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An another tale of Z

 Zガンダム第1クールのレビューを終えて 小林昭人さんインタビュー

人の世界観に準拠して作品作りをすることほど、
独創的な人間に取って苦痛なことはない。

5.作劇の裏側にあるもの

■カオル Zのレビューには脚本家を掲示しています。見ると、最初のガンダムとはスタッフの大半が変わっているようです。ファーストガンダムの脚本を書いていたのは、星山博之・荒木芳久・山本優・松崎健一といったベテラン陣でしたが、Zガンダムのスタッフ名の中に彼らの名前はありませんね。富野監督とキャラクターデザインの安彦良和氏以外、スタッフは刷新されているようです。こうした点を見ると、本作で富野監督は、むしろ前作の続編をやるというよりは、前作の作風を刷新した独自路線を築こうとしたのではないか、と見ることもできるように思います。少なくとも第一話では、あえて説明的な台詞やカットを入れず、主人公視点の描写によって視聴者をこの世界に引き込もうという意図が感じられました。しかし、そうした姿勢が2話以降は徐々に崩れていき、説明不足でわけが分からないだけの作品になっていきました。なぜ、1話で見せた演出意図を、作品を通して続けることができなかったのでしょうか。

■小林 独自路線と言うのもあるでしょうが、Zガンダムはその前年までの作品で富野さんがある程度成功していたことが仇になりましたね。Zというのは基本的にその延長です、例えばエマはエルガイムにガウ・ハ・レッシーというそっくりなキャラがいますし、メカ作監は同じ永野護ですからね。私に言わせればそんなに独創的でも新機軸でもない。後のZZで出てくるマシュマーもエルガイムのギャブレーですからね。説明的な描写がないというのも、別にこの作品に限らない、その前年までのザブングルからダンバイン、エルガイムも最初はみんなこの式なんです。当時を思い出すと、私にとってはZガンダムはこの「新しさのなさ」が非常に気になった作品ですね。ファ・ユイリィもエルガイムのアムですから、ほとんど変わらないんですよ、キャラが。



■カオル 反乱軍に身を投じる主人公のダバ・マイロードとか、ヒロインのアムとレッシーが優柔不断なダバを取り合うという展開など、ストーリーもZガンダムとよく似た構図になっていますね。

■小林 むしろ最初の数話などは、「またこれをやるのか」的な感じがウンザリで、内容はだいぶ違うんですがね、基本的に流れているタッチというか、雰囲気はそのまま第一話に現われている。その「1話で見せた演出意図」の破綻というのは、私はやっぱ3話が致命傷だと思いますよ。

■カオル 第3話といえば、軍の技術者であったカミーユの母親をティターンズが人質に取り、「ガンダムを返せ、さもなくばコイツを殺す」と脅迫、結果的には殺してしまうというお話しでした。

■小林 冷静に考えれば、冷静でなくても良いが、あの時点、あの場所でカミーユ母を殺す必要は全くなかったわけで、しかも下手人が「正義の地球連邦軍」でしょう。子供が脱走したなら親を使って説得させる方がよほど普通でまともじゃないですか。あさま山荘事件だって佐々淳行(当時の警察の責任者)は親を使って説得はしても、目の前で殺したりなんかしてませんよ。つまり、これはイレギュラーな話。後の話との整合性も必然性もない。レビューで書いてますが、こうなったのは元々世界観がきちんと練れていなかったんですね。

■カオル 世界観とは?

■小林 そんなに大げさなものではなく、例えばこの世界にはいくつ国があるのとか、その中で主要な国はどこなのとか、その文化とか、どんな人が住んでいるとか、そういった基本のパラメータです。メカだったら、このメカは時速何キロでどこまで飛べるといったスペック、そして、そういう宇宙飛行を想像できる想像力です。この辺がきちんとしてないと話がズブズブで何も進みません。実はキャラの人格ですらない。

■カオル ファーストガンダムの続編なんだから、当然その世界の延長線上にあるものと思っていましたが、一年戦争後の世界はどういう感じなのか、考えてみれば説明らしい説明もありませんでしたね。

■小林  ザブングルの場合は「三日の掟」といったシンプルな法が惑星ゾラにはあって、出てくる人も素朴な掟にふさわしい素朴な人々でしょう。ダンバインはこれは中世の世界で、それなりに繊細でやや古風な価値観で統一されていた。王様のために死ぬなんて今どき流行りませんからね。エルガイムは良く分かりませんが、多少はあったでしょうね。しかし、Zの場合はこれが全くできていなかった。今考えると笑い話ですが、当時の制作者の方々は「ティターンズが悪者に見えない」ことで四苦八苦したと思うんですよ。周囲からの突き上げもあった。

■カオル 主人公の母親を殺してしまう第3話は、ティターンズを「悪者らしく」見せるための苦肉の策だったのでしょうか。このような演出が必要になったこと自体、物語の土台となる世界観が考えられていなかった証拠といえそうですね。

■小林 ファーストという作品が富野喜幸氏の作品とは違うというのは、私、以前も言ったことがありますが、自分が作ったんじゃないですから、そりゃあ作品の全部なんて分かりませんよね。この辺強調するようになったのは、サンライズ社に「ガンダム事業部」ができたことで会社的な必要があったせいだと思いますよ。そして、人の世界観に準拠して作品作りをすることほど、独創的な人間に取って苦痛なことはありません。

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