MUDDY WALKERS 

An another tale of Z

 ガンダムAGE全話レビューを終えて 小林昭人さんインタビュー

ガンダムAGEを振り返る〜
「世襲」の物語が示す閉塞感。その先に、可能性はあるのか(4)

4.シリーズの将来を見出すために

テレビアニメは、一般に受け入れられるテーマを持つべき

■カオル そういえばATZの第5話の冒頭、ジオン公国提督の葬儀に参列した自由コロニー同盟の国防局長官ブリジットと木星派遣艦隊司令のヤゾフとの会話に、世襲に関わる内容がありました。ジオンは木星圏の都市から志願者を集めているのに対して、同盟軍は常に志願者不足に悩まされており、長官は基地の地元高校に軍事教練の導入や卒業生の優先採用を主張しますが、ヤゾフ提督はこれを「世襲の勧奨」として否定していましたね。

「軍人の子供が軍人になる。それは世襲(インヘリット)と言うのではないのかの。」

 振り返ってみると、ATZは主人公のマシュマーをはじめ、世襲できる家柄にありながら、親とは違った道を選んでいるという登場人物が数多く描かれていました。全体の構図としても、地球といういわば世襲の大地を有する連邦に対して、宇宙という新しい舞台を選んだ人々が「世襲の論理」に対峙していく、そのようなものがあったと思います。それは、親から引き継ぐものをもたない多くの人にとって、希望のメッセージとなるものじゃないでしょうか。

■小林 あの話を書いた時にはガンダムAGEはそもそもやっていませんでしたが、世の中の傾向から意識はしていました。だから釘を刺す目的であの描写を改訂版で加えたのですが、公の場で放映されるテレビアニメというのは、少なくとも一般的に受け入れられるテーマを持つべきで、「世襲」がそれに相応しいテーマかといえば、群像劇の一群としてそういう家族を描くことには別に問題ありませんが、番組のテーマとして相応しいテーマではそもそもなかったように思います。
 それに夢がありませんね。子供は自分が生まれながらに枠にはめられるような物語に本能的に共感するとは思えません。それが低視聴率となって現れたわけで、自分の可能性を信じている子供たちにはあまりにも夢のないドラマをやったなというのが偽らざる感想です。たぶん、今の日本がそういう雰囲気なんでしょうね。良くないと思います。

今必要なのは、「時代に立ち向かう気概」

■カオル シリーズの将来、というテーマでお話をお聞きしてきましたが、最後の質問です。夢のあるドラマを作るには、何が必要だと思いますか?

■小林 作品というものには、特にこういう群像劇で世界や宇宙の未来を扱うような作品には、「時代に立ち向かう気概」が必要だと思います。日本でアニメーションの分野に優秀な制作者を多く輩出した1970年代には、安保闘争を前後にした時代の雰囲気がありました。宇宙戦艦ヤマトやガンダムを作った人たちは、アパート住まいでカップラーメンを啜るような生活をしていたのですが、今の現実に対してあるべき社会、生き方に対する憤懣なりビジョンがありました。人間の可能性を信じていて、21世紀にはもっと素晴らしい世の中になるという確信もありました。作品というのはそういう反骨精神のスパークで、それが無ければオウム真理教の宗教アニメや仏教マンガと変わりありません。長いものに巻かれろ、というネットウヨクみたいなメンタリティで作品なんか作れはしないんです。

■カオル 今の時代は物質的には当時より豊かになっている反面、なにか、現実はこういうものだと割り切っているような、醒めた雰囲気になってしまっていますね。

■小林 そうですね。子供であっても将来の可能性や夢を信じることが難しくなってきています。当サイトでレビューしているZガンダムでも子供が大人に反発したり抵抗したりする場面が多々あるのですが、この時代は世の中が安保の時代からだんだん豊かになって、安定の中でまとまってきた時代です。当サイトはZガンダムの作風には批判的でしたが、今にして思えば、あれは秩序が固定化されていく社会の中で反骨と理想を吸って生きていた制作者の精一杯の抵抗だったのかも知れません。そして、今はその20年前よりさらに厳しくなり、もはや反発を許さないような空気さえある。その中でどうやって夢があり、しかも説得力もある作品を作っていくかは問題ですね。

■カオル 糸口を見出すことは出来ますか。

■小林 一つ言えることは、制作者はもう少しクレバーにならなければいけないということです。不愉快な現実に粗暴な暴力で応じるような時代はすでに過ぎました。今の時代における反抗は敵手をもう少し分析して、提示されている様々な価値観を取捨選択し、誰もが納得できる解を探して一つ一つ積み上げていくしか無いのではないでしょうか。半年ほど前にいわゆるネットウヨクの論客の方々と掲示板で討論になったのですが、この点は彼らも弱いですね。一応、理屈としては説得力もある言葉を言いはするのですが、誰もが納得できる議論ではない。その「納得できない」をもう少し考える必要がある。

■カオル いじめ問題を放置した教育長を襲撃してハンマーで殴る、という事件がありましたが、このとき、ネット上には襲撃者に賛同する声が数多く上がっていて、おかしな雰囲気になっていたことがありました。中国では領土問題に端を発して日本企業のスーパーが襲撃されましたが、どちらも「不愉快な現実に粗暴な暴力で応じる」という意味で、市民の未成熟さというものを感じます。時代は過ぎたといいますが、まだ成熟に至りきれない中で、未熟な手段に戻ることにある種のカタルシスを感じる層があるように思います。その一つが、いわゆるネットウヨクといわれる人々じゃないでしょうか。こういう層に迎合していては、誰もが納得できる解を見つけだすことは出来ないでしょうね。

■小林 損失の分担というのは法律学、特に民商法の考えですが、政治や世界を扱う話ではビジネスの論理は使ってはいけないものです。世界を扱う話ではその視点はもう少し公法的、社会正義や少数者の権利、福祉を視野に入れたものでなければ受け入れられません。だからビジネスとネットウヨクの論理でリビルドされた戦艦ヤマトが腑に落ちない作品になるのは、ある意味やむを得ないんですね。議論の勝ち負けが問題ではありません。彼らが間違った処方を用いていることは結果が証明するわけです。だから、その「間違っている」が視野に入ったらそれを切り口に切り込む、そうやって希望の光が見えてくるまで呻吟するしか無いかも知れませんね。今は日本ばかりじゃなく、世界中がおかしくなっています。「希望のある作品を作る」ことは、ある意味、日本ばかりでなく世界を救う気概が無いとできないものかも知れませんね。

■カオル 希望の光を見出すために、「間違っている」結果に対して斬り込んでいくこと。制作者がその苦闘を乗り越えてこそ「希望のある作品」を世に提示していくことができる。クリエイターを自任する人々にはぜひ、その気概を持っていただきたいですし、私たち自身も、恐れずにその一翼を担っていきたいものですね。
 どうもありがとうございました。

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