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機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 全3巻
(富野由悠季/1988年 徳間書店 アニメージュ文庫)

 これは、1988年公開の映画『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に先駆けて、富野喜幸氏が連載していた小説で、全3巻が徳間書店から出版されています(その後、装丁を変更して再販されているようです)。通称「ハイストリーマー」と呼ばれています。
 映画は、シャア・アズナブル率いるネオ・ジオン軍による地球への5thルナ(小惑星)落としから始まりますが、この小説の第1巻となる前篇では、それまでの経緯が描かれています。

 びっくりするのはその表紙で、漫画家の星野之宣氏がイラストを描いていますが、従来のガンダムのイメージとはかけ離れたものになっています。 こんなのです。



「なんだこれ?」という感じで、違和感がありすぎです。さらに、ページをめくるともっとびっくり。主人公のアムロ・レイは、こんなになっています。(右頁中央の人物)



 このイラストが(悪い意味で)インパクトがありすぎるために、なんか別の話を読んでいるような気がして仕方がなかったのですが、「ハイ・ストリーマー」のサブタイトルで再販されている本の方は、アニメのキャラクターデザインを踏襲したイラストに差し替えられていますので、その違和感は解消されたものと思いますが、そうしたことを差し引いても、私には違和感の残る作品でした。
今回、『逆襲のシャア』の二次創作小説を書くにあたってこの小説を読み返しましたので、感想という名のツッコミなど書いておきたいと思います。

 第1巻「前篇」は、ロンド・ベル隊の一員となっているアムロ・レイとその部下のカニンガム・ショー(女)が、スウィートウォーターにモビルスーツ「ジェダ」で進入し、反政府活動の首謀者とされるシャア・アズナブルを捜索するところからスタートします。その際に攻撃を受け、反乱分子としてアリョーナ・ペイジという18歳ぐらいの少女を捕らえ、ロンド・ベルの“宇宙巡洋艦”(スペース・キャリアーとカタカナでふりがなが振られているが、巡洋艦はキャリアーではなくクルーザーだろう、普通に考えて)に連行しますが、そこでボディチェックなどを行ったうえで隙を与え、脱出させて尾行することに。

 ここまでお読みになればわかる通り、アムロ・レイはロンド・ベルにおいて、特高か公安警察のような仕事をしているわけです。前作にあたる『Zガンダム』では、反連邦政府組織というベタな名前の組織に加わって、連邦軍(と傘下のティターンズ)と戦っていたというのに。 いってみれば「前作の敵の陣営に入っている」形の主人公の境遇に対して、特に何の説明もないので、「あれ? 一体アムロはどうしてこういうふうになっているの?」という違和感がわき上がってきます。こうなるからには、『Zガンダム』以後に地球連邦政府・連邦軍の体制が変わったか、アムロ・レイの信条が変わったか、その両方か、なにがしかのドラマがあったに違いないのですが、そういった気配も感じられないのは、続編小説としては非常に残念なことです。
 少なくとも、読み進んでいくうちに、『Zガンダム』であれほどの大きな内乱を経験したにもかかわらず、相変わらず地球連邦の上層部は堕落して無能で自己保身のことしか考えていないことがわかってきます。アムロ・レイはそんな中にあって「内部からの改革」を実践したい旨述べているわけですが、バカも休み休み言え、という気分になってきます。

 さて、アリョーナ・ペイジを尾行したアムロとカニンガムは、シャア・アズナブルを崇拝する反政府活動組織のリーダーとおぼしきゼダ・マンディラという男に酒場で出会い、正体がバレてボコボコにされます。カニンガムを人質に取ったうえ「モビルスーツを持ってこい」と脅すゼダ。アムロはそれに従って、モビルスーツを取ってきます。その間監禁されたカニンガムは、そこで例の反乱分子、アリョーナと再会します。彼女は作戦を失敗したとして“総括”という名のリンチを受け、監禁されていたのでした。おいおい、連合赤軍かよ! と時代錯誤な用語に驚かされます。まあ、この小説が書かれてからもう20年近くたつことを考えると、やむを得ないのかもしれませんが。
 アリョーナはこの暴力的な扱いに失望し、カニンガムとともに脱走します。そこへ、ゼダの言いつけどおりモビルスーツを持ってきたアムロと出会いますが、アムロのジェダに、ゼダ・マンディラが乗った黒いモビルスーツが攻撃を仕掛けるのを見て、市民団体の反政府活動の範疇を超えた行為に疑問を感じるようになります。

 これがだいたいのあらすじです。シャア・アズナブルもちょこっと登場しますが、ナナイ・ミゲルとサザビーのテストをしているくらいです。しかし彼については「黒い髪に褐色の肌」という描写があり、これもまた「なんでやねん」とツッコミをいれたくなるところです。

 作中で、主人公のアムロはカニンガム・ショー、アリョーナ・ペイジという二人の女性キャラに絡まれてウハウハです。カニンガムの上官であるにもかかわらず、彼女に自分を大尉という階級ではなくアムロという名前で呼ぶようにいい、ベースジャバーのコクピットで顎にキスしたり、アリョーナのボディチェックの画像を見て「いい尻をしてる」と言ってみたり、お調子者のセクハラ親父みたいです。しかも、女性の方もまんざらでもない…どころか、かなり積極的にアプローチしています。彼も年相応になったということなんでしょうか。確かに気が多いところのある少年でしたが、そんなにモテモテなタイプでもなかったように思うし、複数の女性を渡り歩くようなタイプのようにも思えなかったのですが、この小説の彼は女性関係に関してはすっかり「ダメ男」になっているように思えます。もう30目前なのだから、もう少し落ち着いたところを見たかったのですが…。

