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An another tale of Z

 SF小説”An another tale of Z” 各話レビュー

第27話「氷結地帯」

◇一年戦争前史〜0068年・アルスカル
0063年、作家としてサイド2「ガイア」のコロニー、アルカスルを訪れたジャミトフ・ハイマンは、サイン会に滑り込んで来たガイア科学省の技官、マイッツァー・ロナと出会った。それから5年後、政治家となったジャミトフはアルカスルを再訪し、彼の主催する政財界若手エリートの会合「金曜会」の一員として招いたマイッツァーから返礼を受けていた。その会合の席で、マイッツアーはアルカスルのザパドノ地域を凍結させた経緯を説明する。

◇現代史〜0098年・アルカスル/ソロモン
アルカスルの凍結地帯、ホロドノスチではオーブル結成同盟とクロスボーン・バンガードが激しい戦闘を繰り広げていた。ソロモン共和国では、サイド2「ガイア」に属するアガスタ共和国からの要請を受け、派遣艦隊の編制が行われており、作戦部長のマシュマーは、艦隊司令に親友でもあるマーロウを指名しようとしていた。このようなソロモン軍の動向を探るべく、オーブルから一人の少女が偵察のため難民になりすましてソロモンに入国した。彼女は開放的な雰囲気や勤労権を保障する同国のシステムに驚きながら、諜報活動を始めるべく国防省へ向かう。一方、少女の出身地では、父ウズミラがエウーゴの派遣艦隊を受け入れるべく、ブレックス准将を戦場へと案内していた。ブレックスはそこで、困窮する市民、モビルファイターを駆使するクロスボーンに対して人海戦術で挑むしかない悲惨な戦い、そしてウズミラによる上級大将粛清の現場を目の当たりにする。

【この一文!】
 「しかし、そこに住む人間はどうなる?」
 ヘンデルは修繕を放棄した結果、ほぼ年中凍結地帯となる地域の住民のことを指摘した。
「わずかな補償金をもらって追い出された、ですわ。」
 マイッツアーの背後から声がし、振り返ると銀のトレーを持ったイザベルが燃えるような視線を彼に向けていた。優雅な挙作で笑みを絶やさなかったホステスの表情に怒りを見て取ったヘンデルが驚きの表情を浮かべている。
「しかし、あまり利口なやり方とは思えんな。その凍結措置のおかげでコロニーの三分の一は使用不能だ。他に方法はなかったのかね。」
 ヘンデルが言った。
「修繕放棄を決めたのはガイア政府だ、私じゃない。他の方法は、取れるものなら取りたかったが、当時のプランではあれが最善だった。」
 差し出されたグラスを手に取ったマイッツアーが言った。それを聞き、イザベルが皮肉を言う。
「誰に取っての最善(サモエ・リュチュシー)だったのかしら?」


▼ジャミトフ・ハイマンの別荘で、ガイア科学省の技官マイッツァー・ロナはジオン公国の官僚ゼルバ・ヘンデル、そして人気女優イザベル・バトレーユと顔合わせをする。バルコニーから見える雪氷の丘陵の風景から、なぜアルカスルの一部地域が凍結されるに至ったか、という話題になったのだろう。マイッツァーはその決定をした当事者であった。住民に多大な損害を与える措置に、ヘンデルは思わず「他に方法はなかったのか」と口にする。そしてもう一人、耳を傾けていたイザベルはマイッツァーの言い訳めいた言葉に、湧き上がる憤りをぶつけ始める。
「誰に取っての最善か」。女優が投げかけたその問いをマイッツァーははぐらかすが、この会合で言葉を交わしたジャミトフ、マイッツァー、ヘンデル、そしてイザベルの4人はそれぞれに、やがてそれぞれが信じる「最善」を求めて、それぞれの道を歩み始める。30年を経た0098年の現代、その歩みはそれぞれにどんな実をもたらし、どんな世界を創ろうとしているのか。イザベルの一言から、ガイアをめぐる戦前・戦後史の重い扉が開かれてゆく。

