MUDDY WALKERS 

エベレスト 3D Everest 

INTO THIN AIR 2015年 アメリカ・イギリス 121分

監督バルタザール・コルマウクル
脚本
ウィリアム・ニコルソン
サイモン・ボーファイ
出演
ジェイソン・クラーク
ジョシュ・ブローリン
ジョン・ホークス
マイケル・ケリー
エミリー・ワトソン
マイティン・ヘンダーソン
トーマス・ライト
アン・フーラ・シェルパ
エリザベス・デビッキ
森尚子
ジェイク・ギレンホール
キーラ・ナイトレイ ほか

スト−リ−

 1996年、登山ガイドのロブ・ホール(ジェイソン・クラーク)、スコット・フィッシャー(ジェイク・ギレンホール)はエベレスト登頂を目指す登山家を公募。6万5000ドルのガイド料を支払って、世界一の山頂に立つことを夢見る登山家たちが集まってくる。その中にはジャーナリストのジョン・クラカワー(マイケル・ケリー)や医者のベック・ウェザース(ジョシュ・ブローリン)、郵便局員のダグ・ハンセン(ジョン・ホークス)や7大陸最高峰登頂を目指す難波康子(森尚子)などがいた。ロブは妻が妊娠中で、このガイド登山を成功させて、エベレストの商業登山を成功させたいと願っていた。別働隊を率いるスコット・フィッシャーはロブとは親友で好敵手という関係だった。しかし集まった登山家たちは登山経験も力量もバラバラで、ロブやスコットなどガイドの負担は大きかった。ロブはこれまでにエベレスト登頂に2度成功しており、好天に恵まれる5月10日を登頂の日と決める。しかしこの年は二つの公募隊のほか台湾隊、南アフリカ隊など多くの隊がひしめきあっており、計画は次第に狂い始める。登頂を果たしたあと、デスゾーンと呼ばれる8000メートル超の場所で天候が荒れ始め、やがて彼らは極限状態での遭難という最悪の事態に陥る。

レビュー

 タイトルに「3D」とあるが、視聴はレンタルのDVDなので通常映像での観賞であることを、はじめにお断りしておく。そのため本作の持つ映像美という点での評価は評点に加えられていないと思ってレビューを読んでいただきたい。
 本作は1996年5月に起こった、エベレスト大量遭難事故を題材にしたノンフィクション映画である。実はもっと早くに視聴するつもりだったのだが、DVDを借りそびれたところに、たまたまネットの動画で同じ題材を扱った1997年制作の映画「エベレスト 死の彷徨」を見てしまい、結果的に、新旧作品を比較しながら見るような形となってしまった。もし、旧作を見ていなかったらどういう感想を持っただろうか、と思うほど、それは映画鑑賞に影響するような作品だった。それもまた、レビューの醍醐味の一つかもしれない。

 20年前に起こったこの遭難事故については、女性としては最高齢(当時47歳)、そして日本人女性としては田部井淳子さん以来2人目のエベレスト登頂ということで、登頂時にニュースになり、その後の遭難死でさらに大きなニュースとなって日本に伝えられたことから、よく覚えていた。しかしその登山が公募隊によるガイド登山だったことや、そもそも8000メートル級の高山に登ることの危険性などについては知らずにいた。旧作ではその点が非常に興味深く描きこまれていた。事故の翌年に制作されたということもあり、「なぜこんな事故が起きてしまったのか」というところに焦点を当てた作品になっていたように思う。

 本作は、20年を経て改めて制作されたもので、旧作とはそもそもの視点が異なっている。まず、3Dという新しい映像技術が導入されていることからもわかる通り、世界最高峰に登る「体験」を描きたい、というコンセプトを感じた。また、この事故の詳細を、自身の体験と参加者へのインタビューによって書き上げたジャーナリストのジョン・クラカワーを他の参加者と同じ位置に立たせ(旧作では作品の語り手となっていた)、起こった事故についてより客観的に事実を描くということに徹しているように感じた。
 つまり本作は、エンターテイメント志向の強い3D映像と、実話ベースのドラマを組み合わせた、よく言えば意欲的な、逆に言えばややちぐはぐな構造を持った作品なのだ。前半ではエベレスト登頂までの映像体験を楽しみ、それが一転して大量遭難の悲劇へとなだれ込んでいくという意味では、興味深い内容かもしれない。確かに観賞前はそれを期待したのだ。

 しかし、その期待は見事に外れた。まず、本作は登場人物が非常に多い。そして一人ひとりの「登る動機」や登山技術のレベル、実際の行動などが複雑に絡み合って、その結果悲劇を招いた、ということからすれば、単に起こったことを淡々と追いかけるだけでは、この悲劇の本質が見えて来ないのだ。結果的に、「エベレストに登頂しました、時間が遅れました、天気が崩れて遭難しました」というだけの話になってしまった。事実を単純化すればそうなるのは確かだが、山岳遭難という事故では、たいてい遭難に至るいくつもの伏線があり、「ここでああしていれば」「ここでこうしていれば」ということが積み重なって、どうにもならない事態へとなだれこんでいくのである。そうした伏線を描くには、登る人々、公募隊のメンバー一人ひとりや彼らの間にどんな関係、衝突が起きているのかに踏み込まなければならない。本作はそうしたドラマの部分が弱いために、非常に表層的な捉え方で終わってしまった。

 これではまずいと思ったのか、ドラマ性を高め観客に感動をもたらすために、山頂付近で足が凍りついて動けなくなってしまった公募隊隊長のロブ・ホールが、衛星電話で自宅にいる妊娠中の妻と話す場面が3回ほど繰り返される。彼はこの妻との通話の最後でこと切れるのだが、泣かせどころを作ろうという作為を感じて興ざめしてしまった。
 さらにいうなら、本来最終キャンプから山頂へのアタックは深夜の暗闇を出発して午後2時までに登頂、その後下山と、24時間かけて地上より3分の1しか酸素がない場所で1000メートルの高低差を飲まず食わずで上り下りするという強行軍になり、それがエベレスト登頂の困難さの極みとなっているのだが、本作では映像づくりを優先したのか、最終キャンプに出たときにはすでに明るく、気象が荒れ始めてからも、下山が深夜に及んだときも、空は明るかった。しかも遭難者は数人まとまってドドッと一気に滑落させるなど、スリリングな絵づくりのために話を作っているだろう、と思えるような描写も見られ、悲劇が喜劇に見えてしまうという難も出てきてしまった。

 このように、本作では実話ベースのドラマに映像によるエンターテイメント性を付与したことによって、結果的に本来ドラマを物語る人物一人ひとりが映像づくりの素材にされてしまった。近年はこのように「絵はきれい、中身はうすい」という作品が増えているように思うが、本作もまた、その典型といえるかもしれない。しかし、おそらく本場ヒマラヤで大金をかけてすばらしい機材で撮影したであろう映像よりも、旧作の、どう見てもスタジオのセットの岩場で渾身の演技を見せる役者の芝居の方が、ずっとずっと心に残るのである。それはなぜか。ドラマは映像の中でなく、人の心に起こるものだからに違いない。

評点 ★★

関連作品:エベレスト 死の彷徨

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