MUDDY WALKERS 

 SF小説”An another tale of Z”  解説

想像してごらん、国々が、多様な文化が花開く世界を


 反連邦政府組織エウーゴという軍隊組織の中で、彼はパイロットでありながら軍人となることを拒絶し、軍規に従うことなく思うままに行動し、まさに「何ものにも支配されない自由」のみを追求しているように見えた。同じ陣営に属するリーダー、クワトロ・バジーナの「ダカール演説」は本作の名場面とされているが、その主張は「ザビ家は悪くない」とか「地球を汚すな」などといった幼稚なレベルに留まっており、果たして大規模な武力行使してまで貫き通さなければならないような確固たる信念はどこにもなかった。ただ、悪の枢軸であるティターンズや腐敗した地球連邦政府の「ない」世界を目指しただけであった。地球連邦しかないその世界で、その政府を「ない」ものにしようとする彼らの価値観は、あるいはジョン・レノンが「イマジン」で歌ったそれと同根なのかもしれない。

「An another tale of Z」第二部は、ティターンズに対する抵抗勢力であるエウーゴが、ティターンズの領袖であるジャミトフ・ハイマンを暗殺するためジャブローへの降下作戦を実行する話が冒頭を飾る。「Zガンダム」を視聴した人ならわかると思うが、元の作品の冒頭もこのようなストーリーであった。作者なりのオマージュとも言えるが、違うのは、原作にいた主人公の少年、カミーユ・ビダンがいないことである。

 なぜ、作者は「Zガンダム」の設定を借りて作り直そうというこの作品を、第二部から語り始めなかったのだろうか。実は、「Zガンダム」ではこのジャブロー降下作戦にいたる間、主人公であるこのアナーキーな少年がエウーゴに参加して主役にふさわしいモビルスーツをあてがわれるまでのゴタゴタにおよそ十話を費やしている。カミーユ・ビダンのいない世界を創出した作者は、そのかわりに全十三話からなる第一部を置いた。「Zガンダム」の世界ですでになくなっていた地球連邦以外の国々、例えばジオン公国が存続し、新たにコロニー国家として自由コロニー同盟が勃興しているもう一つの宇宙世紀世界を創り上げたのである。

 ジョン・レノンは「イマジン」で、国家や宗教や所有の「ない」世界を歌った。「An another tale of Z」の世界は、そんなアナーキーな夢想家の平和主義とは無縁である。そこには守られるべき秩序があり、様々な価値観を持った国家がある。武器を振り回して「ある」ものを「なく」してしまうだけでは終わらない戦いが、そこにある。

 想像してごらん、カミーユ・ビダンのいない世界を。そこにはワクワクし、ハラハラし、ドキドキし、共感して時には涙するドラマがある。私たちが愛した「ガンダム」は、そんな物語ではなかったか。

「イマジン」は今や平和を希求する人々の聖歌となり、特に同時多発テロ以降、目指すべき世界を歌った歌として称揚され続けている。しかし、70年代にジョン・レノンや彼を信奉する人たちが夢見た理想はすでに破綻してしまった。私たちは、15歳の少年たちに、すでに破れ、実現不能な理想をおしつけ続けて良いのだろうか。むしろ彼らとともに夢想できる、新しい歌を歌うべきではないだろうか。

■資料
「イマジン」日本語訳つき
http://www.youtube.com/watch?v=TCBNF4_Zf9w
クワトロ・バジーナのダカール演説全文
http://zzz.versus.jp/speech/quattro.html

<<BACK  NEXT>>

 MUDDY WALKERS◇