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An another tale of Z

  「宇宙戦艦ヤマト」全話レビューを終えて 小林昭人さんインタビュー

「宇宙戦艦ヤマト」全話レビューを終えて 
ヤマトはいかにして「癒しと再生の物語」となったか(3) 
  

■カオル そこなんです。2199の制作者は、ヤマトは「戦争」を描いていると解釈したからこそ、乗員を海上自衛官風に変えたんですよね。でも原作ヤマトを見て関心したのは、これはあくまで未知の宇宙への「航海」の話であって、戦いはその一部なんだということです。

■小林 海上自衛官風に変えたのは、ある意味彼らの考える「リアリティ」なんですが、先に述べた通り、航海史に例のない長期航海に対する考察を欠いていますし、私の見るところ、彼らの考える「リアル」というのはひどく脆弱で、一つ崩れたら全部崩れるような危ういものなんですよ。そんなのは本物のリアルじゃそもそもない。宇宙戦艦ヤマトを海上自衛艦にした所でイスカンダルまで航海できるとも、ガミラスに勝てるとも限らない。

■カオル そうですね。自分の「ヤマト」レビューの中で特に思い出すのは、戦いの場面よりも航海や隊員として行動している場面なんです。例えば14話「銀河の試練!!西暦2200年の発進!!」はオクトパス星団の宇宙気流に阻まれて足止めされるというお話ですが、この回ではイライラが募った古代と島が2回にわたって殴り合います。これが海上自衛官風で単なる仕事や任務として取り組んでいることであったなら、これほどぶつかり合うことはなかったんじゃないでしょうか。一見血気盛んな若者の行動に見えるし、実際その通りなんですが、こうした行動を古代らが取ることで、彼らの使命感と切迫感を視聴者が共有することができたと思うんです。

■小林 そうですね、ヤマトは人間の物語です。制作者の視点はイスカンダルに向かうその乗員の心理に着目している。決して役人の物語でもなければ仕事の手順の解説でもない。以前ある政治学者が「シン・ゴジラ」を見て、「ゴジラを攻撃できる法律がない」という描写に感心していたことがありましたが、バカではないだろうかと。日本国憲法に国家緊急事態の規定がないからといって、作品で緊急事態を描けないということはないわけです。国民がゴジラに踏み潰されたり焼かれたりしているのに、「法律がないから動けない」という政治家や官僚をカオルさんはどう思いますか? 似たようなことは実際に阪神大震災であったんですがね。災害を受けて自衛隊は待機していたが都道府県知事の要請がなかったから動かなかった。

■カオル 「法律がないから」という政治家や官僚というのは、結局人命と自分の立場を秤にかけて自分の立場を守る方を優先したんだな、と思ってしまいますね。ヤマトが決して、そういう人たちの物語ではなかったことがよく分かります。古代はしょっちゅう命令違反をしていましたが、それは自分のためではなく「地球を救う」ためでした。その心理がわかるから、見るものは彼の熱さに感動するんですよね。

■小林 自衛隊法83条2項の自主派遣の命令権者は防衛大臣もありますが、「その指定する者」とは部隊長ですからね。この条文自体は阪神の時もありました。要請権者の兵庫県知事が被災して即座に要請できる状況ではありませんでしたから、当面の間、出動要請は来ないことも分かっていた。自衛隊は、被災地の上空をヘリが飛び回っていたことといい、この状況ではいちばん健在な組織で、これなら現場で判断の余地は多分あったでしょうね。残念なことに自衛隊に古代はいなかった。


女性キャラ問題から見る、ヤマトの中にある松本零士の世界観

■カオル ところで、すこし本筋から外れますが、ヤマト隊員の中で女性キャラは森雪しかいません。艦橋ではレーダー要員、ほかに生活班として洗濯や食糧の確保、看護婦などあらゆる場面で活躍していました。これはいくらなんでも過重労働じゃないか、って言われますが、なぜ制作者は女性キャラを1人だけにしたんでしょう。1人でなければいけなかったんでしょうか。

■小林 ヤマト2202でですね、前作2199のクルー、半数が女性ですが、が、英雄の丘で一斉に敬礼する場面があるんですが、締まらないんですよね、これが。見ていて気恥ずかしくなってしまう。せめて男女別に整列させるとか、女性用の正装を作るとかしていれば良かったんですが、男女ごた混ぜでは絵的に締まらない。それが先ずありますね。スタートレックでは問題ないんですがね、ヤマトはとにかくダメ。

■カオル でも不思議ですね。ヤマトでも実写版では森雪以外にも相原と佐渡先生が女性になっていましたが、気恥ずかしくなるようなことはありませんでした。とすると、アニメで描かれた女性の絵に、気恥ずかしさの原因があるのでは? アニメ絵の女性キャラはいかにも女の子らしいチャラチャラした感じで、そんな女性キャラが複数並べば、どこかの安いアイドルグループみたいになってしまう。

■小林 だからあれは、松本零士の描く女性キャラでなければいけないんですよ。

■カオル そうですよね。松本零士でなければ、というところがヤマトにはありますね。その世界観の構築に、松本零士は大きく寄与していたなと、原作者からクレジットが削除された2199を見て、改めて感じました。
 松本零士には、例えば「男のロマン」とか「宇宙の女神」とか「戦士の銃」など、どの作品にも共通する要素がありますが、これらは単に作品に彩りを添えるという表面的なものではありませんね。何か、根底に哲学のようなものが流れているように思うのですが。 した。古代や島らヤマトの隊員たちを動かしていた精神的な原動力としては、何があったと思われますか?

■小林 「血の哲学」とでも言うんですかね、戦艦とか銃とか機械とかが単なる部品の集合体ではなく、作り手の情念、意思が宿っているという思想は感じますね。あながち間違いでもないと思いますよ。造形物には必ず、それを作った人間の意思や思想があります。例えば「戦士の銃」はそれを分かった人間が使えば無敵のコスモガンですが、分からない人間に取ってはタダの鉄のカタマリに過ぎない。銃を使う、機械を操るという行為自体が松本作品では作り手と使い手の究極のコミュニケーションなんです。そこにはある種の修練や教訓じみたものもありますね。

■カオル 機械についてはそうとして、「ロマン」、「女神」についてはどうお考えですか?

■小林 一般の理解とは別のこととして、松本作品には「女神」はいないと思います。スターシャもメーテルも近づいてみれば普通の女性でしょう。むしろそういう神性よりも人間性の気高さの方を彼は描いていたと思います。松本の弟子の新谷かおるのマンガで主人公の友人が無謀な戦いを挑む理由を「男の尊厳だ」と言う場面がありますが、そういった思想は彼は松本から引き継いだと思います。いわば究極のダンディズムですね。女性は女性で、男性は男性で、ある意味「美学」を追究するキャラクターが松本の造形の基本になっています。スターシャもあんなに髪を長くする必要はありませんし、ハーロックも古代もあんな濃いボサボサ頭の必要もありませんからね。全ては彼らなりの「カッコ良さ」の表現です。あ、2199は全く無縁でしたがね。

→つづく

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