MUDDY WALKERS 

An another tale of Z

 SF小説”An another tale of Z” 解説

「ATZ」が語る五つの「愛」     

 今この文章を読んでいるあなたは、第二巻を読み終えてここにたどり着いた人だろうか。大きな一つの旅を終え、心躍る思いや感動と、そして少しばかりの疲れを覚えて今、まさしくこの巻末にたどり着いたのではないだろうか。
 もうすぐ「第一部」がクライマックスを迎える。その前に迎えた小休止のようなこのひととき、これまでの歩みを振り返りつつ、この世界の余韻に浸ってみようと思う。なぜなら、殺伐とした戦いの終わった後でさえ、この世界には、まだここに留まっていたいと思わせる何かがあるからだ。「五つの愛」と銘打って、その一端を分かち合いたいと思う。

宇宙への「愛」
 カマチョは宇宙世紀以前の冒険家で、光子ヨットによる地球・土星間の最短記録のレコードを持っている。古い話だが、太陽や惑星の引力を最大限に利用し、光子キャンバスで太陽風を受けながら速度を上げていくやり方は、核融合エンジンの時代では失われた航法とはいえ、まだまだ利用価値のあるものだ。(第十二話、Vol.6 P57)

 オルドリン、グレン、シェパード…。マシュマーの属する自由コロニー同盟のコロニーに冠されているのは、宇宙開発の黎明期、初めて地球の大気圏の外側へ飛び立っていった宇宙飛行士の名前である。月面に最初に足を下ろしたのはアームストロングだが、あえて二番目の男の名を首都星につけるところにも、作者らしさがあるかもしれない。すでに人類最初の宇宙飛行から半世紀が経過しているが、そんな過去から太陽系内全域を生存圏に拡大している宇宙世紀という時代、そしてさらにその先の、外宇宙を目指す宇宙の旅へと、この物語はつながっていく。夜空を見上げた時のその感動と、「あの星の彼方まで行ってみたい」という夢を、その物語の節々で思い出させてくれるのは、このように散りばめられた宇宙への「愛」があるからだ。

インテリジェンスへの「愛」
 カーターは「秘密兵器」の存在を信じない。戦いで重要なのは兵器の卓越性よりも人の卓越性だ。カーターはそれを木星で学んだ。(第十話、Vol.5 P30)

 知識や情報は、ただ集積されただけでは機能しない。それらが有用なものとして機能を発揮するためには、それらを正しく結びつけ、働かせることのできる知能がなければならない。兵器、組織、都市、国家…、すべて人によって造られたものの背後には、知能があり、それらが複雑にからみあって、宇宙世紀の世界観が構築されている。スペースコロニーについて、軍艦について、モビルスーツについて、ジオン、連邦、同盟をはじめ、登場する国家や企業について語られるとき、作者の目はつねに、仕様や設定といった情報でなく、その背後に働くインテリジェンスに向けられている。

正義への「愛」
「(前略)…今ある証拠で私が検察官なら、私は君を起訴はしない。」
「閣下?」
 マシュマーが拍子抜けした声で言った。処罰しないのか?
「マシュマー君、私はしなくても他の者は私と同じようには考えないかもしれぬ。万が一、告発された場合には、不知と黙秘を通した方が、君と君の愛するジオンの皇女にとっては有効な防御方法だということは弁護士として忠告しておこう。(後略)」(第八話 Vol4.P58-59))

 自由コロニー同盟の軍人、マシュマー・セロとジオン公国皇女ハマーンとの「亡国の恋」は、ついに同盟首相の知れるところとなる。国家権力に引き裂かれる二人の恋、ハマーンは親の決めた家柄だけは立派な下劣な男と結婚し、マシュマーは投獄されて激しい拷問を…、まるで有閑マダムの好むメロドラマだが、もちろん本作はそんな話ではない。なぜならそこには、守られるべき正義があり、正義を愛する人々がいるからだ。それはただ主人公一人ではない。物語の冒頭で語られる木星圏の戦い。ジオンと同盟の激しい戦闘の後、勝者は敗軍の兵士を救助し、敗軍の将に敬意を表する。正義への「愛」によって、正義ならざる者との戦いに私たちの心は躍るのだ。

人間への「愛」
「今回は君らの国だったが、我々の国とて、いつ同じ目に遭うか分からない。せめて、そういうことを起こさないような、あるいは紛争の回避に全力を尽くすような為政者に仕えたいものだな。」
 レオンチェフは、一瞬、マシュマーの横顔を見た。意外なことに、マシュマーの目には光るものがあった。(第十二話 Vol.6 P75)

 ティターンズの横暴により、核攻撃で多くの市民が血祭りに上げられたタイタニア共和国。辛くもマシュマー率いる艦隊の援護により国家消滅の危機は逃れるものの、あと数日早く到着すれば、一般市民三〇万人の犠牲を防ぐことができたことを知る。それが果たせなかったのは、マシュマーの個人的な、しかもあまりに感傷的な事情によるものだった。しかし、レオンチェフに語りかけるマシュマーが浮かべる涙は自己憐憫のそれではなく、不義によって失われた人の命を悼む涙であろう。
 マシュマーの片腕ともいうべきマーロウ大佐もまた、敵将ハイデルシュタインの死に涙を浮かべる(第五話)。死んだのは、彼が初めて得た自分の理解者であった。ハイデルシュタインは、マーロウの心の内にあるものを見抜いたのだ。そして、こうした剛胆な男たちの内にある繊細さを描く作者の筆致に、私たちは、人間へ向ける「愛」のまなざしを見るのである。

ユーモアへの「愛」
 テレビではジオンなら制作者が破廉恥罪に問われるようなエログロ俗悪番組をやっていた。ハマーンは制作者を処刑したくなったが、チャンネルを変えることで、間接的に制作者を「処刑」した。(第七話 Vol.4 P13)

 ときに重く心に響き、ときに切ない感情に心揺さぶられる物語だが、その合間に織り込まれているユーモアに、思いがけず頬がゆるむ瞬間がある。別れを決意したハマーンとマシュマーが、エウロパで最後の逢瀬に身をやつす場面。そんな二人をスパイよろしく覗き見するカーターとホフマン、そして赤白ストライプのスーツに身を固めた調査員とのやりとり(第六話)しかり、、負けた方がビールを奢るという条件で整備補給の早さを競う「競争」を持ちかけるものの連戦連敗、請求書の山に涙目になるライヒ中佐(第九話)しかり。文字を目で追いながら自分が笑顔を浮かべているのに気付くとき、ああ、この世界に出会えて良かった、と心から思うのだ。

 そして最後に、前作への「愛」も見落としてはいけないだろう。シャアやアムロといった前作のキャラクターが、立場は変えながらもいきいきと、あるべき姿で描かれていることに、前作ファンは安堵を覚えたのではないだろうか。「イセリナ・エッシェンバッハ」「ザクレロ」などの言葉を見つけて、前作からの時の流れを感じるのも乙なものである。時は流れる、水が流れるように。その行く先をたどる旅は、これからどこへ私たちを導いてくれるだろう。

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