MUDDY WALKERS 

御法度 TABOO

御法度 1999年 日本 138分

監督大島 渚
脚本大島 渚
原作司馬遼太郎「新選組血風録」のうち
「前髪の惣三郎」「三条磧乱刀」

出演
松田龍平/浅野忠信/武田真治
ビートたけし/崔洋一/トミーズ雅
田口トモロヲ/的場浩一

スト−リ−

 幕末の京都。「局中御法度」「軍中御法度」という厳しい規律によって、鉄の結束を誇っている新撰組に二人の剣士が入隊してきた。一人は下級武士の田代彪蔵。そしてもう一人は美少年剣士、加納惣三郎だった。二人は多くの志願者の中で、剣の腕が群を抜いていたのだ。入隊を許された田代は、同じく隊士となった加納に「なぜ新撰組に入ったのか」と聞くが、惣三郎はほほえむばかりだった。田代はこの時から、次第に惣三郎に惹かれていく。
 しばらくして、隊内にウワサが流れ始めた。「田代と加納が、できている」というのだ。土方はウワサの真偽を確かめるため、田代と加納に剣の試合をさせる。すると、明らかに加納の方が剣の腕が上であるはずなのに、田代の攻めに押されていた。土方はウワサが真実であると確信するのだった。この試合を食い入るように見ている隊士が一人いた。湯沢である。湯沢もまた、惣三郎に想いを寄せていたのだ。惣三郎をめぐる三角関係があきらかになっていく中で、やがて殺人が…。

レビュー

 この映画を形容する言葉は数多くあるだろうが、私なりにいうなら「結局犯人を読者に教えないので、自分で推理するしかない推理小説」のようなものだ。だから見終わって「ワケわからん、つまらん、意味なし」で終わる人と、「え? え? どういうこと? もう一回見直してみよう…」という人が出てくるのも、よくわかる。感想が「つまらん、退屈だ」にしても「何度も見たくなる奥の深い映画です」にしても、これは映画に対する評価ではなく、鑑賞者の生き方の反映といってもよいだろう。受動的か能動的か。受けか攻めか。土方歳三が、加納惣三郎と田代を道場で対戦させて、その戦い方を見て二人の「関係」を見極めようとしたが、もしかしたら、大島渚監督の意図も、そんなところにあったのかもしれない。

 新撰組の衣装といえば、浅葱の羽織と決まっているが、ワダエミはそんな常識を取り払って、全く新しい新撰組を衣装でみせた。黒の羽織袴で、羽織にはキリッとした立襟がついている。軍服を彷彿させ、ひきしまった印象で非常に良い。なぜ衣裳を史実通りにしないのかという声もあろうが、新撰組とは、この映画の土方の台詞にもあるように「人を斬る」部隊である。この映画では、その組織の活躍を美化するのでもなく、描写するのでもなく、組織の持つ狂気を描こうとしているのだ。浅葱色が史実としても、それではさわやかすぎて、この物語の中ではむしろ滑稽に見えるだろう。映画のテーマを具現化した衣装として、秀逸である。
 そしてこの衣装にみられるように、この映画はいわゆる定石通りの新撰組を描かない。外敵との戦いではなく、内部崩壊を描いているのだ。それも権力闘争などではなく、美少年をめぐる愛憎劇である。新撰組フリークにとっては「山なし、オチなし、意味なし」と言うほかはない展開であろう。しかし、実は山もオチも意味もある。ただそれが、観る人によって違っているだけだ。

 沖田総司を演じる武田真治は素晴らしい。明るくさわやか、聡明で、多くの人が「沖田総司そのもののようだ」と言っているくらいである。加納惣三郎と「美」の双璧をなす二人だが、その態度はまことに対照的である。しかしどこかすべてを悟ったような冷笑的な態度が垣間見えたように、私は思う。そして、この沖田の冷笑こそが、謎に満ちたこの物語を、さらにミステリアスに仕立て上げている。

「外の人たちをさばくのは、わたしのすることであろうか。あなたがたのさばくべき者は、内の人たちではないか。外の人たちは、神がさばくのである。その悪人を、あなたがたの中から除いてしまいなさい。」
(新約聖書 コリント人への第一の手紙 5:12,13)

評点 ★★★★

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