第28話「抵抗記念日」

◇一年戦争前夜〜ジオン侵攻へ〜0079年・ソロモン/アルスカル
0077年、ジャミトフ主催の「金曜会」で知り合ったガイア科学省のマイッツァーとヘンデルは、ジオン、ガイア、ルウム3国の合弁事業の打ち合わせのため、ルウムの首都オルドリン市を訪れていた。打ち合わせ後の食事の席で、ヘンデルはジオンの合弁事業への参画中止をマイッツアーに告げた。その2年後、一年戦争が勃発。サイド2ガイアはジオン公国による侵攻の危機に直面する。マイッツアーは議会で義勇軍による抗戦を呼びかけるが、議員たちの関心はすでに戦後の利益配分に向けられていた。限界を悟ったマイッツアーは、息子で彼の補佐官を務めるガロッゾとともに、フロンティア疎開計画を実行に移すことを決意する。

◇現代〜0098年・ソロモン/クロスボーン・バンガード
オーブルから工作員としてオルドリンにやってきたカガリナは、ソロモン共産党本部を訪れて職探しについてアドバイスを受ける。ソロモンの求職システムは、労働者がその素質と意欲にふさわしい職に就き、能力を発揮できるよう雇用企業に責務を求めるものとなっていた。カガリナはその中から、求職者に求める能力ランクが低く回転率の高い「ヤクルート社」に目をつけた。一方、サイド2のコロニー「フロンティア01」に本拠地を置くクロスボーン・バンガードは、ガイア時代に反ジオン同盟を結成した2月18日の「抵抗記念日」を迎え、観閲式が行われていた。その科学力の粋を結集して造られた潜宙艦の艦長となったザビーネ・シャルは、作戦決行を前に士気を高めていた。

【この一文!】
 「特権的な官僚によるエリート政治と、無知蒙昧な政治家による過剰な自由主義(フリー・エコノミー)の促進の相乗効果が、ガイアを崩壊に追いやった。」
 資本家に比べ、圧倒的に力が弱く、その日の糧を労働の対価によってしか取得できない労働者に取って、自己の生存を脅かす自由にいかほどの意味があるだろうか。
 その自由の主張が進むにつれ、ガイアでは階級対立が激化し、社会の調和が失われていった。
「バートンは違うとおっしゃるのですか。」
 マックスの言葉にマイッツアーは反発した。
「社会主義はまず個人の生存に全ての基礎を置く、生存権の確保を最優先に考える思想だ。いくら自由があるといっても、死んでしまったり、生存を脅かされては自由も享受できないのであるから、バートンの思想も実は自由主義(リベラリズム)の一種と言える。」
 自由主義の理想を実現するために、人民主義も自由主義に取り込むのだ、と、マックスはマイッツアーに言った。
「自由主義と社会主義は対立すべきものではない、融合し、調和すべきものだ。」


▼ただの地方首長に会って、どうなるのか。マイッツアーはオムスク市長、アナトール・マックスに会うべきという息子ガロッゾの薦めに一瞬困惑するが、首都に迫るジオン軍の脅威を前に、出来ることは限られている。人民主義者として猛威をふるったネロ・バートンはすでに、ホロドノスチで戦闘に入っている。  マックスと出会ってマイッツアーは、凡庸だと思っていた息子の慧眼を見ることになった。しかしマックスの提案はマイッツアーを狼狽させた。自由主義経済のもとで科学力を武器に国力を拡大してきたマイッツアーにとって、コスモ共産主義を提唱するバートンは併存不可能な存在である。
 しかし、マックスの提案は単に一時的に手を結ぶために妥協を強いるというものとはまったく違っていた。彼は、この時代にあって目指すべき理想をマイッツアーに明示したのだ。 「自由主義と社会主義は対立すべきものではない、融合し、調和すべきものだ。」
 この彼の言葉は伏流となり、やがて第三部に起こる様々な変革の基調となるものとなってゆく。心に留めておきたい一言。

第29話「戦艦エイジャックス出撃」

◇現代〜0098・ソロモン/アガスタ派遣艦隊
ヤクルート販売員となって諜報活動を始めたカガリナは、ソロモン共和国軍のアガスタ派遣艦隊の情報をオーブルの首都テレシコワの共産党本部に報告し、さらなる情報をつかもうと、出航前でにぎわう宇宙港に屋台を出して偵察活動を続けている。アガスタ、クロスボーン・バンガードの両国はそれぞれに、自国の立場を表明するテレビCMをソロモンでひっきりなしに流している。そんな中、アガスタ共和国に向けて出航した戦艦エイジャックスを旗艦とするソロモンの派遣艦隊だったが、司令官のマーロウは艦隊進路が漏れていることに気付いていた。

