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  「宇宙戦艦ヤマト」全話レビューを終えて 小林昭人さんインタビュー

「宇宙戦艦ヤマト」全話レビューを終えて 
ヤマトはいかにして「癒しと再生の物語」となったか(4) 
  

■カオル 2199は、著作権の問題で松本零士の絵が使えなかったようですが、絵にはこうした「美学」も付随しているんですね。では、そうしたものを継承するには、どうすればよかったでしょうか。

■小林 描き手が松本と同じように考えれば良いんですよ。例えばエロゲとか18禁アニメみたいな造形は断固として避けるとか、描き手に矜持、自意識があれば別に松本のような絵でなくてもしっかりしたキャラは作れます。富野さんのガンダムとか、ジブリの絵とかは他の誰にも似ていないでしょう。2199の場合は元作品に似せなければいけない上に、描き手の目線が低く、そこらの美少女アニメと同じような線でヲタクに媚びてしまった。そんなキャラを「ヤマト」で並べたって、「宇宙戦艦あいのり」とか「ねるとん紅鯨団」にしか見えません。世の中にはガルパンとか艦船少女とかを見て虫唾が走るという種類の人間もいるんですよ。だいたいこれらの作品とヤマトがバッティングするわけないじゃありませんか。

■カオル そうですね。ヤマトファンがヤマトをリメイクすると耳にしたとき、期待したのはヤマトの美少女アニメ化ではなかったはずです。他でウケている作品の要素を入れて現代風にアレンジするのではなくて、元の作品のエッセンスをいかに抽出し継承するか、がリメイクの肝ではないかと思うんです。ファンはヤマトを素材にした何か、を見たいのではなくて、自分たちの知っている、あのヤマトが見たいんですよね。「自分たちの知ってる」という要素を土台に、いかに新しさを取り入れていくか、が本来のリメイクではなかったでしょうか。


戦艦大和とヤマトの関係から見えてくる、視聴者と作り手の特別な関係

■カオル 先ほどのお話のなかで、「戦士の銃」も分からない人間に取ってはタダの鉄の塊というお話がありました。その一番のキーとなるのが宇宙戦艦ヤマトとなった戦艦大和そのものではないかと思います。赤茶けた大地から朽ち果てそうな艦橋が突き出た姿は、まさにタダの鉄の塊でしたが、それが地を割って飛び立つとき、蘇って新たな命を得ました。それは、戦艦大和の形を借りた「何か」ではなく、戦艦大和が蘇ったヤマトであり、そうであるからこそ人々を惹き付けた部分があったと思うんです。戦艦大和のもつ歴史的背景が、やはりヤマトに特別な力を与えているのではないかと思うのですが、小林さんは大和とヤマトの関係をどう捉えていますか?

■小林 そうですね、戦艦大和の物語とその悲劇はヤマトの基調になっています。大和は原子力空母が就役するまでは世界最大の軍艦で、しかもその力をほとんど生かせずに沈没した船です。この戦史に対する口惜しさが「宇宙戦艦」に特別なオーラを与えたことは否定できないでしょう。日本は太平洋戦争が始まる前でも小さくて貧しい国でした。中国での戦いは泥沼に陥り、国民生活も窮乏していたのですが、爪に火を灯すような思いで必死に造り上げたが大戦艦が全くの役立たずであった。そこに戦後日本人の強い反省と「ヤマト」に託した思いがあるわけです。大和は、あるいは日本はなぜ敗れたのか、視聴者がその歴史に対する答えをヤマトとその旅に求めたことはあったでしょうね。この視聴者と作り手の特別な関係はヤマト以外のどのアニメにもなかったし、今後も現れないだろうものです。

■カオル そうだったんですか、そこまで考えなかったですけれども。

■小林 今とは違う時代だということを考えた方が良いですよ。元生存者で、戦艦大和の悲劇を綴った吉田満の「戦艦大和ノ最期」は宇宙戦艦ヤマトよりも後に出版されたんです。原稿自体は戦後すぐにあったそうですが、GHQの検閲で出版できなかった。戦後30年経って、ようやく日本人もあの戦争を冷静に見返そう、教訓を学ぼうと考え始めた時期です。そういう風潮でなければ、宇宙戦艦ヤマトがあんな作品になるはずありません。

