レビュー
映画の冒頭、老サリエリが神父に、自分が作った曲と、モーツァルトの作った曲「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」をピアノで弾いて聞かせる。「モーツァルトを殺したのは私だ」と老サリエリは言うが、死んでなお、現代に至るまでモーツァルトの音楽は生きているということを、このワンシーンで私たちは体験する。モーツァルトの音楽こそが、この映画の主人公なのだ。
映画を見終わった私と妹は、まったく同じ行動をとった。父の部屋の200枚を超えるクラシックCDコレクションの中からモーツァルトを選んでいたのだ。私も妹もピアノを習ったことはあったが、クラシック音楽に興味があるとはいいがたい。しかし映画を見終わったあとでは、頭の中をモーツァルトがかけめぐり、もう一度聞かずにはいられなかった。
ジャンルでいえばこの映画は「歴史劇」ということになろうが、老サリエリの告白によって語られる物語は、むしろ心理劇というべきであろう。音楽によって神をほめたたえたいと祈りつつ、音楽家の道を自ら選び、宮廷作曲家として一応の成功をおさめたサリエリだったが、彼の前に現れたモーツァルトの圧倒的な才能には、ただ屈するしかなかった。しかし「神の音楽だ」とサリエリが感動する作品のすばらしさとは裏腹に、モーツァルト自身は常識に欠け、下品で女好きという、人格的にはとうてい尊敬できないような青年であった。モーツァルトの音楽の才能に対する嫉妬と、彼から作品を「凡作」とあざけられた恨みから、サリエリは殺意さえ抱くようになっていく。モーツァルトをめぐってサリエリの心が揺れ動くさまを、映画は回顧する老サリエリの語りをまじえながら丹念に描く。まるで楽曲を指揮するように語る老サリエリの口調に、いつしか引き込まれてゆく。
老いて精神を患ったサリエリ、そして若き宮廷作曲家サリエリを演じるF・マーリー・エイブラハムは有名な俳優ではないが、迫真の演技でアカデミー賞主演男優賞を受賞。対するモーツァルトは、こちらも無名の俳優トム・ハルスがスクリーンの上に見事に「天才にして奇人」モーツァルトを見事に再現している。 全編を、18世紀の街並みがそのまま残るといわれるチェコのプラハで撮影。劇場でのオペラのシーンでは、18世紀さながらにろうそくを灯したシャンデリアを照明に使うなど、細部にまでこだわった美術、衣装もすばらしい。
サリエリの心理劇というこの映画に深みを増し加えているのは、神の視点であろう。モーツァルトとサリエリに与えられた才能という賜物の差を見せつけられるとき、サリエリが神に疑問をなげかけたように、私たちも神に問いかけたい衝動にかられる。私はこの映画を観ると、いつも聖書の中にある有名な「タラントのたとえ」の話を思い出す。サリエリにも、神から与えられた賜物があった。しかし彼は、それを土に埋めてしまったのだ。
また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを与えて旅に出た。 5タラント渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに5タラントもうけた。2タラントの者も同様にして、ほかに2タラントをもうけた。しかし、1タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。すると5タラントを渡された者が進み出て、ほかの5タラントをさし出して言った、「ご主人様、あなたはわたしに5タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに5タラントをもうけました」。主人は彼に言った、「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くの者を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。 2タラントの者も進み出て言った、「ご主人様、あなたはわたしに2タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに2タラントをもうけました」。主人は彼に言った、「良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くの者を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」。 1タラントを渡された者も進み出て言った、「ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます」。すると、主人は彼に答えて言った、「悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、10タラントを持っている者にやりなさい。おおよし、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。 (新約聖書 マタイによる福音書25:14〜30)
評点 ★★★★★★ |