◇現代〜0098・クロスボーン・バンガード/アガスタ
潜宙艦「ネクロスIII」艦長ザビーネ・シャルは無制限作戦の開始を受け、サイド2に向かう航路を航行する輸送船への無差別攻撃を開始。アガスタ共和国大統領イザベル・バトレーユは、ソロモンのみならずサイド4ユニオンにも支援を要請し、これに応じてローラン提督を司令官とする派遣艦隊がアガスタに向かって航行していた。これに対してクロスボーン・バンガードを支援するティターンズも戦力を投入、アガスタに向かってくるソロモン、ユニオン両艦隊にクロスボーンとティターンズが狙いを定める。

【この一文!】
 出航から三日、マーロウはバーゼル参謀長に艦隊針路の変更を命じた。アガスタの西側、通常航路に近いフランクリン地峡から進入するルートを避け、大き く迂回して南側のブラウン地峡から進入する航路案を示した司令官に参謀長は大きく頷いた。マーロウの手には昨夜の戦艦カンペンフェルト撃沈を報じたオルド リン・タイムズの記事が握られている。
「無線も封鎖する。到着はさらに一日遅れることになるが、我が艦隊はブラウン地峡からアガスタに入港する。」
 先のアガスタ大統領との通信会談で、マーロウは到着が遅延する旨を伝えている。予定では艦隊はすでにレーヴィンに到着している。
「アガスタ政府への連絡は。」
「必要ない。」
「ファミリー・グラムはどうしましょう。戦闘航海ではないので、乗員に本国との通信やネットワークの使用を許可していましたが。」
 ブッダ艦長が言った。
「全て封鎖する。グラムはレーヴィン到着後でよいだろう。」
 マーロウはそう言い、艦長に艦隊針路の変更を命じた。
「ティターンズが宙域に展開していたとなると、やはり我々の針路が彼らに洩れていたと見るべきだ。ブラウン地峡から進入しても探知されるだろうが、我々が迅速に動けば、おそらく安全にレーヴィンに入港はできるだろう。どうもこの遠征、最初から油断大敵のようだ。」
「針路を変更します。艦隊針路二二〇、艦隊速度、第二戦速から第三戦速へ。」
 巨大な戦艦とその艦隊は大きく旋回し、目前にある、広大なサイド2宙域を迂回する針路を取った。


▼マーロウ率いるソロモン艦隊が向かう先はサイド2のアガスタ共和国。クロスボーン・バンガードがレーダーでは捉えられない潜宙艦で航路上の船を無差別攻撃し、恐怖のどん底に陥れている宙域だった。そんな中、艦隊進路の漏洩を疑ったマーロウは、無益な戦闘を避けるため、針路の変更を命じる。見えない敵が待ち受ける宙域だけに慎重になるのだろうか、しかし理由はそれだけではなかった。人気女優から大統領に転身したイザベル・バトレーユ、ソロモンで流れるテレビCMではお涙頂戴の演技で支援を要請していたが、どうもただ者ではない様子。共産主義勢力のオーブル、奇抜な貴族主義と先進の科学力を誇るクロスボーン・バンガード、計略で存亡を図るアガスタ、それぞれの背後につくエウーゴ、ティターンズ、そしてソロモン。幾多の勢力の策略が渦巻くこの場所で、音なき戦いはすでに始まっている。

第30話「パシフィック崩壊」

◇現代〜0098年・ケネディ宇宙港〜ハマーンの旅
引退した前連邦第一艦隊司令官のアレクシス・ド・ブルックス退役大将は一人旅の途中、保養旅行の途上にあったハマーンと出会い会話を楽しむ。その中でハマーンはクロスボーン・バンガード成立についてブルックスに尋ね、パシフィック正統政府、アガスタ共和国、十二市国、アリスタ共和国、オーブル結成同盟、そしてクロスボーン・バンガードといった諸国が乱立することになったガイア分裂の歴史をひもといていく。