■カオル そうした、先の戦争に対する深い反省と、真摯に学ぼうとするまなざしがあったからこそ、軍国主義の象徴ともいえる戦艦大和を、救いと再生をもたらす船として蘇えらせることができた、といえるかもしれませんね。帰って来ることのなかった戦艦大和に「必ずここへ 帰ってくると 手を振る人に笑顔で答え♪」というヤマトの主題歌が重なり合うとき、我々が望んでいるのは敵を倒して勝利することではなく、平和と繁栄を取り戻すことであったことに気づき、そしてちょうどその年代、1970年代にその望んでいた世界の門口に立っている、ということを実感したのではなかったでしょうか。
 それが、リメイクである「ヤマト2199」を見たときに、最終的にはオカルトの香りが漂うスピリチュアルな話になっていて笑ってしまったのですが、結局、このような戦艦大和から引き継がれたヤマトのスピリット(精神)、そして隊員たちの使命感というスピリットを描けなかったことに、そうなってしまった一因があると思うんです。スピリットなしには「絶対にイスカンダルにたどり着き、地球へ帰ってくる」という思いは表現できない。そこで出て来たのがスピリチュアル(霊魂)の導き、という…。

■小林 彼らの作る作品でいつも疑問に思うんですが、いわゆるヲタクと言われる人たちは宇宙戦艦ヤマトのような作品をスポ根とか非科学的とか誹謗するくせに、自分らの作品にオカルト要素を入れることには抵抗ないんですね。2199の岬百合亜の紹介文を読んだ時に苦笑してしまいましたよ、「霊感体質」って何?って。そういうのを平気で入れてくる。

■カオル あれにはびっくりしましたわ。40年前のヤマトでは木星に樹木が茂っていたり、冥王星に原生生物が生息していましたが、それはまだ太陽系の惑星探査が始まったばかりでそこまで探査機が到達していなかったからですよね。地球以外の太陽系内の惑星での生命の存在がほぼ否定されている現在、そうした描写は非科学的と排除されたのに、加えられたのが霊感だったり霊魂だったり、科学とは正反対のものですからね。


安易なリメイクで、名作を駄作化させないために

■カオル 制作されてから40余年を経たヤマトですが、今見ると26話という話数は、この物語を語りきるのにギリギリまで切り詰められた長さではなかったかと思うんです。そのため、「もう少し見たかったな」とか、「もう少し描き込んでほしかったな」と今となれば思うところもありました。例えばイスカンダルには、スターシャ以外の住民は死滅してしまって、彼女以外の人は存在しません。地球を救うためにメッセージを送ってきたこの星は、目的地であるだけでなく、目指すべき平和と繁栄の星、地球人から見たユートピアと位置づけられていたのではないかと思うのですが、それを描き切れないままに終わってしまったのではないでしょうか。

■小林 リメイクするんでしたら話数は26話ではなく50話取って、ガミラスと対峙するイスカンダル国の理想と実像をちゃんと描くべきでしたよ。彼らは宇宙戦艦ヤマトで市役所みたいな人間を描くことにはやけにこだわりますが、イスカンダルにだって官僚はおり、軍人や科学者がいるという相対感覚が完全に欠落している。だから小林誠みたいにネトウヨまがいの安っぽい方向に走るんでしょうがね。

■カオル そうですね。40年前には見えなかった、あるべき理想を描けてこそリメイクする意味があったのではないでしょうか。あと、ヤマトには農園やジム、レクリエーション施設など長期航海を支える施設も備わっていました。そうした設備、ヤマトの長期滞在機能を取り込んだストーリーももう少し見たかったですね。

■小林 それは言えますね。宇宙での長期滞在がルーチン化されて、それなりに課題も浮かび上がっている今日ですから、もっとも、ヤマトにはジムはあったんですがね。跳び箱とか腹筋台とか、まるでどこかの学校の体育館ですが、パート1に出ています。

■カオル やっぱり、ヤマトはどこか学校っぽいんですね(笑)。
 さて、ここまで、小林昭人さんとともに1974年に放映された「宇宙戦艦ヤマト」を振り返りながら、ヤマトをヤマトたらしめているものについて、掘り下げてきました。その中で、おのずとリメイク版の「ヤマト2199」に対する評価もはっきりしたことと思います。
 最後に、名作とそうでないものとの違いについてお聞きします。小林さんは、どこでその差を見分けられますか?

■小林 やっぱり人の琴線に触れるもの、ヒューマニティーについてちゃんと描いている作品でしょうね。映像技術なんか10年もすれば陳腐化して、それしかない作品なんか見るに耐えないものになりますが、技術もさることながら、人の生き様を丁寧に彫り込んだ作品は不滅として残ります。そういう作品を見分けるには、我々の側もやれ〜先生だ、押井守だといった幼稚な批評はしないように注意する必要がありますね。

■カオル リメイクという旗を掲げて、名作がこれ以上惨殺の憂き目にさらされないようにするためにも、視聴者は真っ当な批評という行為を通して、声を上げていく必要がありますね。
 どうもありがとうございました。

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