◇MUDDY WALKERS
■パッション The Passion of Christ
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スト−リ−…それから、イエスは彼らと一緒に、ゲッセマネという所へ行かれた。そして弟子たちに言われた、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここにすわっていなさい」。そしてペテロとゼベタイの子ふたりとを連れて行かれたが、悲しみを催しまた悩みはじめられた。そのとき、彼らに言われた、「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである。ここに待っていて、わたしと一緒に目をさましていなさい」。そして進んで行き、うつぶしになり、祈って言われた、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らしてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころのままになさって下さい」。それから、弟子たちの所にきてごらんになると、彼らが眠っていたので、ペテロに言われた、「あなたがたはそんなに、ひと時もわたしと一緒に目をさましていることが、できなかったのか。誘惑に陥らないように、目をさまして祈っていなさい。心は熱しているが、肉体は弱いのである」。また二度目に行って、祈って言われた、「わが父よ、どうかこの杯を飲むよりほかに道がないのでしたら、どうか、みこころが行われますように」。またきてごらんになると、彼らはまた眠っていた。その目が重くなっていたのである。それで彼らをそのままにして、また行って、三度目に同じ言葉で祈られた。それから弟子たちの所に帰ってきて、言われた、「まだ眠っているのか、休んでいるのか。見よ、時が迫った。人の子は罪人らの手に渡されるのだ。立て、さあ行こう。見よ、わたしを裏切る者が近づいてきた」。(マタイによる福音書26:36〜46)…ローマ帝国統治下のイスラエル。ユダヤ教の聖典、聖書の言葉を大胆な解釈で説き、様々な奇跡を行っていたイエスは聖職者たちの妬みを買い、イエスが自分を「神の子」と言うのは神に対する冒涜だとして、ローマ総督ピラトに十字架刑を要求する。12弟子の一人、ユダに銀貨30枚で売られたイエスはローマ兵に連行され、鞭打ちのうえ十字架刑に処されることに…。 | ||
レビュー イエス・キリストの生涯のうち、ゲッセマネの園でローマ兵に捕らえられてから十字架刑に処されて死ぬまでの12時間を切り取って克明に描いた、非常に挑戦的な映画である。というのも、この作品は映画の重要な要素の一つである「物語」をばっさりと切り捨ててしまっているからだ。メル・ギブソンはイエス・キリストの生涯を物語ろうとしたのではなく、スクリーンを通して、イエスが十字架につけられた現場を再現した。この作品を観るとき、私たちは観客ではなく、さまざまな思いをもって十字架刑を見物するために集まった群衆の一人になるのだ。だからこそ、この映画を観てショック死する人が出たり、あるいは殺人犯が自首するようなことが起こったのだと思う。彼らは映画を観たのではなく、イエスが処刑される現場に立ち会ったのだ。その意味で、メル・ギブソンの壮大な試みは見事にあたった。 | ||
MUDDY WALKERS◇