◇ガイア戦後史〜0083年・アルカスル
一年戦争後、ガイアにはパシフィック統一政府が成立し、元オムスク市長で自由党のアナトール・マックスが初代統領に就任した。しかし0082年の冬、彼は急逝し次期統領を決める選挙が行われる。事実上人民主義者ネロ・バートンと自由党副党首のアジール・サルラックの一騎打ちとなった選挙はバートンが得票を伸ばしてゆく。これに対して人民主義に政権を明け渡すことを恐れたサルラックは開票結果を待たずしてオムスク軍を動かし、ハデス大佐にパシフィックの戦艦を確保させた。選挙に勝利したはずのバートンは逮捕され、免訴されていたはずの罪で死刑判決を受ける。しかしその法廷でバートンは裁判長に銃口をつきつけるのだった。
バートン派のテロとサルラック派の無差別攻撃で市街地は焦土と化し、もはやガイア分裂は避けられないと悟ったマイッツアーに、中道党のフォレスタルは現在の政府からの離脱を提案する。折しもフロンティアを訪れていた連邦下院議員のジャミトフ・ハイマンは、連邦政府がフロンティア全域を借り上げて租借地とする計画を話、事実上の独立を果たすよう薦めた。こうしてパシフィック政府の分裂は決定的となっていく。

【この一文!】
「大丈夫だネロ、自分でコートも脱げなくてアナハイムの会長が務まるか。」
「テレシコワは寒い、無理するな。」
「ああ、確かにリューマチが痛む。」
 アナハイム・エレクトロニクス会長、メラニー・ヒュー・カーバインはバートンの助けを借りてコートを脱ぐと、部屋のストーブで暖を取った。
「サルラックのことは承知している。金のことは、私に任せて欲しい。」
「すまんな、メラニー。」
「バートンが不正判決を書いた判事を撃ち殺したと聞いてここに来た。貴殿は昔と何も変わっていない。不正を憎み、卑怯を憎む、工業大学の時代からそうだった。」
 メラニーと呼ばれた男はしわがれた声で仮面の男に言った。この時代では珍しいことだが、月の小さな家電企業、アナハイム電気の長男に生まれたメラニーは生まれつきの小児マヒで、しかも唖(おし)であった。
 生まれついての身体障害者で言語も不明瞭なメラニーは、工業大学に進学するまで、同級生たちからは疎外され、女性からは忌み嫌われ、いわれのない差別を 受け続けた。障害を克服するための努力はしたが、進学した工業大学で出会ったバートンは初めて彼を対等な人間として遇した。
 メラニーはバートンほど偏見というものから自由な人間を見たことがない。その見方は恐ろしいほど公平で、しかも、実践的かつ論理的だった。
「私は差別や偏見、特権の上にあぐらをかき、安穏としている人間が許せないだけだ。」
「古い話で恐縮だが、私は貴殿に認められるまで、世の中の人間は誰も自分を認めてくれないと思っていた。」


▼統領選挙で当選したものの、この人民主義者に恐れをなしたサルラックの反乱により裁判にかけられたネロ・バートン。法廷で彼は裁判長を射殺し、苛烈な一面をあらわにする。そんな彼のことを耳にして、極寒のテレシコワ市を訪れたのは学生時代からの友人でアナハイム・エレクトロニクス会長のメラニー・ヒュー・カーバインだった。私有財産を否定する人民主義者のバートンと、大企業のトップという意外な組み合わせだが、メラニーがバートンを支援するのには、イデオロギーの相違を越えた深い人間同士のつながりがあった。理想の実現のためには流血も辞さない冷酷さの下に、バートンという人間の持つヒューマニティを垣間みる瞬間。ある面から見るとまったく違った姿に見える、ATZの人物は多面体である。

第31話「遠い記憶」

◇一年戦争末期〜戦後史・ソロモン要塞/ズム・シチ
0079年、一年戦争末期。ジオンの要塞ソロモンが陥落し、連邦軍は次なる目標、ア・バオア・クー攻略に向けて着々と準備を整えていた。第七艦隊を指揮していたブルックス大将は、ここで「スコルピオ事件」と呼ばれる怪事件に遭遇する。突如戦艦スコルピオが制御不能となり、要塞に激突したのだ。その原因は戦艦の製造上の欠陥とされたが、戦後、ジオンの首都ズム・シチに駐留した際、彼はその真相を知ることになる。
連邦駐留軍司令部の治安部長を務めることになったブルックスは、ジオン大学学長のギュネイ・ガトー教授から内務省参事官、マハラジャ・カーンを紹介される。鋭い眼光を放つその痩せぎすの男は、「ジオンに憲法を作る」と提案し、ブルックスを驚かせる。公王制を存続させた立憲君主型の憲法を作るというのだ。戦争を起こした国の元首の地位が存続することにブルックスは疑念を抱くが、立憲君主制であるべき理由を語るマハラジャの明瞭な意思と、連邦が新生ジオンの成立に関わるべき、と役割分担を求めるギュネイ教授の地に足のついた姿勢に心動かされたブルックスは、このチームでジオン公国憲法の制定、そして新生ジオン国家の成立をサポートしていくことを決意する。