 前篇のラストで、シャアの手下であるゼダ・マンディラとの小競り合いで手負いとなったアムロは、ブライト・ノア艦長率いるラー・カイラムに救助されます。ここで、チェーン・アギやケーラ・スゥとの出会いがあり、アムロはラー・カイラムの一員となるのです。 一方、地球上ではインドで修行している政府高官の家出娘クェス・パラヤが登場。公安警察に捕まえられて父親のもとに送り返される場面が出てきます。このように、映画でおなじみの面子がそろってくるのが中篇です。

 アムロがブライトと再会する場面は、なかなか興味深いものがあります。ここで、一年戦争後のアムロの歩んできた人生が説明されているからです。 それは、以下のようなものです。

 宇宙移民時代にはいって、ジオン公国の始めた『一年戦争』以後、アムロは地球連邦軍に緊束された。 つまり、士官としては最高級の待遇を与えられながらも、地球上の北アメリカ大陸地区にある旧世紀時代の核基地の案内人という生活を強制されたのである。

 まあ、そんなことをしていたなんて、知りませんでしたねえ。
そんなアムロを評して、ブライトは言います。
「苦労が多すぎて、まっすぐにものを見られなくなっている。覚悟してくれよ、チェーン」。

 ブライトの紹介でアムロはチェーンと出会うのですが、一目で彼女に好感を持ったようです。ちなみに、このときまだνガンダムは設計図の段階です。このあと2人は月面都市フォン・ブラウンに行き、アナハイム・エレクトロニクス社にてνガンダム“建造”の打ち合わせをすることになります。
細かいことですが、ガンダム世界では、モビルスーツを作ることを“建造”と言っていますが、“建造”とは建物や船舶など大規模なものを造るときに使われる言葉です。空母は「建造」ですが、戦闘機は「製造」されるもの。ですから本来はガンダムには“製造”という言葉を使うべきですね。

 また、ブライトとの会話の中では、ベルトーチカ・イルマとの別れについても触れられています。どうも、彼女はアムロが「女性に要求するものが多い」と感じて去っていったようです。そんなアムロに対して、ブライトは「マザー・コンプレックスか?」と問いかけ、アムロはそれを認めています。「女性に要求するものが多い」というと、私などはマザコンというより、さだまさしの「関白宣言」を思い出してしまうのですが、どうなんでしょう。マザコンって、そういうものなんですか? 自分の理想の型があって、その通りにやってほしいという意味なんでしょうか?

 さて、そんなこんなでフォン・ブラウンに行くアムロ。ここで、前篇で登場した少女アリョーナ・ペイジと再会します。彼女は「逆襲のシャア」でおなじみのクェス・パラヤと対をなすような存在です。クェスは最初アムロたちの元にいましたが、シャアと出会ってアムロとハサウェイを「まだ友だちにもなっていないわ」と切り捨て、シャアの所に行ってしまいます。逆にアリョーナは、もともとシャアの理想の下で戦うレジスタンスの一員でしたが、その暴力的な方法に疑問を抱いてアムロの保護下に入るのです。アムロがフォン・ブラウンに来ると知ったアリョーナは、彼を一人暮らしのアパートに招きます。アムロはこの10歳以上年下の少女にまんざらでもなさそうな感じですが、結局その夜はことに及ぶことはなく(笑)、ラー・カイラムからの緊急呼び出しで彼女のもとを去っていきます。「今夜は戻って来れるさ」とアムロはいい、そんな彼にアリョーナは「だったら、今夜、愛して下さいね?」と言うのです。が!
 それっきり、アムロは音信不通になってしまうのでした。

 ひどい、ひどいよアムロ! なんだか生温い中途半端な男になったものですね。どうもアムロも大人になって「キープ」という術を覚えたようですが、読んでるこっちはやきもきします。やるのかやらんのか、はっきりしろ!(笑) ヒーローがそれでは、燃えられんのです。

 こういうシークエンスを描くことで、富野氏は、シャアのクェスに対する扱いと対比させたかったのかな? なんて思いましたが、どっちも似たり寄ったりだな!という感じですね。

 そんなこんなで、中篇の中盤から、シャアのフィフス・ルナ落としが始まって、映画でおなじみのストーリーが展開していきます。

 一方のシャアの方は、特筆すべきことはないといった感じです。前篇、中篇はアムロを中心にストーリーが進んでいますし、シャアの方は特別映画にはなかった描写が目につくということはありませんでした。後篇は、ほぼ映画どおりの進行です。というわけで、映画では描かれていなかった、アムロがνガンダムに乗るまでの経緯がストーリー展開されているというところに、読むべき価値を多少なりとも見出すことはできるでしょう。上で紹介したブライトさんのアムロ評「苦労が多すぎて、まっすぐにものを見られなくなっている」というのは、富野氏自身のことが投影されているのかな?ってちょっと思いました。

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