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 機動戦士ガンダム(1979)各話レビュー

 第11話「イセリナ、恋のあと」

 脚本/荒木芳久 演出/貞光紳也 絵コンテ/    作画監督/大泉学

あらすじ

 ガルマの死を受けて、<サイド3>ジオン公国にザビ家兄弟が集結する。静かにガルマを弔いたいという父デギンに対して長兄のギレン・ザビはガルマの国葬を提案し、これを戦意高揚に利用しようと画策する。一方地上では、ガルマのいた司令本部をイセリナが訪れ、ガルマ配下のダロタ中尉に、自分もガウに乗せてくれるよう頼んだ。残存兵はイセリナと ともに出撃、ホワイトべースに対して、ガルマ大佐の弔い合戦を仕掛ける。

コメント

 前話ではじめてジオン公国本国にいるデギン公王が描かれたことで、今回からオープニングのナレーションが変わる。1クール12話で徐々に敵の姿を明らかにしていこうという狙いが感じられる。11話はガルマの恋人、イセリナを中心に話が動くが、こちらは幕間狂言のような位置づけで、本筋ははじめて揃うザビ家面々の政治権力をめぐる駆け引きにある。


 それはさておき、10話のレビューで触れなかったイセリナという女性について、少し触れておこう。彼女について、本作ではあくまで中立を保って描いているけれども、もともとは地球連邦の市民であって、自分の父親が市長を務めていた都市をあのような廃墟にしてしまった敵、ジオンの貴公子と今は恋に落ちている。10話では、ガルマの後を追って戦場へ駆けつけようとして止められ、「…お父さまにだってあたくしを自由にする権利はないわ。あたくしには自分で自分の道を選ぶ権利が」と言って父親に平手打ちを食らっている。暴力はよくないにしても、父親の憤懣はわかろうというものだ。父エッシェンバッハがジオンと親交しているのは、市民を守るためであって決して自己保身でもなければジオンに下ったわけでもない。しかし娘は、ジオンの攻撃で失われた市民の命を顧みて自制しようともしない。

 11話の幕間狂言では、そんなイセリナがガルマ配下の残存部隊とともに仇討ちに出るというストーリーが展開される。父親には甘く見えたイセリナの「本気」を示すという意味で、ややドタバタに過ぎるこのエピソードが必要だったのだろう。というのは制作者は父と娘のどちらに組みするということなく、父と娘の相互不理解をこそ、描こうとしていると思うからだ。わかりやすくいえば「わかりあえない2人」で、このモチーフは繰り返し繰り返し描かれながら、最終回へと収斂してゆく。



 ジオンの司令部を訪れたイセリナはダロタ中尉に、自分をガウに乗せてくれるよう頼み、ガルマ大佐の敵討ち部隊に加わる。民間人、しかも連邦市民をやすやすとガウに乗せて前線に連れていくなど、一体ジオンの軍規はどうなっているのかと思うところだが、イセリナの気迫に押されたといったところだろうか。3機のガウ攻撃空母を連ねて、ダロタ中尉以下の残存部隊はホワイトベースを追撃する。

 ホワイトベースはあと一歩で連邦軍の勢力圏に入ろうというところ。しかしガウと遭遇しアムロとリュウがガンダム、ガンキャノンで出撃する。しかしガウをルッグンで追ってきたシャアのミサイル攻撃でエンジンが被弾。ホワイトベースは不時着を余儀なくされる。

 相互不理解のドラマは、ホワイトベース内部でも繰り広げられてきた。戦闘要員と避難民たちの間にある溝である。不時着したことをいいことに避難民はホワイトベースから降りていく。ブライトやミライらのここまでの奮闘を労う言葉はない。


 しかし究極の相互不理解は、イセリナをめぐるドラマの最後にやってくる。敵視、という形となって。生き延びるために必死で戦う主人公たち、しかしイセリナを通して、アムロは自分が相手にとってどんな存在であるかを突きつけられる。

この一言! 「なんていう名前の人なんだろう?僕を仇と言ったんだ」

 11話は作画崩壊気味の回で、見ていて笑ってしまう所も多い。特にこの回主役を張るイセリナの絵は、もう少しなんとかならなかったかと思う。胸を打つ、そして重いメッセージを投げかけるラストである。どちらかというと迷エピソードと位置づけられているが、作画次第で名エピソードになっただろう。

 もう一つ残念なのは、アムロたちの戦い方である。相手がガウ攻撃空母だけに空中で戦わざるを得ないのだが、先にあったとおりガンダムは地球上では基本的に陸戦兵器で空中戦をするように出来ていない。だからなのだろう、ガウの翼にガンダム、ガンキャノンが飛び乗って大暴れという戦いが繰り広げられるのだが、ガウの方向舵をちぎっては投げ、ビームシャベリン(ここで初登場の幻のガンダムの武器!)でガウの機体を切り裂くなど、ややコミカルな描写となっている。そんなドタバタ感のある戦闘シーンと、ついに力つきて墜落してしまうガウの爆発シーンの深刻さとのギャップがあまりにもアンバランスで、見ていて少々居心地悪く感じてしまう。

 そんなわけで、この回の話は幕間狂言と表現したが、それにしてはかなり重たいテーマを含んでいる。それが、この最後のアムロの一言に集約されている。

「なんていう名前の人なんだろう?僕を仇と言ったんだ」

 アムロの乗るガンダムを押しつぶそうと降下してきたガウは墜落し、割れた操縦席の窓から一人の女性が現れる。ちょうどそのとき、アムロは故障したガンダムを調べるためにコクピットから出たところだった。

 私たちは彼女がガルマの恋人、イセリナと知っている。アムロの囮に引っかかり、ガルマがホワイトベースの総攻撃で戦死したことも知っている。イセリナ自身も、目の前のモビルスーツに乗った少年がガルマを殺したに違いない、と分かっている。そして彼女は「ガルマ様の仇」とアムロに銃口を向ける。

 しかし、アムロは何も知らない。見知らぬ女性から銃口を突きつけられ、いきなり「仇」と言われたのだ。彼女は墜落のショックが響いたのか、結局アムロを撃つことなくガウから落下して命を落とす。その女性、イセリナの亡骸を前にアムロはつぶやく。「なんていう名前の人なのだろう」と。恐らくそこで彼ははじめて、自分のしていることの重さと罪深さに気付いたに違いない。「僕を仇と言ったんだ」と、アムロは自分に向けられた敵意を受け止めた。

 と同時に、主人公とは反対側にいる敵から見れば、主人公たちもまた敵だという「戦争」の構図に、私たちも気付かされる。互いに何も知らない相手に武器を向け、殺し合うのが戦争。それこそ、まさに究極の相互不理解の形ではないか、と。

<今回の戦場> 
北米大陸 西海岸周辺の砂漠地帯
<戦闘記録>
■地球連邦軍:ガルマの残存部隊を撃破。避難民がホワイトベースをおりて収容される。
■ジオン公国軍:ダロタ中尉率いるガルマ残存部隊がホワイトベースを追撃、全滅。

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