◇現代〜0098年・サイド2行き航路/ズム・シチ
派遣艦隊の後に続いてアガスタのコロニー「シャリア」に向かっていたエゼルハート・カーター少将は、乗艦「ウパニシャッド」を沈められ、グラナダ宙運の輸送船に救助された。ここで、かつてエウーゴでアーガマの操舵手を務めていたトーレスと再会し、臨時雇いとしての彼の処遇を目の当たりにして疑問を抱く。一方、保養旅行を終えたハマーンは、宇宙港で義弟、グレミー・トトの出迎えを受けるが、彼の様子に異変を感じる。

【この一文!】
 マハラジャらとの会談を終え、疲れを覚えたブルックスは執務室を出ると、階下のカフェテリアに足を運んだ。その途中、二階のバルコニーに一人佇む少女の 姿を見た時、彼はふと足を止めた。五歳くらいの少女だろうか、外からの光に真紅の癖のない髪の毛がキラキラと煌めく。肌は白磁のようで、彫刻のように均整 の取れた美しい姿をしている。バレエでも習っているのだろうか、娘は優雅にステップを踏み、バルコニーで踊っている。
 長い間、殺伐とした戦場を駆け抜け、荒んだ心境になることが多かったブルックスは、しばらくの間、踊る少女の姿に見とれていた。天使とは、こういう娘のことを言うのだろうか。信仰もなく、神仏に縁の薄い自分にも、神は等しく光を照らしてくれる。
「娘のハマーンです、会談が終わるまで待たせておりました。」
 不意に現実に突き落とされたブルックスが振り返ると、先程まで話をしていた陰気な初老の男が背後にいた。マハラジャに娘がいたことは初めて知った。そうなると、この娘の現在の地位は、、
「閣下の御懸念は理解できますが、私、マハラジャ・カーンは公事と私事を混同するような者ではありません。今のジオンはそのようなことが許される状況ではない。」
 マハラジャはハッキリと良く通る声で言った。その水色の瞳が澄んでいるのを見て、ブルックスはこの男は嘘を言っていないと思った。
「その言葉、信じたいと思う。」
 では、と、バルコニーで踊っていた少女を招き寄せ、手を引いて去っていく男の姿が消えるまで二階の窓から見送っていたブルックスは、男の真意が何であれ、この仕事は連邦軍人の誇りに賭けて、公平に、かつ誠実にやろうと決意した。

 そして事実、ブルックスはそのように行動した。


▼退役したブルックスはソロモン要塞にあるスコルピオ記念館を訪れ、戦後ジオンで自らが果たした役割について回想する。「歴史の一証人として、自分は重要な歴史的瞬間に立ち会っていたのだ」という彼のつぶやき。そこには新生ジオン国家を建て上げる共同作業者の一人として負ってきた重責があった。
 新生ジオン国家の枠組みを決めることとなったマハラジャとの会談の後、バルコニーで踊る少女の姿にしばし心を奪われるブルックス。一人旅の途上で親しく語り合った女王ハマーンとの、これが最初の出会いであった。皇位継承権を持つ娘の存在を知って、マハラジャの真意に懸念を抱くブルックスだったが、彼の意思を映す目に、自身の誇りを賭けて取り組むことを決意する。それから18年のときを経て、かつて彼の心を慰めた美しい少女は公王となっている。その姿に、彼はあの時のマハラジャの言葉が真実であったことを、改めて悟ったのではないだろうか。

