MUDDY WALKERS 

心の旅  REGARDING HENRY

心の旅  1991年 アメリカ 108分

監督マイク・ニコルズ
脚本ジェフリー・エイブラムス

出演
ハリソン・フォード
アネット・ベニング
ミッキー・アレン
ビル・ナン
ドナルド・モファット

スト−リ−

 ヘンリー・ターナー(ハリソン・フォード)は辣腕弁護士。医療ミスの裁判では被告の病院側の弁護人を務めて不利な戦いを見事勝利に導いた。その合間に家に電話すると、購入したダイニングテーブルが気に入らないから返品するよう家政婦のロゼラに指示を出す。判決にがっくりとうなだれるマシューズ夫人。そんな様子には目もくれず、ヘンリーは弁護団である事務所仲間とオフィスで乾杯する。そのあと夫婦でパーティーに出かけるが、外出前、ヘンリーは一人娘のレイチェル(ミッキー・アレン)に、ピアノにジュースをこぼしたことで厳しく叱り、部屋に閉じこもっているよう指示する。妻のサラ(アネット・ベニング)とともにパーティ会場から帰宅すると、サラはヘンリーに、レイチェルに謝るように言い、しぶしぶヘンリーは了承するが、レイチェルにかけた言葉は謝罪にはほど遠いものだった。そのあとタバコを吸おうとするが、買い置きがないことに気付いたヘンリーは家政婦に腹を立てながら、近くの店に買いに出かけた。ところが、店に入るとそこには拳銃を持った強盗がいた。「金を出せ」という要求に渋る様子を見せると、強盗は発砲。鎖骨と額に弾が当たり、ヘンリーはばったりと倒れる。
 一命をとりとめたものの、ヘンリーはすっかり変わり果ててしまう。動くことも、話すこともできなくなったのだ。意識不明の重態が続くが、しばらくすると意識を取り戻し、次第に体力も回復してくる。看護師のブラッドリー(ビル・ナン)がヘンリーのリハビリを担当するが、ヘンリーはなかなか口をきこうとしない。一計を講じたブラッドリーによって話せるようになったヘンリーだが、彼は一切の記憶を失っていた。リハビリセンターから退院を迫られても、彼は「帰りたくない」と言い張るのだが…。

レビュー

 記憶喪失という症状の人に出会ったことがある人は少ないだろう。しかしドラマや映画、少女漫画などには昔からよく登場する。記憶を失うという出来事はそれほど劇的だ。もっとも、高齢者が認知症(いわゆる痴呆)になると記憶喪失に似た状態になる。亡くなった祖母がそうだった。家族のことがまったく分からなくなったばかりか、自分が結婚したことも忘れて、私が聞いたことのない旧姓を名乗ったこともあった。幼い頃のことほど、残るのである。この祖母は痴呆が進んで口がきけなくなる少し前に洗礼を受けたが、そのとき病床に来てくれた牧師と母が賛美歌を歌うと、祖母は歌詞も見ずに一緒に歌った。幼い頃、教会の日曜学校に行っていて、そこで覚えたというのだ。母もそんなことは、一度も聞いたことがなかったという。病気や事故で記憶を失ってしまっても、なお頭に残るもの。それはその人にとってかけがえのないものなのだろうか。

 この映画の主人公ヘンリーもまた、記憶を失う。頭と鎖骨付近に当たった銃弾により一時的に酸素が送られない状態になり、脳に損傷を受けてしまったのだ。私は記憶喪失になっても徐々に記憶を取り戻せるものと勝手に思っていたのだが、そうではないらしい。ヘンリーは断片的に思い出すこともある(「リッツ」や「灰色のカーペット」など)が、文字の読み方や自分の幼い時の姿も分からなくなっている。退院の日、リハビリセンターを訪れたサラとレイチェルも、初めて出会う知らない人だ。つまりこの映画のテーマは、失ったものを取り戻す、あるいは回復することではなく、新しく生まれ変わるということだろう。

 記憶を失ってはじめてヘンリーは「自分はどんな人間だったか」を客観的に見るようになる。自宅(ニューヨークの超高級マンション)にもどったヘンリーは以前とはすっかり別人になっている。前は挨拶されても返事もしなかったドアマンにハグしたり、最悪だといったダイニングテーブルをすっかり気に入ってしまったり、朝食のときジュースをこぼしたレイチェルを叱るどころか、自分もわざとジュースをこぼしたり。その有能さを高く評価されてきたゆえに傲慢で自己中心的、仕事優先の生き方をしてきたヘンリーだが、人から評価されてきた部分をすべて失ってはじめて、素の自分に帰ることができたのだ。サラの留守中に勝手に出かけたヘンリーが自由気ままな街歩きを楽しみ、子犬を買って帰宅すると、サラは心配のあまり半泣きになって出迎える。こうした様々な出来事を通して、ヘンリーは「知らない人」だったサラやレイチェルが自分を受け入れてくれるだけでなく、愛していることを知っていく。

わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
新約聖書 ローマ人への手紙7:14

評点 ★★★★

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