた男の友情や尊敬があったがもしれないが、そうしたものが失われたのが、この第二次世界大戦で、それゆえにこの戦争はかつてないほど人の残虐性を際立たせるものとなったのだ。そういう一面に目を閉じたままで戦争映画を作ることは、今という世の中では通用しない。確かに戦争末期の苦しい状況の中で、日本の潜水艦がアメリカの巡洋艦を沈めた、というのは日本人としては、苦しい中でもある意味痛快さを感じる歴史的エピソードかもしれない。しかし、現代において見るべきは、もっと違った一面ではないだろうか。

 そもそも、もし特攻を否定して持てる戦力で米軍の艦艇を撃沈させた艦長がいたとしても、それが架空のエピソードだったら、その話が投げかけるものに一体どれほどの説得力があるというのだろうか。本作のモデルとなった伊58の話は本当だが、実際の艦長の橋本少佐は特攻作戦には反対しておらず、ただ技術的な観点から使用を躊躇していただけだった。つまるところ、回天の搭乗員は「ほかの者よりちょっと早く死ぬだけ」なのだ(ラッセル・スパー著「戦艦大和の運命」による)。そこに、この時代の人々が生きた本当の厳しさがある。
 そのような背景を通してみれば、本作の中身は現代日本人の空想した絵空事にすぎない。歴史の、なんと軽々しい扱われ方であろう。

評点 

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