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An another tale of Z

 Zガンダム第1クールのレビューを終えて 小林昭人さんインタビュー

視聴者の感性は85年を境に大きく変わる
求められたのは、まさに時代と格闘するような高品質。

6.Zの時代と視聴者の感性の変化

■カオル 作品を観ていると、むしろ富野監督は、組織の中での人間関係の不和や、男女の恋愛感情といったものに重きを置いているのでは、と思えるところもあるのですが。

■小林 重点を置いたのではなく、放映開始時になってもなお、彼は作品の世界を作っていなかったんです。もっとハッキリ言えば、彼は継承すべき前作を受け容れることを自分の中で拒んでいたんです。できれば見たくない、理解したくない、しかし、この時代になるとスタッフも質が揃っていますから、何もしなくてもキャラ画とか上がってくるわけでしょう、責任者ですから、「そのうち何とかする」でズルズルと話が間延びしていくわけです。

■カオル そうですか〜。その「そのうち何とか」でズルズルと間延びしている部分が人間関係の不和や恋愛感情、言ってみればカミーユとエマ、ファの痴話ゲンカであったり、カミーユを慰める、慰められないとかいう話であったりするわけですね。

■小林 その前に「慰める」というのは性行動を意味する言葉ですよね。前後の描写を見てもファがそれを意識している台詞、「私だって、子供なのよ!」がありますし、これは確信犯ですよね、この文脈で読むとエマの「慰める」も意味は同じですね。男女関係の話というのはスパイスで使う分には良いと思うんですよ。そういうのがない話は面白くないですからね、しかし、そればっかで引っ張るのは「稚拙」であり、「間延び」です。同じスパイスは私も自分で作品書く時に考量しますから分かるんです。たぶん、当時の彼の頭の中身はカラッポだった。視聴者に語りたい内容がなかったんです。ベテランの演出家ですのでテクニックが先行しましたが、これは分かる人間には分かるものですね。

■カオル Zガンダムのレビューでよく語られるのは「現実追認」という言葉ですが、これは、こうした中身がなくテクニックだけで形にした物語をそれらしく形容しているにすぎない、と言い切っても良いかもしれませんね。テクニックにごまかされた一部のファンの影には、中身のなさを見切って離れていった視聴者がいた。

■小林 運が悪かったこともありますね、1985年という時代はちょっといろいろ変わっていた。私は資生堂の宣伝を例に挙げるのですがね。左が83年、右が85年以降のCM。

※資生堂フェアネスCM比較(1983年/1985年以降)画像をクリックすると動画がご覧になれます。


※日産セドリックCM比較(1983年/1985年以降)画像をクリックすると動画がご覧になれます。


■カオル 2年ほどの間に、表現される内容がすごく変化していますね。83年のCMでは、化粧品にしても自動車にしても、商品そのものの「効果」を直接的にアピールしています。一方85年以降のCMでは、商品は同じでもテーマは商品そのものではなく、その商品を持ったときの自分自身をイメージさせることに移っている。糸井重里や林真理子の活躍で「コピーライター」という職業が花形になりましたが、彼らの作るコピー(広告の文言)から視聴者はその商品を得た自分がどういう自分になるか、ライフスタイルをそこから想像し、実際に変えていった。

■小林 ここまで違っているともはや別の人類というべきで、視聴者の感性もこの時代を境に大きく変わるんです。こうなってくるとファーストの焼き直しでも危ない、ダンバインの二番煎じなんてもっと危ない。もっと本格的で高質なストーリーが求められていたんです。最もこの高質という概念はサンライズの人は今も誤解していますがね、名前だけ有名な作家の作品がそうだとか、出来の悪い仮想戦記の焼き直しみたいなのが良いとか、そんなものは安易なんです。この時代に求められたのは、まさに時代と格闘するような高品質です。

■カオル その意味で、ファーストガンダムは新しさを追求しながらもなお「古い感性」で作られた作品ということができますね。続編に求められたのは、80年代に現われた新しい感性を駆使して、ファーストガンダムで提示された世界観をさらに新しく深いものへと展開していくことでした。前作のキャラクターの人物像が、まるで別人のように描かれていることを小林さんもレビューの中で指摘しておられましたが、これはそうしたことの発露と捉えることは出来ませんか?

■小林 別人と言うより、レビューした印象では輪郭がないという感じですね。世界観がきちんとしていないので、当然、そこにいる人間もモヤモヤしたものになります。これはそれだけの話でしかない。

7.評価すべき点

■カオル このように振り返ってみると、表向きの評価とは裏腹に、疑問の多い作風が浮かび上がってきますが、そんな中で、本作で評価できる点を上げるとしたら、どのようなところがあるでしょうか。

■小林 富野喜幸の制作指導は全く評価できません。しかし、この作品の場合、作劇はゼロ点ですが、そこに集まっていた才能は評価して良い。悪かったのは料理人だけで、材料自体は最良の素材が揃ってはいたんです。そもそもアニメ稼業をやっていることに後ろめたさを感じなくて良い時代になっていましたからね。声優という職業も社会的に認知されてきた。先に述べたように、人々の感性が変わっていて、変化を受け容れられる雅量が時代にもあったんです。それが今でも通用するセンスだということは、Zガンダムがストーリーを除けば今見ても視聴に耐えることで分かりますね。そこは評価しても良いでしょう。実際、監督の指導のまずさは声優が演技でカバーしたので、Zの方がSEEDやAGEよりキャラが人間的で話はより作りやすいことはありますね。

■カオル ファーストガンダムを越えるスケールを持った作品に出来るものが、素材としては揃っているにも関わらず、それらがうまく噛み合わず、もたもたしたままようやく大気圏突入にこぎつけた、という感のある第1クールでした。小林さんは、すでに41話まで視聴されたそうですね。第2クールはますます作風が陰鬱になってくるところでもありますが、その中で注目されたポイントを教えてください。

■小林 第2クールになっても話はそんなに面白くもありませんし、特に盛り上がりもありません。フォウ・ムラサメの登場を評価する人が大半でしょうが、あれは脚本家の遠藤が脚本家ではなく、富野が足を引っ張らなかったらもっと良い話でしょう。監督が嫉妬深く横暴な権力者のせいで、個々のスタッフが、本来の実力の半分くらいしか使わせてもらえなかったようなレベルの低い作品に好評価を与えるのは、却って彼らに対する侮辱だと思いますから、私は注目点は特にありませんと言っておきますが、観た人によっては違う感想を持つでしょうし、これは持っても良いでしょうね。

■カオル 注目するとすれば、もし監督が足を引っ張っていなかったら、さらにいうと、もし別の料理人であったならこの素材をどう生かしていただろうか、という点かもしれませんね。
 ありがとうございました。

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