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 Zガンダム 比較レビュー

機動戦士ZガンダムDefine 第5話     

■あらすじ
 ティターンズから強奪したガンダムMk-IIを早速試乗するクワトロ大尉。カミーユとともにエウーゴに参画したブライトは、初めての機体を乗りこなすその技量に驚愕する。エウーゴの司令官ブレックス准将と面談して、アースノイドとスペースノイドに二分された地球圏の「無益な殺し合いに終止符を」という意図に賛同したブライトだったが、アーガマの艦長を引き受けることを躊躇していた。クワトロ大尉の素性を疑っていたのだ。一方クワトロは、カミーユが連れてきたファ・ユイリィの両親が姿を消していることを知る…。

原作からの大きな変更点は、カミーユとともに最初からファとブライトがエウーゴに参画していること。原作のアニメ版では10話で合流した二人でしたが、はじめから行動とともにするとなると、かなりお話しが端折られそうな感じです。エウーゴの戦艦アーガマに迎え入れられたブライトは、早速艦長職就任を要請されますが、クワトロの正体がシャアではないか、というのが引っ掛かって、すぐには引き受けられない様子。
 そんな彼の心情を察したクワトロが、ブライトの元へ趣いて、自ら正体を明かすというのが、今回のお話しのハイライトといって良いでしょう。といったって、読者にはもう分かっていることなのですが。
 注目すべきは、クワトロの正体がシャアだった!ということよりも、なぜ彼がシャアであることをやめて、クワトロ・バジーナとしてエウーゴに参画することになったか、その理由が本人の口から語られていることです。
 といっても、そんな大それた理由があるわけではないようです。父ジオンを暗殺し、その父の理想を利用して独裁を目論むザビ家一族が許せなかった恨みを晴らすために身分を偽ってジオン軍の将校になったものの、戦後、一旦地球圏を離れて自分を見つめ直した結果、「己の器の小ささに気付いた」ということらしいです。
 ファースト時代の策士シャアのイメージが頭にこびりついている私としては、「ウソつけ」としか思えない、底の浅い言い訳ですが、ブライトはそうは思わなかったらしく(よく考えてみれば初対面です)、「今回の戦いは私怨ではなく全スペースノイドのためのもの」というクワトロの言い分を受け入れて、彼とがっちり握手します。そんなわけで、当代きってのヒールだったシャアは、こうしていとも簡単に「実は善人」に転向してしまいました。
 しかし、己の野望を遂げるためには、人を陥れることも、そのために自分を偽ることも厭わないシャアを知っている私には、「というのは建前で、本音はどこにあるのだろうか」という目で彼を見てしまいます。そういう複雑さ、そしてザビ家独裁という体制の中にあってその大義にも、また集団主義にも埋没することなく独立独歩の個人主義を貫き通すキャラクターだからこそ、70年代から80年代にかけて人気を誇ることができたと思う私には、この転向は、あまりにもまともすぎて退屈に感じてしまうのでした。

 もう一つの変更点、ファの方も気になる情報があります。ファの両親がどうやらティターンズの手に落ちているようです。前号ではカミーユの両親がガンダム開発の技術者であることを知ったバスクが狂喜する場面で終わっていたので、さあ、これからZ名物世にも不思議な人質作戦が始まるのかしらと思っていましたが、ここも手が加えられるのかもしれませんね。
 しかし、誰かが理不尽に殺されないことには、正義感の強いエマさんがエウーゴに寝返る、という動機が生まれません。スケープゴートにされるのは、原作通りにカミーユ母なのか、あるいはファの両親なのか、先が気になるところですが、何となく私の感じるところでは、この北爪宏幸という作家、複雑に絡み合う心情を描くのが苦手なのではないでしょうか。案外、簡単なオチで終わってしまうのかもしれません。

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