MUDDY WALKERS 

ギャラクシー街道  

ギャラクシー街道 2015年 日本 122分

監督三谷幸喜
脚本三谷幸喜

出演
香取慎吾/綾瀬はるか/大竹しのぶ/優香
小栗旬/遠藤憲一/段田安則/石丸幹二
秋元才加/阿南健治/山本耕史/西田敏行
西川貴教 ほか

スト−リ−

 西暦2265年、木星のそばに位置する人工居住区「うず潮」はギャラクシー街道と呼ばれるスペース幹線道路で地球と結ばれていたが、開通から150年がたち老朽化。廃止の噂もささやかれていた。そんな街道沿いにあるハンバーガーショップの店長、ノア(香取慎吾)は地球へ戻りたいという願いがつのり帰国申請書をしたためていた。来客もまばらな店だったが、客引きや娼婦、警備隊員や謎の人物など様々な宇宙人がやってくる。そんな中にはノアの元カノ(優香)の姿もあった…。

レビュー

 ネットでは酷評の嵐と知ってはいたが、今年の大河ドラマを手がける三谷幸喜の最新作だけに、まさか? ひどいといってもそれほどではないだろう、「真田丸」も持ち直してきたようだし、とDVDをレンタルして視聴。これまでも三谷映画には裏切られ続けてきたが、今回はどうだろうか、SFとはいえ舞台が街道沿いの廃れかけたハンバーガーショップ、というだけに、何となく「いつものパターン」が想像できたが…。

 で、結論から言うと、この映画の最大の長所は、自分もこの廃れかけたハンバーガーショップのボックス席に腰を下ろして、やってくる奇妙な客と不機嫌な店員とのやりとりを、さながら客の一人として体験できる、という「体験型ムービー」になっているというところである。あくまで、来客たちのやりとりであって、そこに何かストーリーだとか、冴えた笑いやギャグのセンスを求めてはいけない。なぜならみな、笑いを取ろうとか、一発ギャグをかまそうとか、そんなことは露も思わず、まじめに宇宙人として生き、そのひとときを、さびれたハンバーガーショップで過ごしているからだ。見せ物ではない。体験なのだ。

 とはいえ、それなら近所のマクドナルドにいるのとそう大差ないともいえそうだが、まさにその通りである。ただ、頭が巨大な花玉になっていたり、突然脱皮をはじめたり、感情的になると放電するような奇妙な宇宙人が客として来るという違いがあるが、そういうことすら、しばらくすればまったく気にならなくなるであろう。人は、見た目や生き方の違いを超えて一つになれる、偉大な生き物なのだ。

 ところで、かんじんの三谷幸喜自身はそうではなかったようで、地球人と明らかに違う人々に対する目の付けどころが尋常ではない。カルチャーショックというのはよくあることだが、そういうことはありふれているので、彼は生物としての、特に生殖行動の違いからくるギャップみたいなものを笑いのネタにしている、という印象を受けた。もう少しわかりやすく言うと、笑いを取ろうとするネタがことごとく「下ネタ」であるのがこの作品の特徴なのだ。わざわざ舞台を宇宙にして、やりたかったのはこういうことだったのか? と大いに不満を感じてしまった。しかもその下ネタがことごとく滑っているから、始末が悪い。滑るだけならまだしも、差別意識さえ感じるような不快な表現もあった。酷評の理由は、そんなところにもあるのではないか。

 舞台が未来の宇宙になったことで、三谷幸喜という作家の弱点が明らかになったような気がする。SFのコンテクストというものを、彼はまったく理解しようとしていない。ある限られた一室での群像劇を得意とする三谷氏だが、彼の作品は、その一室と、外側の世界との間に共通の世界認識があることが前提になっている。要は、「私たちの暮らす世界の常識ってこうだよね」という前提がある、ということだ。しかし、SFという舞台設定はそうではなく、作品の中と、鑑賞する私たちとの間にはズレがあるのが当たり前だ。それなのに三谷氏は、私たちが「私たちの暮らす世界の常識ってこうだよね」という前提のままで、ちょっとしたズレを見せてそこで笑いを取りに行こうとするから、滑ってしまうのだ。三谷氏が思っているよりもずっと、映画の鑑賞者たちは宇宙という世界に「慣れている」ということなのだ。

 あるいは、これが映画黎明期、SF黎明期の索引であれば、大いに笑いが取れたかもしれない。むしろ、よく現代にこの脚本を世に出せたな、と驚くばかりである。本作に出演した俳優陣に言いたい。自分の価値を高めたいなら、出演に応じる前にちゃんと脚本を読んでほしい。このような駄作にその時間と才能を使うなど、もったいないにもほどがある。本来なら、企画の段階でNGにしなければいけない作品だ。映画会社の面々は、よく資金を出したものだ。限りある資源を大切に!!!

評点 

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