第32話「アガスタの魔女」

◇現代〜0098・クロスボーン・バンガード/ソロモン
ハマーン暗殺事件の狙撃犯、ジェフ・ゴールドマンは一年戦争に従軍し、心に大きな傷を負っていた。もし、戦後に適切な治療を受けていたなら、ドロップアウトして闇の組織の手先になることはなかっただろう。そうした思いから、パイエス夫人が設立したジェフ・ゴールドマン療養所で、クロスボーン・バンガードからの亡命者、フィリポ・ツベクロマが療養生活を送っている。療養所を訪れたマシュマー・セロはパイエス夫人の案内で、ツベクロマと面会した。彼は心身に深い傷を負っていた。マシュマーに、その原因となった恐るべきクロスボーン・バンガードの教育・人材登用制度について語った彼は、ある計画をマシュマーに打ち明ける。

◇現代〜0098・アガスタ/サイド2ガイア宙域
ソロモンからの派遣艦隊は到着したものの、クロスボーン・バンガードの無差別攻撃が開始されて以来、アガスタに至る航路を通過する船の数は激減したままだった。大統領のイザベル・バトレーユは、このことについて補佐官を務める夫イチローに自身の見解を聞かせる。交易国家であるアガスタにとって、航路の通行量の激減は国家の存亡に関わる問題である。しかし、ソロモン艦隊は航路の防衛のために派遣されたわけではない。ならば、ソロモン自身がクロスボーン・バンガードと戦うように仕向ける、というのが彼女の戦略であった。イチローは、大統領の意を受けて闇の組織との接触を図る。
一方、派遣艦隊ではゲアリ中佐とビシェッツ中尉がリック・ディアスでサイド2宙域を哨戒飛行していた。20を越えるコロニー国家がひしめく複雑な宙域には、それだけでなく、過去に起こった核戦争の戦跡ストーン・リッジもある。3日後、自身が隊長となったビシェッツは3機のガリバルティと哨戒飛行中、センサーに反応があったことを受けて調査に向かう。

【この一文!】
 「画家になるつもりか?」
 それも悪くない、マシュマーの言葉にツベクロマは自嘲した。
「ゼルに登用される前にこの世界を知ったなら、私はためらいなくその道に進んだだろう。だが、クロスボーンでは誰も俺にそうしろとは言わなかった。」
 そう言い、彼は苛酷な選別システムであるクロスボーンの教育制度について話した。フロンティアの中間層の息子に生まれた彼は素質を認められ、一〇歳の時からゼルへの特別コースを歩んできた。
「ゼルに登用されるまではと試験に次ぐ試験を耐えてきた。仲間を蹴落し、実技試験や学科試験では一点でも多くの点を取るために凌ぎを削った。そうして選ばれたエリートの集まりがこの国を良くすると固く信じてきた。」
「だが、落伍者はどうなる。」
 マシュマーが言った。
「敗者などゴミクズにすぎない。生きる権利も主張する権利もない。それがクロスボーンの教育だ。全てを国家に捧げる。それ以外の生き方は認められていない。」
「好きになれんな。」
「その好き嫌いさえ教えられてはいなかった。」
 ツベクロマが言った。
「選別は個人が自由意思で選択した場合に限って許される。それ以外の理由で、人間が人間を差別する権利も優越する権利もない。それが我々の考え方だ。」
 マシュマーが言った。
「五歳、一〇歳の子供に選択する意思力などあるのか。」
 ツベクロマが言った。
「卑劣だな(ラスカリティ)。」
 マシュマーの言葉を聞き、クロスボーンの士官はニヤリと笑った。
「貴官とは話が合いそうだ。」


▼冒頭、組立工から転身して32歳で資格を取り、モビルスーツのパイロットとなったビシェッツ中尉は、意気揚々と新鋭機リック・ディアスを操りサイド2宙域を航行している。それは、10年前に政権を取ったリーデル首相による改革で、意欲のある者が能力を発揮できる労働環境が整備された成果の一つであった。マシュマーが訪れたゴールドマン療養所のツベクロマもまた、ソロモンで生きる希望を見出した一人であった。遺伝子操作で生み出され、ただ、国家に従順に仕えるだけの存在として、苛酷な人材登用システムを生き延びてエリートになった彼だが、そこで見た現実に失望し、潜宙艦から宇宙へとダイブしたのだ。
亡命者として受け入れられたソロモンの地で、彼は自分の才能を発揮できる世界を知り、没頭する楽しみを覚える。新しい人生の道を切り開いてこれから戦場へ出て行く者、戦場で傷つき、故国に深く失望した者。「アガスタの魔女」の策謀が蠢く中で、対照的な二人の生き様にそれぞれの国の命運を見る。

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