MUDDY WALKERS 

ミリオンダラー・ベイビー MILLION DOLLAR BABY

ミリオンダラー・ベイビー 2004年 アメリカ 133分

監督クリント・イーストウッド
脚本ポール・ハギス

出演
クリント・イーストウッド
ヒラリー・スワンク
モーガン・フリーマン

スト−リ−

 ボクシングジムを経営する老トレーナー、フランキー(クリント・イーストウッド)のもとへ、30を過ぎた女性ボクサー、マギー・フィツジェラルド(ヒラリー・スワンク)がやってくる。入会を断るフランキーだが、彼女は半年分の会費をもう支払っていた。マギーの望みは、フランキーにトレーナーになってもらうこと。フランキーは「女は見ない」の一点張りだったが、ジムで働く元ボクサーのスクラップ(モーガン・フリーマン)は彼女の素質を見いだし、彼女のために、夜遅くまでジムを使えるように配慮してやった。やがてフランキーも彼女を認め、トレーナーに。才能を開花させたマギーは連戦連勝、やがてタイトルマッチに挑戦するまでになるが…。

レビュー

 私の祖母は10年寝たきりの生活を送って死んだ。最初の数年は私の自宅で。私はまだ学生から社会人になったばかりで、祖母の精神が日に日に子供に還っていき、身体が衰えてゆくのを呆然と見ているよりほかになかった。次の数年は家庭の事情があって特別養護老人ホームに。そこで数年過ごしたあと容態が急に悪化し、病院へ運ばれて「あと1週間」と言われた。そして再び自宅に戻った祖母は、それから1年間赤ん坊のような姿で生を全うした。
 祖母ができることはほとんどなかった。呼吸と、口に入れられたものを飲み込むこと。それだけだった。祖母の命の灯を消すのは簡単なことだった。タンをきることができないから、機械を使ってタンを吸引しなければならない。そうしなければ、タンで息が詰まって、死ぬ。つまり何もしないだけでいいのだ。もちろん、私たちはそんなことはしなかった。死の間際まで祖母は自分で呼吸して、そして死んだ。祖母は最後には文字通り赤ん坊のようになっていたけれども、幸せそうだった。幼い頃から働きづめで奪われてしまった夢見る時間を、最後にたっぷりと与えられて。祖母を生かしていたのは母の愛だったと思う。祖母が元気だったとき、母と祖母は大変仲が悪かったけれども、母は実の娘として、祖母をキリストに導き、最後まで手を抜くことなく看護した。祖母は寝たきりだったけれども、死ぬまで床ずれができなかった。

「ミリオンダラー・ベイビー」を観て、大変なショックを受けた。感動というより、ショックだ。私はあまりにもその結末が悲しすぎて、涙を流すこともできなかった。人工呼吸器をつけられて寝たきりになってしまったマギーは、床ずれのせいで足を切断しなければならなくなる。床ずれというのは、寝返りが打てないために体の一部に体重がかかり続け、血液が流れなくなって、次第に皮膚や筋肉が崩れていくというもの。こまめな体位移動やマッサージなどで防ぐことができる。床ずれ防止グッズもある。必要なのは、それをしてくれる人の手だ。マギーにはそれがなかった。

 映画は、ヒラリー・スワンク演じる女性ボクサー、マギーがクリント・イーストウッド演じるフランキーをトレーナーとして実力を開花させ、ついにタイトル挑戦を果たすまでになるのだが、1ラウンドが終わってコーナーに戻ろうとした時、相手チャンピオンが不意に殴りかかり、首の骨を折って全身不随の状態になってしまうというストーリーである。もちろん話はそれほど単純ではなく、マギーやフランキー、そしてフランキーが過去にトレーナーを務めチャンピオンにし損なったスクラップの人間模様を丹念に描き出す。イーストウッドの人物描写は的確でとても深く、マギーがボクシングという「人の尊厳を奪うスポーツ」にのめり込んでいく理由も、その境遇から伺い知ることができる。マギーは崩壊家族と貧困とによって、すでに尊厳を奪われて生きているのだ。だから人の尊厳を奪って自分のものにするボクシングというスポーツが必要だったのだろう。しかし、逆に自分がすべての尊厳を奪われる結果となる。

 私はこの映画が女性ボクサーと老トレーナーとの心の交流を描いたものという予備知識しかないままに観たので、この展開にまずショックを受けたのだが、それはまだいい。他人の尊厳を奪って自分を高めてきたボクサーという生き方ができなくなって、はじめて本当の人間の尊厳とは何かを知ることができるかもしれないと思ったのだ。しかし、そうはならなかった。マギーは廃業したボクサー、スクラップに見いだされ、フランキーに育てられる。特にフランキーは娘のように彼女を愛したことが分かるのだが、しかし二人はボクシング以外の生き方に希望を見いだすことができずに年老いてしまった人間でもある。本当なら、マギーは全身不随の姿でも尊厳を持って、希望を持って生きることもできるし、同じ状態で素晴らしく生きている人たちが現実にいるのだが、彼女にはそういう選択はできなかった。マギーもまた、ボクシング以外に希望を持つことのできない人生を生きてきたからだ。

 だから、この映画の結末は「これなら、そうするしかないよな」というものである。世の中の厳しい現実をそのまま見せられたようなものだ。3人の演技は素晴らしく、ひとつ一つの場面から全体の流れまで、映画としては文句のつけようのない出来である。けれど、私には映画の中でスクラップが語るように、彼女は自分の人生に十分満足したとは思えなかった。はっきりいって、ボクシングでチャンピオンになって栄光をつかんだとしても、そういうものは長い人生の間にいつか輝きを失い、消え去ってしまう。誰からも愛されることなく生きてきたマギーは自力で栄光をつかもうとするが、もし栄光をつかんだとしても、それは長続きしないだろう。自力でつかんだ栄光で本当に幸せになることはない。愛がなければすべては無意味だ。すべてを奪われてはじめて、マギーは、自分では何一つできなくても愛される価値のある赤ん坊のような存在になることができ、自分の力で勝ち取るのではない、本当の意味で無条件の愛を知ることができるんだな〜・・・と淡い期待を抱いたが、そんなわずかな希望的観測もあっけなくへし折られ・・・。ただ、石のように重くなった心を抱えて映画館を後にした。本当に、いろいろ考えさせられる映画だった。

評点 ★★★★

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